表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/161

【幕間】大人たちは悪役令嬢を心配する【三人称視点】

 「……いいお嬢さんですね」


 広い部屋だ。マホガニーの机、医学書が詰まった重厚な本棚、椅子には白衣が乱雑に掛けられていた。

 マホガニーの机の前、来客用と思しきガラステーブルにはオリエンタルな蔦柄の、二客のティーカップ。

 その部屋の主である壮年の男は、目を細め、関西訛りの口調でそう言ってから、ひとくち、紅茶を口に含んだ。


「そうでしょう」


 男の向かいに座るうつくしい女は、そう言われて嬉しそうに微笑んだ。

 年の頃は分からない。一見すると40代にも見えるが、その落ち着いた所作は、還暦をこえているようにも感じられた。


「……しかし、"おばあちゃんの従姉妹"とは」


 男は不思議そうに笑った。


「なぜそんな嘘を? 華ちゃんは、あなたの本当の孫娘なのに」


 女はそっと目を伏せた。


「……後悔しているんです」

「結婚を許さなかったことを?」

「ええ」


 女は紅茶を口に含み、それからまた口を開いた。部屋に、カチャリというティーカップとソーサーがぶつかる音が響いて、男は少し目を瞠った。そんな音を立てることを自分自身に赦すひとでは、なかったから。


「……わたしくしが、あの娘たちの結婚を許していれば。あの人が亡くなった時、あの娘はきっと、わたくしを頼ってくれました。そうすれば」


 女は震えていた。唇を噛み締めて。


「そうすれば、あの娘は、エミは、殺されることはありませんでした」

「常盤さん」


 男は気遣わしげに声をかけた。


「彼女の、エミさんの死は、貴女のせいでは」

「分かっています、分かっています、でも、ああしていれば、こうしていれば、ばかりが頭に浮かんで消えないのです」


 女は声を震わせ、眉根を強く寄せた。


「……なぜ結婚を許してやらなかったのです」

「わたくしの意思ではありません。常盤の家が許さなかったのです」


 女は弱々しく言った。


「本家は……兄は、あの子を、華を引き取ることさえ猛反対を……でももう、後悔をしたくなかったから」


 目線を上げ、女は強く言った。


「あの子を倖せにするために、わたくしは何でもしようと思うのです」


 男は頷き、口を開いた。


「……しかし、大きくなりましたね。産まれた時は3000グラムもなかったのに、もうあんなに走って、笑って」


 そして微笑む。


「秘密にしていたのですが、あの子が産まれた時、取り上げたのは僕だったんですよ」

「え」

「もちろん、貴女と僕の関係なんて、エミさんは知らなかったと思いますーー偶然、ですよ。彼女が当時僕がいた産婦人科を選んだのは」

「そう、でしたか」


 少し呆然と、女は相槌を打った。


「そう、でしたか……」

「一目で分かりました、貴女そっくりでしたから」


 それを聞いて、女は微笑んだ。


「華は、父親にそっくり」

「ああ、そうかもしれません」

「ええ。……あの人は、エミの夫は、正義感溢れる素晴らしい人でした」

「華ちゃんにも、そういうところがありそうですね」

「そう、ですね……その正義感が、華自身を傷つけないといいのですが」

「……これから、どうなさるんです?」

「とりあえず鎌倉へ連れて帰って、……折を見て鹿王院さんのお孫さんと婚約させようと思います」

「ロクオウイン、というと」


 男は笑った。


「静子さんのお孫さんですか」

「ええ。本家の人間も、鹿王院家の人間の婚約者を無碍にすることはないでしょうから」

「なるほど……、しかし、エミさんの二の舞になりませんか。第三者でしかない僕が、こういうことを言うのは、酷かもしれませんが」

「華が誰かを連れてきた時は連れてきた時、ですわ。早急に、華には庇護がいるのです。万が一、わたくしが早々にエミの所へ行こうと、あの子を守ってくれる誰かが」

「そう、ですか……」


 男は何か言いたげにしたが、すぐに気を取り直すように、ことさらに明るい声を出した。


「しかし、静子さんか。懐かしい。お元気ですか」

「ええ」

「鎌倉も懐かしく思います」

「……そうですか」

「美しい街でした」

「また、来られてみては? こちらへは戻って来られたばかりですわよね? でしたら、観光で、そう……奥様と」


 男は一瞬黙ったのち、破顔した。


「僕は独身ですよ」

「え」


 男は少し目を伏せた。


「僕の心はあの時のままです」


 男の目は、何かを懐かしむように細められた。


「あの鎌倉の夏を、僕は生涯忘れないでしょう」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ