少年たちは息を潜める【side如月】
「如月」
ずい、っと鹿王院に麦茶のペットボトルを突き出された。
「大丈夫か」
「大丈夫……ありがとう」
お風呂のあと、俺はひっくり返っていた。湯あたりしたのだ。
「いやぁ、温泉なんか久しぶりだったからさ」
誰ともなく、言い訳する。
「旅行に良く行っているイメージだが」
「ウチの親、ヨーロッパ狂いで」
「なるほど」
鹿王院は頷いた。イタリアなんかにも温泉はあるけれど、日本的なものではないし、なんていうか、ちょっとテンションが上がってしまったのだ。
大浴場から出てすぐの休憩スペース。自販機と、1人がけのソファがたくさん置いてあるそこで、俺は鹿王院が買ってくれた麦茶をちょこちょこ飲みつつ、体力の回復をはかる。
「こっちに長椅子があるぞ」
「あ。ほんと」
自動販売機の裏、木製のついたてで見えにくくなっていたが、竹製の、横になれるような長椅子。
よろよろと移動して、ごろんと横になる。鹿王院もその椅子の隅っこに座って「まぁしかし、お前が優勝だよ如月」とにやりと笑った。
「けれど、そんなになるまで我慢しなくても良かったのではないかと思うぞ」
「なんとなくだよ、なんとなく……」
そう、なんとなく、だ。
露天風呂に入っていると、鹿王院と同じサッカー部の奴らがワイワイ入ってきて意気投合して、そのまま何人かで「誰が最後まで湯船に浸かれるか選手権」を開催してしまったのだ。そして湯あたりしている。まさしく自業自得だ。
「あ、でも結構良くなってきた」
「もう少し集合まである。寝ていろ」
「うん」
素直に頷いて、高い天井でくるくる回っている大きなファンを眺める。扇風機の涼しくないやつみたいなの。
「あれってさぁ、なんのために回ってんの」
「? なにがだ」
「あれ」
俺が指差す天井を、鹿王院も仰ぎ見て、それから俺にまた目線を戻した。
「空気を循環させているのだろう」
「出来んのかな、あんなゆっくりで」
「できるから商品になっているのではないか?」
「そうかなぁ……」
それから俺たちは少しだけ無言になった。ファンは相変わらずくるくる回っている。
その時、女風呂の出口が騒がしくなった。集団で女子が出てきたのだ。
「え、そうなの!? あいつらそうなんだ」
「うっそ!」
「ねー、意外だよね、いつから付き合ってんのかな」
「クラス違うと気づかないね」
「ね」
どうやらコイバナのようだ。喋り方的に、いわゆる「一般組」の子たち。
(ま、そーいう分け方はどうかと思うけれど)
なんとなく、不文律的にそんな呼び方になっていた。俺たちのクラスーー「青百合組」の女子はやたらとかしこまった話し方をする子が多い。肩が凝らないのだろうか、なんて思ったりもする。
ちらりと鹿王院を見上げる。あまり興味なさそうに(というか、一切気にしていないなこれは。マイペースなやつなんだ)ペットボトルの麦茶のフタをあけていた。
彼女たちの楽しそうな声は、徐々に近づいて、やがて自動販売機の前まで来た。ついたてがあるので、向こうはこっちに気づいてないだろうなぁ、と思う。
「てかさ、青百合の。鹿王院くん」
さすがに自分の名前が出たので、鹿王院も眉を上げた。
ついたての向こうでは、女の子たちがジュースを選んでいる音がする。ぴー、がしゃん。
「最初はさ、形だけって聞いてたけど」
「許婚?」
「そーそー、設楽さん。あれ、鹿王院くん、ベタ惚れしてるね」
鹿王院はどうでもよさそうに麦茶を飲んだ。バレてても別にいいんだろう。てか、そもそも華サン本人が気づいてないことが驚きだ。
「いいねー、らぶらぶで」
「らぶらぶかな? 設楽さんはあんまり気にしてないよね」
「たしかにー」
鹿王院は、ほんの少しだけ表情を変えた。がんばれよ、と視線を送ると肩をすくめてくる。
(……ていうか、今更ここにいるってバレたら気まずいなぁ)
俺はファンを見上げながら息をひそめる。鹿王院もさすがに麦茶を飲む手を止めていた。
「てか、設楽さん初恋もまだそう」
「わかる」
ふふふ、と女の子たちは楽しそうに笑う。
最後の1人がジュースを買い終わったようで、足音がゆっくりと離れていく。
「てかその設楽さんさ、胸やばい」
「気づかなかったよねー」
「きやせする? っていうの?」
「肌も白くてキレーだよね。なんかケアしてんのかな」
「夕食んときに聞いてみようよ」
「おばあちゃんがエステ系のお店してるとか言ってたよ」
「あー、案外オジョーサマだもんなぁ」
「あんま感じないけどね〜」
女の子たちは角を曲がって行って、声も遠のいて行った。
(女の子って割とそういうの、フランクなんだなぁ……)
ちらり、と鹿王院を見上げる。
頭を抱えていた。
「如月、俺は」
「うん」
「最後のは聞かなかったことにしたい、忘れたい」
「え、なんで」
きょとんと、見上げる。ラッキー情報じゃんとか思っちゃう。
「……つい、見てしまったらどうするんだ」
「え、見ちゃうの」
「見たら失礼だろう」
「バレるかな」
「バレるバレないではない」
はぁ、と息をついて鹿王院は麦茶を一気にあおった。
「俺にはもう煩悩しかない。こうなれば出家するか……」
「鹿王院!?」
「こんな煩悩まみれで華の側にいられない」
「いや仕方ないよ、保健の授業でもさ」
「保健の授業の話はいい」
鹿王院は真剣に言った。
「モラルの問題だ」
「モラルねぇ……」
俺はよいしょ、と起き上がった。
「もう大丈夫なのか」
「うん」
すっかり体調もいい。
「あのさ、鹿王院。しょーがないって。俺らそういう年頃だもん」
「繰り返すが、そういう問題ではない」
「鹿王院ってさ、時々思うんだけど、そういう生き方苦しくない?」
「全然」
鹿王院は立ち上がる。
「水をかぶってくる」
そう言い残し、また大浴場へ歩いて行ってしまった。せっかくあったまったのにな。
仕方ないので、自販機前に移動して1人がけソファでちびちび麦茶を飲んでいると「あれ如月くん」とひよりサンと華サンに声をかけられた。
お風呂上がりで上気した肌は、ちょっと色っぽい、というかなんというか、で。
(あ、たしかに気まずい)
俺もちょっと目線をずらして華サンを見る。
不思議そうな華サン。
「樹くんは? 部屋風呂派?」
「や、まだ」
風呂、というと「長風呂さんなんだねぇ」と華サンはのんびり答えた。
(鹿王院、どんな反応するだろ)
風呂上がりな華サン見て。果たして水垢離で煩悩は祓えているのかいないのか。
ちょっと見ものだなコレは、と俺はひとりでほくそ笑んだ。