悪役令嬢、プチパニック
「おー、めっちゃ来よる」
ばしゃばしゃと勢いよくやってきては、パクパクと口を開け、次々にエサを食べていく錦鯉たち。
アキラくんは次々にエサを放っては、ご満悦な表情を浮かべていた。
「あんな、鯉は喉に歯ァがあるんやで」
おじさん(アキラくんいわく、"管理人")は、楽しそうに餌やりをするアキラくんを眺めて楽しそうに話し出した。おじさんも関西弁。
「えっほんまに!? ノド?」
「ほんまほんま。ほんで、ものすごい力が強いんや。10円玉くらいなら曲げられるらしいで」
「めっちゃ強いやーん! やばっ」
アキラくんは(何が嬉しいのかよく分からなかったが)おじさんから聞いた鯉ウンチクで更にテンションを上げていた。
(小学生男子ってかんじー。可愛い)
私はその様子が、なんだか微笑ましくて、つい一歩引くように眺めていた。
「華ちゃんはやらんの?」
おじさんは私にも餌やりを勧めてくれたけど、私は「眺めてるだけで楽しいから、その分アキラくんにさせてあげてください」と遠慮する。
おじさんは、にこりと笑ったあと、呟くように言った。
「アキラくんの表情が、あの女の子たちと居る時と全然違うなぁ」
「あの女の子たちって、……ああ、なんかキャピキャピ言ってる?」
「キャピキャピって……、今日日の若い子でも使うんだねぇ」
(ウッソ、キャピキャピって、死語?)
ウフフ、と笑ってごまかす。切ない。
「まぁ、その子たちやね。アキラくん、大人びた態度で相手してるけど、目ぇ死んどるもんな」
「目が」
「せや。やから、華ちゃんおってくれてほんまに良かったと思うで、おじさんは」
「そう、ですかねぇ。私、アキラくんに助けられてばかり、で」
ハイテンションのアキラくんを眺めながら、2人で並んで話す。
「友達なんて、そんなもんやね」
おじさんは微笑んだ。
「支えられてるようで、支えてるんやね」
私もつられて微笑み返した。
その時だった。
「華ちゃん」
担当の看護師さん、田中さんがひょいっと顔を見せた。
「親戚の方がいらしてるよ……って、院長。何してるんですか?」
「餌やりや」
ちょっと口を尖らせたおじさんを二度見する。
(い、院長!?)
そんなお偉いカンジの方だったなんて。
「仕事してください」
「もうちょいしたらな……華ちゃん、行っといで」
「えっ何々!? 華どこ行くん」
アキラくんが鯉から目を離してこちらを勢いよく振り向いた。
「なんか、お見舞いっぽい」
「あ、ほんま? ほなまた後でな、部屋行くわ」
「うん」
軽く手を振って、田中さんについて歩く。
(おじさん、院長先生だったんだ……、白衣着てないから、お医者さんとも思わなかった)
先入観って面白いなぁ、などと考えつつ、田中さんの後を緊張しながら歩く。
(おばあちゃん、なのかな。ゲームと同じルートを歩むの、かな)
ゲームでは、さんざん甘やかされてワガママお嬢様になった華は、許婚の男の子に近づくヒロインが許せずに、ヒロインに対し様々な嫌がらせを行ってしまう。それが故に、放校の上、家を勘当されてしまっていた。
(露頭に迷う、つまりは破滅エンド……これは避けたいっ)
実は前世でも結構トラブルは多かったのだ。
特に恋愛関係は。
(ずっと付き合ってると思ってた人に「ごめん、結婚するからもう会えない」とか! 付き合った途端に「実は嫁と子供いるんだよね」とか! なぜか私いつも気がついたらセカンド彼女になってたのよね……)
悲しい過去である。
その度に暴飲暴食に走り、そしてまたダイエットに励む日々。
(だから! 今世はトラブルなく、普通に、ふっつうに過ごしたい)
そう決意しつつ、田中さんに続いて病室に入った。
ベッドサイドの椅子に、上品な女性が腰掛けていた。
(……? おばあちゃんにしては若い、気もする)
誰だろう、といぶかしんでいると、その人はにこりと微笑んだ。
「来るのが遅くなってごめんなさい、私は常盤敦子といいます。あなたのお祖母様の従姉妹にあたります」
「……おばあ、ちゃんの、いとこ?」
「とりあえず、座ってちょうだい。長くなりますからね」
私がベッドに腰掛けると、田中さんは病室から出て行った。
(2人ってなんか、気まずい)
そんなに近い親戚でもないみたいだし、とチラリと敦子さんを見上げる。
「事情はおおむね了解しています。……記憶がないのですって?」
「はい」
「……そう。では簡単に説明するわね。あなたの……お母さんは、その」
「あっ、えと、亡くなったのは知ってます」
「そう、なの?」
常盤さんは驚いたように目を見開いた。
その瞳が気遣わしげに揺れて、ああこの人は優しい人なんだな、と感じた。
「はい。お父さん、がいないことも」
「……そうですか」
常盤さんは髪をかきあげ、少し迷ってから「では、単刀直入に」と前置きしてこう続けた。
「あなたのお母さんは、あなたのお父さんと駆け落ちをして結婚しました」
「か、駆け落ち?」
「そう。あなたのお祖母様は、結婚を許せば良かった、と最期まで悔やんでらっしゃいました」
「さいご、って」
「昨年、鬼籍に入られています」
「きせき?」
「……亡くなられたということ」
(………えええええええええ!?)
私はプチパニックに陥って、両手で顔をおおった。
(えっえっじゃあそもそもゲームのシナリオ展開と違うくない!? どういうこと!?)
「なので、私のところまであなたの話が来るのに時間がかかってしまって。……不安だったでしょう」
そう言って、常盤さんは私の手をぎゅっと握った。
「できれば、あなたを私の孫として引き取りたいと思っているのだけど」
「……あ」
(もしかして、ゲームの華の祖母、もこの人?)
だとしたら、これはゲーム通りの展開なのかもしれない。
けれど。
(他に、選択肢はきっとないのよね)
華には、他に身寄りはないのだから。
「で、きれば。お願いしたいです……」
消え入りそうな声でそう告げると、常盤さんは「嬉しいわ」とニコリと笑った。
「ただ、ここからは引っ越すことになります」
(え、そうだっけ。あのゲームの舞台ってどこなんだろ)
私が首をかしげると、常盤さんは「鎌倉です」と言った。
「鎌倉、ですか」
前世で一回、観光に行ったかな、レトロな喫茶店のプリンが絶品だったよなぁ。
「引越しの手配はこちらで、」
常盤さんの言葉に頷いていると、突然ガラリ! と扉が勢いよく開かれた。
「あかんあかんあかーーーんっ」
アキラくんだった。
常盤さんは驚いた表情で見つめている。
「嫌や華、引っ越さんといてや! 退院したら遊ぶ言うたやないか」
「あ、アキラくん」
聞いていたのか。
とりあえず駆け寄る。
「せや、うち来たらええわ。大家族やから、華ひとりくらいかまへん」
「そ、そういうわけにもいかないんじゃないかな」
首をかしげる。
アキラくんは、ひどく悲しげな顔をした。
「せっかく友達になれた思うたのに」
(そ、そんな顔をされるとっ)
精神的アラサーの身からすると、小さい子をいじめているような錯覚におちいる。
「で、でもアキラくん、鎌倉だよ?」
「へ?」
「そんなに遠くじゃない……」
「なんやぁ!」
アキラくんはホッとしたように笑った。
「引っ越し言うから、どこまで行くんかと思うた」
「ね、遊ぼうね」
にこっと微笑むと、アキラくんは嬉しそうに頷いてくれる。
「……お友達、作るの上手いのねぇ」
それを見て、常盤さんは感心したように呟いた。