悪役令嬢、目覚める
ぱちり。
深い、気持ち悪い眠りから覚めると、そこは知らない、暗い部屋だった。電気もついていない。
(え、どこ)
薄ぼんやりとしか見えない、辺りを見回す。
どこかの……、ロッジのように感じた。木造の建物で、木目がむき出しになっている。テレビがあって、ソファがあって、ローテーブルがある。簡易的なキッチンも備えられていた。
私は窓際に置かれた、簡素なパイプベッドに寝かされているみたいだった。
窓には分厚いカーテンが閉められていて、外の様子は分からない。
吹き抜けの二階部分、カーテンが閉められた窓の上とキッチンの上に大きな採光窓がある。その、キッチンの上の採光窓、そこから月が見えた。
大きな、満月。
その月光で、なんとか周りが見えるくらいの光量が確保されていた。
(私……? えっと。久保に)
状況を把握するにつれ、だんだんと冷静になっていく。
(久保に誘拐されちゃったの!?)
身体を起こそうとして、自分の手が後ろ手で縛られているのに気がついた。足も、だ。
(え。ウソでしょ)
足元を確認する。どうやら結束バンドのようだった。手もおそらく同じだろう。
(マジなの?)
流石に体も起こせない。
呆然としていると、ガチャリ、とドアが開いて、誰か入ってきた。
びくり、と反射的に震えてしまう。
「ああ、怯えないで……大丈夫」
久保の声だ。穏やかな猫なで声が、帰って恐怖を誘った。
「なにが大丈夫なんですかっ、とりあえずこれ、外してくださいっ」
「ダメ」
近づいてくると、なんとか表情が見える。
久保は、うっすらと笑っていた。
「そうだ、君に謝らなきゃいけないことがあって」
ぽん、と手を叩く。
「そうでしょうね、さぁこれ外して!」
私は久保を睨みつけて言った。
「ちがうよ、そうじゃなくて……君のお守り、君を車に乗せるときに外れちゃったんだ。拾ったつもりだったんだけど、なくて。怒るかい? 探してこようか?」
眉根を寄せ、いかにも困った、心配している、という顔。
「自分で探しますから結構! 私を家に帰して!」
「ああ、その気の強い話し方」
久保は、うっとりと続けた。
「やはり君はルナ様の言う通り"彼女"なのかもなぁ」
「…….ルナ様?」
松影ルナ!
(あの子が絡んでいるの!?)
「ま、松影ルナに言われたの? 私を誘拐するように、って」
その言葉に、久保は心底不思議そうに首を傾げた。
「そんなことは言われない。僕は自発的に、自主的に、僕自身の意思で君をここに連れてきたんだ」
「え、な、なんで」
「僕はね」
私の動揺などどうでも良さそうに、久保は一方的に話しだした。
「塾講師をしていたけど、…….専門は国語でね。特に古典が好きで、なかでも源氏物語はとりわけイイと思ってて」
平家物語も好きなんだけど、と言いながらベッド横のソファに座り込む。ソファはギシリと音を立てた。
「女の子を、小さい頃から自分好みに育て上げて、そして妻とするーー男の夢、じゃないかい?」
久保は胡乱な瞳で笑った。
理性のない、どろりとした目。
「……そ、そんなの、千年前の、しかも物語じゃない、本気にするなんて」
何とか言い返したが、嫌な予感がビンビンする。
(自分好みに育てる、ですって?)
「ふふ、すぐ言い返してくるところなんか"彼女"そのものだ」
久保はどろりと笑った。
「"彼女"の魂を持つ君を、僕好みの女性に育て上げてあげる」
「は!? さっきから本当に、なにを言っているの」
「"彼女"のことは本当に愛していたけれど、反抗的なところが、ちょっとね。だから、殺してしまったんだ」
「ころ、して……?」
ぞくり、と背中に悪寒が走って、私は少しでも久保から距離を取ろうとする。
しかし、ほとんど身体は動かない。
「殺しちゃったんだ……あ、でも、僕自身ではないよ」
久保は立ち上がり、ゆっくりこちらへと歩いてくる。
「前世の僕だ。前世の僕は"彼女"を殺してしまった、"彼女"の本当の気持ちに気づきもせず……ごめんね?」
久保は、私の髪にそっと触れた。
(ヤダヤダヤダヤダ!!)
私は涙目になって、その手から逃れようとする。
「ほら、また逃げようとする」
久保は困ったように笑った。
そして、その名前を呼んだのだ。
かつて、前世で、私が呼ばれていた、その名前を。
「……え?」
呆然と久保を見上げる私を見て、久保の顔面が歓喜にゆがんだ。
「あ、あ、あ、やっぱり、やっぱり君なんだ、君だったんだ。ルナ様の言う通りだ」
叫ぼうとした。
しかし、私の喉は、ヒューヒューと音を立てるばかりで。
(やだ)
私の頬を、涙がぽろり、と伝うのが分かった。
(やだ、やだ、やだ)
久保は愉悦でグシャグシャになった顔を近づけてくる。
「ああ、君だ、やっと会えた、やっと会えた」
そう言いながら、久保がベッドへ登ってきた。ぎしり、と安物のパイプベッドは軋む。
私は必死で首を振る。こないで、と叫びたいのに声が出ない。歯の根が、噛み合わない。
「まだ青柳」
久保は目を三日月のようにして笑う。
「すぐに咲かせてあげる、乱れ咲く樺桜にしてあげる」
久保の手が、私の頬に触れなんとした時ーーガシャン、とガラスが割れる音がした。
キラキラと、ガラスの破片が月光を反射する。採光窓が割れたのだ。
「ひと〜つ、不埒な悪行三昧」
「そら二つ目っすわ」
「細かいなぁキミ」
「いや折角の登場シーンやのにセリフ間違えたらあかんでしょ」
そこには、月を背にしたふたつの人影。
1人は、バットを肩にかけるように持っていた。アキラくんだ。
「華、すまん待たせたなぁ」
笑ってるけど、……ガチギレすると笑っちゃうタイプなんだと初めて知った。離れてても伝わってくる怒気。
「久保センセったら、古典の授業ですかー」
真さんは……分からない。怒ってるのか、楽しいのか。
「楽しそうだね、僕も混ぜて」
真さんが、月を背負ってチェシャ猫のように笑った。