黒猫お兄様、合流する
「むかし、この江ノ島の対岸の村に、龍が出たそうなんだよ」
生しらす丼か、釜茹でしらす丼で散々迷って、ハーフハーフにしようと決めた私です。
しかし分からないのはこの状況なのです。
「……龍はどうでも良いのですお兄様。なぜいるのですお兄様」
意気揚々とお店に入ると、中央の席には「予約席」の札が。そしてそこに陣取っていたのは千晶ちゃんの「グケイ」こと、エゲツなく綺麗な黒猫みたいなお兄様の、鍋島真さんだった。
「やぁ」
その、手をあげる仕草さえいちいち優雅だ。思わず見とれてしまいそうな、アルカイックスマイル。
しばし呆然としたあと、絞り出すような低い声で「なぜいるのです」と呟いた千晶ちゃんは、続けてまた口を開く。
「まさか、その予約席はわたくしたちの分ではありませんよね?」
「あっは、バカだなぁ千晶」
真さんは楽しそうに笑う。
「もちろん君たちの席だよ」
「みなさん申し訳ありません別のお店にしましょう」
千晶ちゃんは思い切り眉根を寄せて言った。
「このど変態シスコン兄貴、わたくしに嫌がらせするのが至上の喜びなんですっ!」
「えーと、鍋島サンのオニーサンなんやんな? すごい言われようやな」
アキラくんが不思議そうに会釈して、真さんは優雅にそれに返した。千晶ちゃんは「むっ」という顔をする。
「というか、なぜこのお店に入ると分かったのですかっ!?」
「ふふふ」
真さんは笑う。
「企業秘密」
しい、と人差し指を立てて唇の前に……。さっきアキラくんにされた時も思ったけど、イケメンだとこういう何気ない仕草でもやたらと絵になるんだよなぁ。
それはそれとして、私は結構、いや、かなり驚いていた。
(た、たしかにっ)
私はジッと真さんを見つめた。
(このお店に入ったのは、偶然だ……)
だって、本当にたまたま目に付いただけなのだから。
当の真さんは私の驚愕などしってか知らずか、なんだかやけに牧歌的な口調で幸せそうに呟いた。
「うーん、しかし、妹に変態呼ばわりされる日が来るとは」
にっこり、と真さんは笑った。
「最高だ」
千晶ちゃんは無言でおでこに手を当てた。
「さて、本当に別のお店にするの? 本当に?」
真さんは優雅なのにニヤニヤしてる。どうやったら優雅にニヤニヤ笑いができるのか……顔の作りなんだろうか。
「となりのヨダレ垂らしたお嬢さんは果たして他のお店で行列に耐えられるかなー」
「へっ!?」
私はびくりと肩を揺らした。わ、私のことですか!?
ひよりちゃんは一歩後ろにいるから、隣、だと私しかいない。
(け、けどっ、ヨダレなんか……)
一応、ぬぐう。一応ね。
「どういうことです、行列って」
千晶ちゃんが尋ねる。真さんは肩をすくめた。
「気がつかなかったかい? 今さっき、君たちの後ろから来てた団体客数組が通過して行ったよ」
「えっ」
「今にもお腹空かしてぐうぐう言わせてるお嬢さん、いいの?」
真さんは微笑む。
「このお店以外だと、すっごい並ぶけど」
「ぜんぜんべつにっ、平気で……」
平気です、と断言しようとした矢先、私のお腹は「ぐう」と鳴った。
「ひ、ひゃあ」
「……華ちゃん」
千晶ちゃんは申し訳なさそうに私を見た。
「ここにしよっかー」
「えっぜんぜんっ、全然移動……」
私の言葉は、ひよりちゃんの「……ここで食べよ?」という小さな声に阻まれた。
「へっ?」
「なんでお兄さんが予約してくれてたのかは知らないけど」
にっこり、とひよりちゃんは微笑んだ。
「ここで食べよう?」
私は「わぁ」と息を飲んだ。だって、ひよりちゃんの目が、完全に恋する女の子の瞳だったから……!
「ひ、ひよりちゃん」
千晶ちゃんはワタワタと手を振る。
「あ、あのね、あのねこの男は」
「はいはい決定決定〜! すみません注文お願いしまーす!」
真さんはサッサと店員さんを呼ぶ。
(ありゃー)
ちらり、と千晶ちゃんを見ると、おでこに手を当てて「こうなったらショウガナイ」って顔で頷いた。とりあえずは、ここでご飯らしい。
私は予定通り、生しらすと釜揚げしらすのハーフハーフ!
千晶ちゃんも一緒。
アキラくんは、やはり海鮮丼にしていた。ひよりちゃんも。
まぁ、マグロの魅力の前にはね、仕方ない。
「……ちょっとお兄様?」
「なんだい千晶」
「ここまで来て、なぜ親子丼なのです……!」
「? メニューにあったから」
至極当然のように答える真さん。……間違っちゃいない、まちがっちゃ、いないんだけれど! でも! 観光地なのに!
(まぁ地元だから)
いつでも食べられる、ってことなのかもしれないけどさ、と思いながら、私はしらす丼を前に手を合わせた。
「いただきまーすっ」
超〜おいしそうです!