悪役令嬢は不思議に思う
(というか、ですね。これは俗に言うあーんして、では)
ぽかんとしていると「もう米原を過ぎたぞ?」と樹くんは言う。米原は滋賀県だ。もうまもなく、京都。
「早く食べなくては」
急かされる。ええい、しょうがない。アイスのためだ!
ぱくり、とアイスをひとくち。
(あまーい、おいしーい)
にっこりしてしまう。
それを見た樹くんは、何度か瞬きをした後、妙な顔をして私をじっと見つめた。……なんだよー、失礼だな。そっちが「あーんして」してきたくせに。
(というか、この子あんま距離感ないよなー……)
誰に対してもこうなら、割と女泣かせだよなぁ。この子、カオがいいの自覚してないもん。それだけじゃなくたって、好きになられる要素満載なくせに。
(一応言っておくかぁ)
勘違い続出して死屍累々、は少し罪作りすぎる。
「あのさぁ樹くん?」
「なんだ」
「こういうの、あんまりしない方が」
良いのでは、という言葉は飲み込んだ。少し悲しそうな顔をされたので……。
「あー、あの、違うの。ほら、誰にでもね? 優しいのはいいことだよ。でもね、こういうの、好きな人だけにしたほうが」
「それなら問題ない」
「うーん」
私は首を傾げた。いまいち伝わってない気がします。だからさあ、友達とかの好きじゃなくって。
(幼いのかなぁ)
容姿自体は、少し大人びているのに。初恋も、まだなのかもしれない……。
「それよりほら」
樹くんは次々に私の口にアイスをねじ込んでくる。
(うう、甘いよう、美味しいよう)
アイスの前では、私のなけなしの理性、というか大人的観点も形無しだ。一瞬で溶け去る。
三分の一くらい食べたところで、私でもいける硬さになり、アイスを返してもらう。
「うう、ありがとう……美味しかった」
「いや、こちらこそ」
その返答を不思議に思い首をかしげると「餌付けのようで面白かった」と笑われた。
ぷうと口を尖らせる。
「鯉とかウーパールーパーと同じ扱いしてない?」
樹くんはウーパールーパーを飼っているらしいのだ。
「……」
「え、してた?」
樹くんはふいっと顔をそらす。
「ちょ、い、樹くん。仮にも許婚をウーパールーパー扱いするなんて」
いや、可愛いよ、ウーパールーパー可愛いよ!? でもさぁ、でもさ!
なんて(アイスを食べる手は止めずに)むんっと樹くんを睨んでいると、樹くんはふは、と吹き出した。
「すまん、冗談、冗談だ」
「んー? 本気のカオしてたけど!?」
「いやいや、華もウーパールーパーも可愛いが同列ではない」
「どーかなー!?」
ていうか、今、さらりと可愛いとか言ったな。やっぱりこの子、女泣かせかもしれませんよ……。
「仲良いですねぇ」
のんびりした男の人の声に振り返る。
「桐山先生」
中学2年生からの持ち上がりだった私のクラスの担任の先生は、5月の始めから産休に入っている。その代理で来た先生がこの人……というか、ぶっちゃけ(もクソもないんだけれど)攻略対象の、トージ先生こと、桐山藤司先生。1年目の初心者先生だ。だけど、担当の授業(理科)も分かりやすいし、面倒見も良い感じ。
(ただ、ものすごーく、……ゲームと違いすぎる)
ゲームでのトージ先生は、クールでミステリアス、細いフレームの、薄い眼鏡をかけた線の細いイケメンで……。
でも、ここ、現実でのトージ先生は随分違う。ぼさぼさの髪、太くて黒いフレームの瓶底眼鏡、長身なんだろうけれど常に猫背、でもニコニコしてる「変わってるけどいい人」っぽい感じのひと。
(あと、すっごいおっちょこちょい)
給食の容器をひっくり返したのも一度二度ではない。お陰で全校放送で余ったおかずを分けてもらうのにも、すっかり慣れてしまった。
(なぜか今年、学級委員になった私が、放送担当なのよね)
そのせいで私は「おかずハンターの設楽」と言う謎のあだ名で全校的に有名になってしまった……私ひとりで食べてる訳じゃないんだからね!?
「もうすぐ着きますからね、大友さんたち起こしてあげて……、ほらそこ! 騒がない!」
ひとつひとつの班を見て回っていたらしい。
ふと、先生が斜めがけしているビジネスバッグが気になった。
「? 先生、それなんですか? 重そう。席に置いといたらいいのに」
私がそう言うと、桐山先生はびくり、と肩を震わせて振り返った。
そして苦笑いして、こっそりいう。
「実はね。これ、個人情報」
「個人情報?」
「ほら、家庭訪問あったでしょ。あれのね、報告書なんだけど……終わらなくて」
「え」
「ノートパソコンにデータ入れて、全員分、持ってきちゃった……」
(こ、個人情報を! このご時世に! 持ち歩く!)
なんと危険な……。
「あのー、落とさないでくださいね」
「大丈夫大丈夫。ほらこの通り」
先生はビジネスバッグの肩掛け部分をぎゅうぎゅうとひっぱる。丈夫アピールらしい。
「じゃ、荷物もまとめて、すぐ降りられるようにしておいてね。アイスはまぁ、慌てないで」
そう微笑んで先生が通り過ぎていくと、樹くんは振り返り、先生をじっと見つめながら「嫌な予感がするな」と呟いた。
「むしろ、嫌な予感しかしないぞ」
「え、縁起でもないことを」
そう言って私は笑う。
しかしまさか、それが本当になるとは、この時はまだ夢にも思っていなかったのだ。