ヒロインは月を見上げる【sideルナ】
(ほんっと、チョロいわよね)
あたしは、自室から月を見上げながら片頬を上げた。それから時計をチラリと見遣る。午後9時過ぎ。
(今頃あの女、どっかに監禁でもされてんのかしら)
あの男……、久保という男は、本当に御しやすかった。
ちょっと煽ってやれば、実に簡単に、思う通りに動いてくれた。
(あたしは単に"前世の記憶がある子がいる"と告げただけ)
何の法にも、抵触していない。
(思春期の、幼い女の子が前世やなんかに憧れを感じるのは、世間的にままあること)
事が露見して、久保があたしのことを警察に話そうとも。
(夢見がちな女の子が、ぽろりと口にした世迷言を、本気にした大人が悪い。世間はそう判断するでしょう)
しばらくは、また親の監視がきつくなるかも、だけど。
(去年の実験の後は、少々きつかったわね)
思春期入りたてで少し情緒不安定なだけ、な娘を演じていたらじきに監視もゆるんできた。
しかしそもそもあれも、全て計算してやったことだった。
(あのときあたしは、まだ13歳だった)
だから、あんな雑な実験もできたのだ。
なぜなら、13歳の子供を重い罪に問うことはできないから。少なくとも、この国においては。
14歳未満の少年については刑事責任を問わない。
もちろん、だかといって少年院どころか自立支援施設にだって入れられるような、法に酷く触れるようなことはするつもりはなかった。
しかし、万が一、ということもある。
(何かの弾みに、だれか死んじゃうかもだし?)
そのための、13歳のうちの実験だった。
(それに、メインターゲットに鍋島千晶を選んだのにも、大きな理由がある)
ちょうど、あの時は国政選挙の直前。
(孫娘の醜聞を消すための、内々の動きはあれど、表には出さない可能性は高かった)
実際、内々に診断書を(あれは予想していなかった、迂闊だった)出してはきたけれど、裁判にしてまで、ということはなかった。
(例え被害者であったとしても、身内が係争中っていうのは、選挙にとってマイナスでしかない)
鍋島千晶の祖父は、与党の重鎮だ。「何か」あっては困る。全ては内々に済ます、しか無かったのだ。
いくら鹿王院といえども、あまり大きく騒ぎ立てはできなかっただろう。しかも、大して大きな事業でもない。鹿王院グループといっても、あそこは枝葉ですらない、のだ。そんなもののためにリスクを背負う必要はない。
(下手に動いて大ごとになっちゃったら、ね。ヒトの口に戸は立てられないし)
ほかの辞めていった女の子たちの親たちにしても、あくまで"我が子に起きた話ひとつだけ"に絞れば「まぁこれくらいの子供には起こり得る」トラブルなのだ。まとめると、あたしという存在が浮き出てしまうけれど。
(いじめただの、いじめてない、だの)
くだらない、とあたしはちょっと笑ってしまう。
あたしが13歳であるというタイミング、国政選挙前というタイミング、実験にはあのタイミングしかなかったのだ。
(ギリギリで決めたから、少々杜撰にはなったけれど、まぁ及第点でしょう)
合格点だったからこそ、あたしはすぐに罪を認めた。あそこで粘るメリットはなかったから。
(でも、設楽華)
あの女は本当に計算外だ。何かが、イラつく。イラついて、自分でも行動が制御できない。
(前世の記憶があるせいか、行動が読めない)
なぜ大友ひよりと友だちなんかになっているのか。
(あそこからメンタル崩されたわね)
イライラして、余計なことを口走ってしまった。
(まぁ、大して問題ではない、か。本当のことだもの)
あたしには、かつて貫き通せなかった"正義"があった。
いま、松影ルナに転生して、やっと気付いたのだ。
前世のあたしが正義を貫き通せなかったのは、前世のあたしは、主人公じゃなかったからだ、って。
(ならばーー主人公である、ヒロインである、今ならば)
できるはずなのだ。
なぜならあたしは、ヒロインだから。あたしが唯一正しい、そんな世界に生まれ変わったのだから。
(だから、逆ハーレムをつくる)
"ブルームーン"の攻略対象たちは、政財界の大物の子息が揃っている。顔も好みだし、いうことはない。
あたしは、ほくそ笑む。
(前世で成し得なかった正義を、今度こそ)
あたしは正しい。
あたしが正義だ。
あたしが、全てなのだ。この世界では。
そう思い、再び月に目をやった瞬間だった。スマートフォンが震えた。
(この番号は、久保)
あたしは舌打ちを我慢する。
(通信履歴は残したくないのに)
例え罪に問われなくとも、できるだけ面倒ごとは避けたい。
しかし、かかってきたものは仕方ない、とスマートフォンを手に取る。こちらで履歴を消そうと、どうせ、通信会社に照会されたらすぐ分かるのだ。無駄なあがきはすまい。
「……、もしもし?」
『ああ、ルナ様、ルナ様』
「なんですか、騒々しい」
『け、警察に、捕まるかもしれません』
「……で? あたしに、どうしろと?」
『た、助けてください、お知恵を』
「そんなの無理よ。1人でどうにかしてください」
『む、無理です。今からお迎えに、上がりますから』
あたしは舌打ちを必死で我慢した。
(家に来られるのは困るわ)
「……どこへ行けばいい?」
『あの、あ、では、お近くの公園で』
久保は、うちから五分ほどの距離にある公園を指定した。
イラつきをおさえながら、了承の返事をして通話を切る。
(あのバカ、本当に役に立たない)
人選を間違えたかしら、そう思いながらあたしはこっそりと家を出た。
公園の前には、久保の車が止まっていた。なぜか窓ガラスが数カ所、ない。ボンネットもボコボコ。……何があったの?
「久保先生?」
あたしは公園を見回す。しかし、どこにもその姿はなかった。
(チッ、一体どこへいって)
あたしの思考はそこで止まった。
首筋に、強い衝撃が走ったから。
(……え?)
薄れゆく意識の中で、あたしは視界の隅に、三日月のような目で笑う久保を見た。