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桜と新緑

 嫌な夢を見た。すごく嫌な夢。


 ひよりちゃんが、久保に拐われる夢。

 なのに、それを私には教えてくれない。


 「大丈夫だよ」と微笑むばかりで、私はひよりちゃんが心配で仕方ないのに、頑なに頼ってくれないのだ。

 そんな夢。

 ぱちり、と目覚めて枕もとの時計を確認。午前6時。

 喉になにか詰まったような、感覚。


(こんな気持ちだったのか)


 昨日の樹くんは。

 胸に何か重いものがあるみたい。


(大事な友達が、何か酷い目に遭ったって分かるのに、何もできないもどかしさ)


 ひどく申し訳なくなってきた。


(きちんと話そう)


 私はそう決めた。警察にも、行く。


(久保が真さんとアキラくんに逆恨みしてないとも限らない)


 大人として(まぁ記憶だけなんだけれども)できるのは、まずは子供達の身の安全を確保することだ。

 久保さえどうにかしてしまえば、松影ルナが真さんとアキラくんを狙う、ということは無さそうに思えるし。


(そうしよう)


 そう決めて、ベットから這い出た。昨夜はどうやら食事後寝落ちしてしまったらしい。


(樹くんが運んでくれたのかな……重かったかなぁ、重たかったよねぇ)


 反省しつつ自室のドアを開けた。とりあえずシャワーを浴びよう、と決める。

 熱めのシャワーを浴び、着替えてリビングへ向かう。

 リビングには、すでに樹くんが起きてソファに座っていた。誰かとスマホで通話している。


「ああ、そうか。分かった。また連絡する」


 私に目線をよこし、通話を切る。


「眠れたか?」

「おはよう」


 しっかり目が覚めた顔をしている。

 昨日試合だったけど、疲れてないのだろうか。体力あるんだろうなぁ。

 そう考えながら私は微笑んで、それから目線をウロウロさせた。


(どこから話そう)


 そんな私には気づいたのか、樹くんはすこし笑って「大丈夫だ」と言った。


「おおむね事態は諒解している」

「え?」

「それに、」


 少しだけ、樹くんは言い淀む。

 それからまっすぐ私を見て、淡々とこう告げた。


「久保に関しては……もう、心配しなくていい」

「え」


 理解が追いつかない。


(樹くんが、なんで久保のことを?)


 目を白黒させて、樹くんを見上げる。


「……少し調べさせてもらった、が」


 樹くんはローテーブルの上のメモを、ぴらりと私に見せた。


「敦子さんはもう少し眠るらしい。良ければ歩きながら話そう。カフェで朝食を食べるんだろう」


 メモを受け取ると「今日は午前中は休みます、朝ごはんは樹くんと」と、敦子さんの字で書かれていた。


(遅くまで仕事してたのかな)


 少し心配になる。


「昨夜会ったが、元気そうだったぞ」

「そう?」

「あの人は昔からあんな感じだ。華が家に来てから随分仕事の量を減らしているが、まぁ上場の件もあるし、今だけだろう」

「だといいけど」


 私は少し肩をすくめて頷き、並んで玄関へ向かった。

 朝日に照らされた、朝靄の中を歩く。

 道沿いに植えられた桜もまた、太陽に照らされてその輪郭をはっきりとさせていた。葉桜になりかけている、散り終わりの桜。でも木によっては、まだ咲いているものもあった。緑と桜色の、コントラスト。


(木の種類が違うのかな)


 ぼんやり、とそう思う。


(満開の桜も綺麗だけれど、みずみずしい葉桜もさっぱりしていて好きだなあ)


 見上げながら、昨夜の夜桜を思い出す。ぼんやりと浮かぶような桜。


「今朝の、4時くらいらしいが」


 樹くんはぽつりと口を開いた。


「ボートが盗まれた、と警察に一報が入ったらしい」

「ボート?」

「うむ。近くの住民が、趣味の釣り用に持っていたボートで、漁港の許可をとって近くに繋留していたらしい」


 ひらり、と桜の花びらが目の前を通り過ぎる。


「それで、朝、釣りに出ようとして……小さい船でな、沖に出られるようなものではないのだが、それが見当たらない、ということで警察に。どうやら夕釣りの後、急いでいて鍵をつけたままにしてしたらしい」

「うん」

「それで、警察が駆けつけたんだが……付近に窓ガラスが割れた自動車が停まっていてな」


 久保のクルマだ、と私は頷く。


「どうやら関係あるとみて調べていたところに、さらに漁師から水死体を見つけた、と連絡が入ったらしい」

「……水死体?」

「男と、少女のもので」

「……え」

「松影ルナには、昨夜から捜索願いが出されていたようで、すぐに身元が判明したとのことだ。久保も免許証が車に残されていて、特徴も一致している。両人とも司法解剖待ちだが、まぁ間違いないだろう」

「……」


 私は言葉を失った。

 桜の下に立ち尽くし、ただ、散っていく桜を見あげる。


(死んだ)


 私は呆然と桜を見る。


(松影ルナが、……死んだ)


「俺は」


 樹くんは数歩先で、立ち止まる。

 背中しか見えない。


「俺はほっとしている」

「……樹くん」


 ざあ、と風が吹く。

 桜が散る。舞う。視界が、桜色に染まる。


「人が死んだのに」


 また風が吹く。また桜が散る。


「それなのに、俺は安心している」


 くるくると桜は舞う。


「人でなしだろうか? 俺は」


 私はきらきらの桜色の靄の中で、そっとその背中に寄り添った。

 すごく、寂しい背中に見えたから。


(私は、何を思えばいいんだろう?)


 答えはまだ、出そうにない。

 だからただ、今は、目の前のことだけを。

 桜の靄の向こうに、葉桜の緑がはっきりと見えた。


「ううん」

「そうだろうか」

「うん」

「……、華がそういうなら、そうなんだろう」


 樹くんは顔を見せないまま、ゆっくりと歩き出した。私もそれに歩調を合わせる。


「そのカフェは美味しいのか?」

「うん、コーヒーとか美味しいよ」

「コーヒーな」

「樹くん、コーヒー好き?」


 樹くんは、朝日で眩く光る桜の花びらの中で振り返り、少し困った顔でこう言った。


「牛乳を入れないと飲めないんだ」


 風がまた吹いて、桜が舞った。

 鎌倉の春が過ぎ去ろうとしている。

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