悪役令嬢は夜桜を見上げる
私を乗せたバイクははゆっくりと、坂を下っていった。
夜風が気持ちいい。目を閉じたまま、春のにおいを吸い込む。
「腕だけでやんないのがコツ」
「腰で押す?」
「そーそー。コツさえ掴んだからオンナノヒトでも大型押せるよ」
「ほんまっすかー?」
「そうじゃなきゃ女性の白バイ隊員なんかいないデショ」
「そりゃそーっすね」
私がぼんやり夜風を感じている間、すっかりバイクに興味を持ったアキラくんが真さん相手に色々説明してた。真さんも話せるのが楽しいのか、イキイキと説明をしている。
なんとなく微笑ましい気分になっていると、アキラくんが「お、綺麗やん」と呟いた。
「桜、この辺まだ満開なんだ」
下の方はもう葉桜なりかけだもんね、と真さんの少しのんびりした声。
「行きしは気付かんかったっす」
「まぁ、それどころじゃなかったからねぇ」
2人の会話に、少しだけ羨ましくなる。
(夜桜かぁ)
きれいだろうな。前世以来、見ていないや。
とても羨ましくなってしまってーー私はつい、目を開けた。
「わ、あ」
頭上を覆い尽くす、桜、桜、桜。満月の光が、ぼんやりと桜を照らし出してふんわりと、光る。桜の霞の中を通り抜けているようで。
桜と桜の合間に、皓々と光る、青白い満月。
まるで、それだけの世界かのように。
「きれい」
「お、華、目ぇ開けれたん?」
「うん」
微笑んでアキラくんを見た。横を歩いてくれていた。
「月も綺麗だしね」
真さんも、ぽつりと言う。
「はい」
「あ、ほんまや、満月やったんや。きれいやなぁ」
「ね」
それだけ話して、ぼんやりと桜を眺める。
しかしすぐに、桜並木が終わって、私は再び目を閉じた。怖くなってしまったから。
ふたりは、何も言わなかった。
しばらく走ると、道が平坦になって、車が行き交う音もし始めた。
「家まで送るよ。どの辺だっけ」
もうここは最後までお言葉に甘えよう、と「お願いします」と答える。大まかな場所を伝えると、「りょーかい」と言って真さんは歩き出した。
「俺も送るわ」
アキラくんもそう言って、それから「あ、電話」とふと立ち止まる気配。
「クソオヤジやん! 今更やっ」
ブツブツ言いながらアキラくんは通話に出る。
「遅いわっ!」
開口一番、そう言ったアキラくんのスマホの向こうから、文句っぽい感じで男の人の声が漏れている。なんて言ってるかまでは、聞き取れないけれど。
「公判? 調べ? 知らんわこっちも大変やったんや! ん? あー、もう帰るわ、おかんにも言うといて。んー。ほな」
「アキラくん、お父さん?」
「ん」
「帰らなくて大丈夫?」
なんの話かは分からないけれど、早く帰ってこいとかの内容なのでは?
「ダイジョーブや、俺信用あるからな」
「ほ、ほんと?」
じゃあなんの電話だったんだろう、と目を閉じたままアキラくんがいる方向(と思われる方)に首をかしげると、アキラくんが苦笑いする気配がした。
「ちゃうねん、俺、あのひとにも最初連絡しててやな」
「キミのお父さん、僕知ってるよ」
真さんのひそやかな気配。
「特捜のエースでしょ」
「そんなエライヤツちゃいますわ、ほんま必要な時に連絡取れんで」
ふんす、と鼻息荒くアキラくんは言う。……特捜?
「何してるひと?」
「公務員やで」
アキラくんはふんわりとした回答をくれた。こ、公務員?
「ほんまはあの人からなんとか警察動かしてもらいたかってんけど、ケータイも役所も繋がらんで」
「ま、華チャン無事だし、ケーサツ動いてたら返ってややこしかったかもだし」
結果オーライじゃない? と真さんは言う。
「けど、ま、正直今日中には警察に連絡取ってもらいたいけど」
「華、もし言う気になったら俺に連絡くれたら、オトンから知り合いのオマワリサンに言うてもらうから」
なんか凄い人っぽいんだけど……。でも、とりあえず私は小さく頷いた。
「ごめんね、なんか色々……」
「あんな、華? 俺も謝られたくないねんけど」
「えっと」
「ありがとうでええやん」
「えへ」
私は目を閉じたまま、笑う。
「ありがと」
「……おう」
少し照れたようなアキラくんの声。
真さんが「家、もう誰かいるの?」と言う。
「多分、まだです」
敦子さん、今日中には帰るとは言っていたけれど……。
「……待ち伏せとかないやんな?」
心配げなアキラくんの声。
想像してしまう。それは怖い。かなり。
(でも)
「大丈夫だと思う、ウチ、セキュリティすごいから」
「そうなん?」
「久保でも松影ルナでも、侵入しようとしてたりしたら、今頃大騒ぎだと思う……」
なんでも5分以内に警備員が駆けつける仕様になっている、らしい。
「なんか変だなってなったら、警備員さん呼ぶから」
「んー、せやったらええねんけど」
アキラくんは、まだ少し心配げな声で返事をした。
「ウチ来る? 千晶も心配してるし」
真さんの言葉に、私は軽く首を振った。さすがにそこまでは迷惑かけられない。……ていうか!
「千晶ちゃんも知ってるんですか!?」
「一緒に来たがってたけどね、危ないし、足手まといだから来ないでって言ったらさすがに大人しくなった」
「あ、足手まとい」
かなりのシスコンなはずの真さんが、そこまで言うなんて。
まぁ、千晶ちゃんを危険に晒したくない意図があったにせよ……やっぱり私が巻き込まれてたのって、かなり危険なこと、だったんだ。
改めて自覚して、私は小さく震えた。