サッカー少年は選ばれる
「そういえばだな」
見切り品ショートケーキを「なかなか美味い」「あら結構美味しい」ともぐもぐし終わった後、のことだった。
樹くんが、思い出したかのようにポツリと言ったのだ。
「ナショナルトレセンに選ばれたので、来週の土日で鹿島に行ってくる」
「なしょなるとれせんにえらばれたので土日にかしま?」
単語が一個も入ってこなかった。来週の土日しか分からない。
「うむ。選んでいただいたのだから、少しでも技術を吸収して」
「えっごめん、とれせん分かんない」
「ああ」
樹くんは気づいたように笑った。
「すまん、嬉しくて浮かれていた。まだまだだな、俺も」
「うん」
首を傾げ、続きをうながす。
「簡単に言うとだな」
「うん」
「15歳以下の日本代表だ」
「あー、あー、はいはい15歳以下の」
うんうん、と頷く私。
「うむ、それでな」
「15歳以下の日本代表おう!?」
私は勢いよくソファを立ち上がった。
「なななななななにの!?」
「? サッカーだが」
「えっ凄くない!? 凄いよ!?」
「うむ、運が良かった」
「運とかじゃ……へぇー」
私はぽすり、とソファに座りなおした。
「頑張ってたもんねぇ、サッカー」
毎日毎日泥だらけになってさ。
ちなみに樹くん、キーパーらしい。
「まぁ、な」
少し照れたように、眉をしかめる樹くん。相変わらず照れると少し怖い顔になる。
(照れ隠し、なんだろうけど)
くすり、と笑ってしまう。
「そういえば、一回も試合とか見たことないなぁ」
「この土日はまぁ言うなれば練習会みたいなものだが」
樹くんは紅茶を一口飲んでから、続けた。
「これから部活でも夏大会が始まる。良ければ。その……、観に来てもらえると、嬉しい」
相変わらずの、怖い顔でそう言う樹くん。
「うん、もちろんだよー! 応援行く!」
私は手をぐっと握りしめて言った。
「ルールよくわかんないけど!」
「そんなに難しくない」
「9人だっけ?」
「そこからか」
そのあとしばらく、樹くんからサッカー談義を聞いたけど、分かったような分からないような。
樹くんを運転手さんが迎えに来て、食器を食洗機に入れちゃうと、敦子さんは音楽をかけた。
イタリアオペラが好きらしいので、きっとそんなやつだろう。何回聴いても、良く分からないし、なんなら眠くなる。
しかし、今日の曲は聴いたことがあった。
「敦子さん、これは?」
「ああ、これは有名よね」
敦子さんは少し微笑んだ。
「"椿姫"の"乾杯の歌"よ」
「つばきひめ」
「まだ、華には早いかしら」
敦子さんは面白そうに言う。
「身分違いの恋の話、よ」
敦子さんは少し、遠い目をして言った。
(そんな恋を、していたのかな)
確か、椿姫は、恋に落ちた娼婦と貴族のおぼっちゃんの話、だったような気がする。
(敦子さんは超お嬢様育ちだろうし、もしかしたら若い頃、普通の男の人と恋をしてしまったことがあるのかも)
椿姫とは、逆だけど。
(そうなると……華のお母さん、もだよね)
駆け落ちしたくらいだ。
(そうだ、お母さん……の、話)
私は、ちらりと敦子さんに目線を向けた。
足を組み、優雅に紅茶を飲みながら、雑誌を眺める敦子さん。
(聞くなら、いま……かな?)
知らず知らず、手に汗をかいている。
(でも)
「あ、敦子さん」
「なあに? 華」
雑誌から顔を上げ、微笑む敦子さん。
(……だめ、だ。そんな心配、かけられない)
顔を見ると、やっぱりダメだった。
("私のお母さんは殺されたんですか?"なんて、聞けるわけ、ない)
私は、曖昧に微笑んだ。
「えーとえーと、あ、敦子さんご結婚て」
敦子さんの眉間に、瞬時にして、シワが寄った。
「してたわよぉ? オンナ作って出て行ったけどね!」
ぷんすか、と言う言葉がぴったりな様子で口を尖らせる、敦子さん。
(あ、気が合いそう)
前世の姿でなら、美味いお酒が飲めただろうなあ、とちょっと思う。
「あのね華、オンナに年齢と婚姻歴の話はタブーよ、いえオンナだけじゃなく誰に対しても」
「は、はい……いやその、椿姫のくだり。遠い目をしてたから、好きな人でもいたのかなって」
「あらヤダ」
敦子さんは目を瞬かせた。
「してた?」
「してました」
「あら」
敦子さんは、笑った。照れたように、幸せそうに。
(……恋してる顔だわ)
「……青春、だったのよねぇ。まだ、高校生のころよ」
うっとりと、そう言う。
「自転車に2人乗りして、満開の桜並木の下を、夜桜よ、満月だったわ、いまもハッキリ覚えてる」
「へぇ」
「今は2人乗り、だめなんでしょ?」
「危ないからですね」
「情緒がないわ~」
「危ないですもん」
そういうもんかしらね、と、再び口を尖らせる敦子さん。
「でね、帰ったらお母様に大目玉。お父様には雷落とされて。時代が時代で家が家でしょ、嫁入り前の娘が男と2人で出かけるなんて、って」
敦子さんは肩をすくめた。
「反対されれば、反対されるほど、あたしたちは燃え上がって。夏には、駆け落ちの真似事のようなことまで……でも"はかなく、すぐに去ってしまうのが恋のよろこび"なのよ、華」
少し寂しそうな目で続ける。
「彼は京都の医大へ進んで、あたしは……、こっちで、決められた人と結婚したの」
「そう、だったんですか」
「青春だったわ~~」
あー、と言いながら、敦子さんは大きく伸びをした。
「はぁ、でも……華は、どんな恋をするのかしらね?」
敦子さんは、悪戯っぽく、微笑んでから、ふと表情を変えてこう続けた。
「あたしとしては、このまま樹くんと幸せになって欲しいわ」
「はぁ……」
なんだか、意味深な表情。
曖昧にしか、返事ができない。
(だって、樹くんは、もしかしたらまだ見ぬ"ブルーローズ"のヒロインに、恋をしちゃう、かもだし、しないかも、だし)
うーん、と悩んでしまう。
(だって未来は、どうなるか分からない)
以前は、これは"ゲーム"をもとに構成されている世界なのだから、シナリオ通りに進むのでは、と考えていた。
(でも、松影ルナ)
あの子が現れてから、どうもそうではないのではないか、と考えるようになったのだ。
(ヒロインをもってさえ、"実験"をしなくてはならない世界。つまり、ヒロインでさえ、何でもかんでも、思う通りには進んでいないんだ)
もちろん、シナリオが始まれば、そこに乗る"運命"も、ありえるのかもしれないけどーーどうも違うのではないか、とも感じる。
(まだ、分からないけど、でも……少なくとも、私は"運命"通りになんか、進んでやらない)
だってここは、ゲームなんかじゃなくて、現実なんだから。