悪役令嬢は知ってしまう
その日の宿題は、いわゆる「調べ学習」というものの日らしかった。
(とはいえ、タブレット……デジタルなのね! 時代って感じ……)
私が前世で中学生してた頃は、新聞やら辞書やら使ってたけどなぁ、などとこっそりひとりごちつつ、私は図書館でタブレットをいじっていた。ひとりにひとつ、配布されたタブレット。
(豪勢だよなぁ)
しん、とした図書館。近くのテーブルで本や教科書をめくる音が聞こえる。
(何食べようかなぁ)
宿題をしてる……とはいえ、私の心はすでにスイーツへ飛んでいた。
ひよりちゃんの「えげつない」放課後レッスン、今日は早めに終わるらしくて、この後2人でカフェ巡りをする予定なのです。うふふ。
「何しよるん?」
ふと背後から、聞き覚えのある声。
「あれ、アキラくん」
私は振り向いた。
「部活は?」
「今日ミーティングやねん、顧問のセンセの職員会議終わり待ちや」
とすん、と私の横の椅子に座って、にっこりと私を覗き込む。
「そーなんだ、私は宿題中」
答えながら、タブレットを見せた。
「調べ学習的な」
「総合なー」
「この街の歴史について、ってお題にしたんだけど」
うーん、と腕を組んだ。
「なにかある? 鎌倉幕府以外で」
「なんでそこ外すんや」
むしろこの街他にないやろ! と突っ込まれた。
「や、他にもなんか色々あるんだって。文豪が愛した土地だとか、戦後の街の発展だとか。それがルールなの」
「まぁ鎌倉幕府いれたら全員それになるやろうしなぁ、うーん」
めんどくさそうな顔をしつつ、真剣に考えてくれるアキラくん。やっぱり友達思いな子だよなぁ、と改めて思いながら、「だねぇ」と返事をする。
「あ」
ふとアキラくんが思いついたように言う。
「何日か前の社会の時間に、先生がこのあたりでも木簡が出土してますって言うてたわ」
「木簡てあれ? 木に文字が書いてある」
奈良時代とかの。
「そーそー、それそれ」
「へー。それにしようかな」
タブレットで、地名と木簡で合わせて検索すると、すぐヒットした。
地元新聞のサイトにも上がっているけど、大手新聞のサイトにも載っている。
結構大きなニュースだったみたいだ。
(日付は……去年の3月か)
とりあえず大手新聞のサイトを開く。
「見つかったん?」
「うん」
覗き込んでるアキラくんをを横目に見つつ(なんか距離近い!)なんとなく記事を読みながら、記事を下にスクロールしていく。
記事の1番下までたどり着くと、すぐ下に「関連」の項目があった。他の記事へのリンクだった。
「他にも記事あるかな?」
同じ木簡に関する記事、別のところから出土した木簡の記事、それから同日に起きた事件の記事。
スクロールしようとして、謝ってリンクをタップしてしまう。
「あ、変なとこ押しちゃっ……」
言いかけて止めたのは、そのリンク先の記事に見慣れた漢字が並んでいたからだ。
「設楽」の文字。
思わず記事を見つめた。
"横浜〇〇区ストーカー殺人犯人逮捕"
"4日に殺害された設楽 笑さん"
"逮捕されたのは同僚の男(45)"
"今日中に送検される見通しで"
"設楽さんの長女は軽傷"
指先が冷たくなるのを感じた。
これは。
この記事は。
なぜ敦子さんたちが華の過去について口を閉ざすのか。
華は。私は。
『はな、にげなさい』
唐突に浮かんできた"その人"はそう言った。
(これ、は、華の記憶?)
『はやく、にげなさい』
血まみれで、そう叫ぶ、女の人。
(『おかあさん』)
「華」
思考が飛んでいたのを戻したのは、タブレットの画面を切った、アキラくんの声だった。
呆然とアキラくんを見つめる。
怖い顔をしていた。
(あ、見られた)
それ以上のことは何も考えられなかった。
身体が震えているのが分かった。
「……華、保健室、いこか」
何も考えられない私に、アキラくんは酷く優しい声で言った。頷いて、なんとか立ち上がる。アキラくんに支えられて、図書室を出た。
「え、どうしたの」
図書室の先生と、入り口ですれ違う。
「体調悪いみたいで、保健室連れてくとこっす」
「あらそうなの」
先生は心配気に、私の顔を覗き込んで眉を寄せた。
(そんなに、ひどい顔を、しているだろうか)
しているのかもしれない。
「行こか、華」
どこをどう通ったものか、気がつけば保健室にいた。
保健室のソファに沈むように座る。
「先生いまおらへんな。職員室か。会議やもんな。ちょっと見てくる」
離れようとするアキラくんの腕を、とっさに握った。
「……華」
「ごめん、行かないで。1人にしないで」
(情けない、中身は大人なのに)
酷く混乱していた。
(とにかく落ち着かなくちゃ)
深呼吸をする。何度も。酸素が足りない気がして、涙が溢れてきた。
(だから。だから、華の脳は、華の記憶を消したんだ)
華の精神が、耐えられそうになかったから。
そして、おそらくはその代替として「前世の記憶」を引っ張り上げてきた。
(どうしよう、でも、大人でも無理だよ……よりによって、ストーカー、だなんて)
前世の記憶とごっちゃになり、何が何だかわからなくなってきた。
(あの、夜道で、私は)
あのおとこに。
(もう私に関わらないでと、何度も言ったのに……言ったから?)
しゃくりあげて泣き声が漏れてしまう。
(情けない、大人なのに)
「ひとりちゃうねんぞ華」
声を殺して泣いていると、唐突にアキラくんがそう告げた。
ぎゅっ、と抱きしめられる。
(あったかい)
「俺、華には頼って欲しいって、そう言うてるやん」
アキラくんのにおいがする。たぶん、おうちの洗剤とかの匂い。
ひどく安らぐ気がして、そのまだ薄い胸板に顔をこすりつけた。甘えるように。
アキラくんは私を抱きしめたまま、不器用な手つきで、頭を撫でてくれた。
(安心する……)
なぜかは分からない。もしかしたら、その、良くある洗剤やお家の匂いが、前世の私の実家の匂いに、どこか似ているのかもしれなかった。