悪役令嬢はスポーツ観戦が好きなのかもしれない
「あの白い線より先で手を使っちゃいけないんだよね」
サッカーについて、知ってることは数少ない。この間樹くんに教えてもらった、おそらく基礎的な……というよりは常識的な(のかもしれない)ルールくらいだ。
(ま、手を使わない、くらいは知ってたけど)
人数も11人だってちゃんと知ったのは樹くんに教えてもらってからだ。
あとは中途半端に理解してるオフサイドと、フリーキックとコーナーキックがあるってことくらい……。フリーキックには直接と間接とあるらしいけれど、もうあんま覚えてないや。
そんな感じのフワフワした知識で観戦に来たのに。
「が、がんばれーっ」
気がついたら、大声で応援していた。
(た、楽しいっ)
後半に入ってなお両チーム無得点、って試合なのに、展開がはやくてテンションがおちつかない。
「ていうか、樹くん服装違うね〜」
今更だけど。
「き、キーパーですからっ」
横の席にいる竜胆寺さんは、試合から目を離せないのか、私を見たりピッチを見たりしながら忙しそうに答えてくれた。
ちなみにこの学校、ものすごく立派なグラウンドがあって観戦用のベンチまで設置してある。
(さすがおセレブ学校)
って、別にそれはどうでもいいんだけれど。
「どうして?」
「手を使った時に審判から見てすぐ分かるようにでは」
「あ、そか」
バレーもリベロはユニ違うもんね。
「ふーん……あ、チャンス〜!」
「あ、あーっ」
竜胆寺さんは叫ぶ。……もしかしてサッカー好きなのかな?
「竜胆寺さんってサッカー好きなの?」
「サッカーというより、スポーツ全般の観戦が趣味、でっ……なんでそこでパスを戻しますの!?」
完全に熱くなってる。私は少し微笑んで、ふと樹くんに視線を戻した。ひとりだけユニフォームがちがう樹くんは、真剣な顔でじっと試合展開を見据えていた。
(暇ってわけじゃないんだろうなぁ)
普段見られない顔をしてて、私はなんだか不思議な気持ちになる。
樹くんは、普段とても穏やかだ。顔つきは厳しめ(目つきが悪い、と本人はいうけれど要は精悍なのだと思う)だけれど、ご両親と離れて育ったからかとても大人びてて……まぁ、これは我慢してるとこが大きいとは思うんだけれど。
(おっとりしてる感じのとこもあるんだよなぁ)
やっぱりそこは、お坊ちゃん育ちだし、とは思う。とにかく樹くんが、感情を大きく外に出したり声を荒げたりしてるのを、私は今まで見たことがなかった。淡々と怒ってる、とかなら見たことがあったんだけど。
(だから、……すっごい新鮮だ)
大声でチームメイトに指示を出したり、ピンチの後に険しい声で守備の修正に苦言を呈してたり(言い返されたりもしてる!)逆にこっちのチャンスには大声で鼓舞したり、どうしようもないミスには笑顔でフォローしたり……、で、うん、要は樹くん、やっぱりふつうの少年なんだよなぁ。
(……逆に寂しい、かもね)
素の樹くんを見せてくれてなかったのかな? なんてことも思ったりしてるうちに、試合が大きく動く。ぎゅう、と竜胆寺さんに抱きしめられた。
(うわわ!?)
ひとり、戸惑う。
「ぴ、PKですわ、ど、どうしましょう設楽様っ」
がくがくとゆさぶられる。わぁあ。
「樹くんが止めるんじゃないかなぁ〜」
「そんな悠長なっ」
「だ、だめなの?」
「PKはキッカーが圧倒的に有利なんですのっ」
竜胆寺さんはそう言う。私は樹くんをじっと見つめた。唇を真一文字にして、緊張気味に眉を寄せてた樹くんが、ふと、視線をこちらに向けた。この試合中初めてのことだ。目が合う。
(がんばーれー)
とりあえず念を送って微笑んだ。樹くんは少し驚いた顔をして、それから目線を戻して、軽く目を閉じた。それからふ、と目を開ける。リラックスしたように見えた。つまり、余計な力が抜けたような。
審判が笛を吹いて、ボールが蹴られたと同時に樹くんが横に飛んだ。
「きゃああ!」
竜胆寺さんが叫ぶ。私は一瞬呆然として、それから何か熱いものに急き立てられたかのように竜胆寺さんを抱き返して立ち上がった。
樹くんがボールを弾いたのだ。
「ナイキーっ」
ナイスキーパーの略らしいそれを叫んで、私はへたりとベンチに座り込んだ。それから、どきどきしてる心臓を抑えて思う。
(かっこいいじゃん、ねぇ)
横目で竜胆寺さんをチラリと見た。頬を赤くして拍手を続けてる竜胆寺さん。
私ももしかして、結構スポーツ観戦好きなのかもなぁ、なんて思う。
(だってこんなにドキドキしてる!)
竜胆寺さんに色んなスポーツについて教えてもらうのも楽しそうだなぁ、なんて思ったり。ついでに仲良くなれたりするかなぁ。
試合後、応援席まで挨拶しに来てくれた樹くんたちに私は「お疲れ様でした」と挨拶を返す。
「華」
「あ、樹くん」
私は微笑む。
「すごかったねー」
「そうか?」
試合後の、少し蒸気したままの顔でそう言われる。
「うん。かっこよかった」
素直に感想をもらすと、樹くんはものすごく難しい顔になる。
「あは、照れてる」
「……む」
樹くんは難しい顔のまま、なぜだか私にタオルと飲みかけのペットボトルを預けてコーチさんたちの方に戻って行ってしまった。
「……これなんだろ」
洗うの? 洗えってこと? 観戦料?
ぽかん、とタオルを見つめていると竜胆寺さんが「さすがですわね」と微笑んだ。
「ちゃんとラブラブアピールですわっ」
「これラブラブなの?」
よく分からないですよ。
(ていうか、そもそもラブラブではないのです)
別に。だって許婚っていってもこれといって何かあるわけじゃないですし。
とりあえず樹くんが取りに戻ってくるまで、私はベンチで膝にそれらを乗せて待っていたのでした。