悪役令嬢、現実に直面する
アキラくん退院の日。
「ほな、これ電話番号。中学入ったらスマホ買うし、そっちの番号はまた」
「うん。これ私の新しい住所、だって」
病院のエントランスで、アキラくんとメモを交換した。
「華ちゃん、これからも仲良うしたってね」
アキラくんのお母さんがにこりと笑う。私も笑ってうなずいた。『華』になって、初めての友達。
(絶対大事にしよう)
前世の記憶だの、検査だの、そもそも入院だので荒れ気味だった私の心が何とか平静を保てていたのは、アキラくんとのひと時があったからだ。
(ほんっと、超感謝だよね)
自動ドアから名残惜しそうに出て行くアキラくんに、苦笑しつつ手を振る。
(せっかく退院できるんだから、楽しく行けばいいのに)
すっかり姿が見えなくなってから、メモを開く。
『山ノ内 瑛
住所 横浜市青葉区……』
(ん?)
私はその名前を凝視した。
(えっ、ヤマノウチ、アキラ? え、アキラってこんな漢字書くの……?)
そして私は呟いた。
「攻略対象じゃーん……」
たしかに、いた。同級生枠で。関西弁のチャラい金髪。
(いやだって、金髪でもなかったし……ってそりゃそうか、染めてないなら黒髪だよね。まだ小学生なんだし)
私はふうううう、と息をついた。
まさかの展開だ。
それとも、ただの同姓同名?
(ちょっとまって、まとめよう)
私はひとり、口に手を当て考える。
(あのゲームの攻略対象は、ヒロインから見て先輩ひとり、同級生ふたり、先生ひとり、の合計4人)
指折り数えた。
(ゲームの始まりはヒロインの高校入学と同時。華は、ヒロインより学年がひとつ上だったはずよね)
記憶の底から、必死にゲームの記憶を引っ張り上げてくる。
(そして、アキラくんはヒロインと同級生……だから、アキラくんは私より1つ年下になるわけだ、よね)
てことは、華は四月から中学二年生なわけ、か。
しかし、正直言ってハッキリ思い出せるほどの記憶がない。
(そんなにやりこんだゲームってわけでもないし、結構前だったし)
とにかく、平穏無事に「設楽華」として生きていくためには「ヒロイン」及び「攻略対象」とは敵対しないことが肝心だ。
(少なくとも、アキラくんに関しては何とかなりそう。もし、本当にあのアキラくんが攻略対象だとして。高校で再会したら、ヒロインとのキューピッドでも何でもしてあげたらいいんだわ、うん)
そう気を取り直して、病室へ帰る。実のところ、私も荷造りをしなくてはならない。
退院が明日に決まったのだ。
そもそも記憶が無い以外は、華は大した外傷もなく健康ピンピンなのだから、いつ退院しても良かったんじゃないかなと思う。
身寄りというか、引き取り手さえあれば、だけれど……と考える。
(身寄り、ね……、確かにおばあちゃんだけだったはずなのだけど。何か思い出せない、気もする)
うーん、と首をひねるが何も浮かんでこない。
(仕方ないか。とりあえず荷造りしよう)
まぁ、といっても、大した荷物はない。
最低限の着替え(誰が持ってきてくれていたのだろう?)と、入院の原因になった事故(だと聞かされている)当時持っていたカバンだけ、だ。カバンの中身も、意識が戻った日に確認した通り、サイフとハンカチくらいのもの。
まだ携帯は待たされてなかったらしい。
(なんか、……色々と「華」に対する謎は多い気がする)
現時点で分かっているのは「横浜に住んでいたこと」「今回の"事故"で母親を亡くしたこと」「両親は駆け落ちだったこと」だけだ。
(まぁ、前世アドバンテージな記憶があるっちゃあるけれども)
そのゲーム知識として追加するなら「祖母(恐らく常盤さんのこと)以外に身寄りがない(ハズだ)」「とんでもワガママお嬢様で、ヒロインに嫌がらせしたあげく退学」もあるけれど……
(常盤さんもお医者様たちも、何か隠している感じはあるーー)
む、と少し眉をひそめてみる。
(まぁ、華の記憶ないからどうしようもないんだけどさ~)
ちょっと諦め気味である。
その時、ふと気付いた。
公衆電話。
(この世界は、私がいた世界とどう違うのだろう)
私が「華」になっている以外、ほとんど記憶の通りだ。
(もしかして、……同じだったりしない?)
勝手に「転生したのだから別の世界」だと思っていただけで、もしかしてここが「前世」と地続きの可能性だって、あるーー。
どくどくと脈が速くなる。
もしそうならば。
(……そうであってくれさえすれば、)
このどうしようもない現実感の無さから、解放される、のかもしれない。
10円玉を投下して、ちょっと迷って実家の電話番号を押した。
しかし。
『この番号は現在使われておりませんーー』
「……押し間違えたかな」
もう一度、試してみる。
結果は同じ。
『この番号はーー』
「……もしかして家電解約したかな。もう携帯しか使わないって言ってたもんね」
ぽたり、と何かが手に落ちた。
(ちがう)
私は頭を振った。
早足で電話から離れる。
その間も、涙は止まらない。
(わかってる)
やっと見つけた、人気のない廊下の片隅のソファに、思わずしゃがむように座り込む。
(ほんとは、わかってる)
しゃくりあげた。
涙は止まりそうになかった。
(ここが、私がいた世界ではないってこと)
鼻水まででてきた。
きっとひどい顔をしている。
コンビニに並んでいた、たくさんのお菓子。
ひとつとして、知っているパッケージは無かった。
(ひとりだーーこの世界に"私"を知ってる人はいない)
それは、急に襲ってきた、ひどい孤独感だった。
目が覚めてからは驚いたり考えたりすることばかりで、足が地に着かない状態だった。
薄い膜のような現実感。
感じられないリアル。
それが、少しずつ慣れて、そして、さっきの電話の件がダメ押しだった、と思う。
現実をハッキリ突きつけられるとーーもうダメだった。
(怖い怖い怖い。何が起きてるの)
丸まって、震えるように泣いていた。
怖くて。孤独で。寂しくて。辛くて。不安で。
(なんの因果で、こうなっているの。私はこれから、悪役令嬢になっちゃうの? 運命的に? そして悪者になって、皆んなに嫌われて、そして終わるの?)
「そんな運命、やだぁ……」
ぼろぼろと涙が溢れる。
(私、そんなに前世の行い、悪かったかなぁ……)
何度も、しゃくりあげる。
息がしたくて。できなくて。
だから、私を呼ぶ声がしたことに、私は最初、気がつかなかったのだ。
「ーー華?」
呼ばれた声に恐る恐る振り向くと、アキラくんが呆然と立っていた。