悪役令嬢、怒る
「見学? まぁいいが、大友。そいつら使って、また松影に嫌がらせをする気じゃないだろうな」
「い、嫌がらせなんて、そんな」
塾の職員室。
絶句するひよりちゃんの背後から、担任の先生(久保というらしい)に鼻息荒く襲い掛かりそうになる私を、無言でアキラくんが諌めてくれていた。声を出したら男の子ってバレるからね!
「落ち着けて華、ブチ切れる気持ちは分かるけども」
一応は見学の許可を得たということで、職員室を出ながら、こそこそと話す。
ひよりちゃんは押し黙って、手を強く握りしめて歩く。
(ひよりちゃん……)
真っ青な表情。見ているこちらが辛い。
「華って」
アキラくんがぽつりと口を開く。
「色々、オトナやなと思ってたから、なんか意外やわ」
「オトナ?」
「入院中も、色々あったけど落ち着いてたやろ?」
軽く首をかしげるアキラくん。私は俯く。
「……大人っぽくても。例え私が30歳くらいの大人、でも。この状況だったら殴りかかってたよ」
特に、あの久保という男は……。
(大人として、どうなの? そりゃ、人間だから好き嫌いは出ちゃうよ。でも、きちんと生徒を平等に見ていたら、あんな発言は出来ない)
そう思うと、余計にムカッ腹が立ってきた。
「というか、襲いかかってたかも。バールのようなもので」
「バールのようなもの!!」
アキラくんは爆笑した。通りすがりの生徒さんがギョッとした顔でアキラくんを見る。は、ハスキーボイスなんですこの子……!
ひとしきり笑ったアキラくんに、私は尋ねた。
「アキラくんは、何する気なの?」
ギャラリーが足りない、とか言っていたけれど。
「あー……」
アキラくんは軽く眉を寄せて、私を見つめた。
「華、虫平気やっけか」
「む、虫? 平気じゃない」
「特に、茶色くて平べったいやつはどない?」
「台所にいるやつ?」
今の、敦子さんのお家には出たことないけど。
「たまに教室にも出るやつ、……まあ、あの学園では見かけたことないねんけど」
小学校ではみかけてた、とアキラくんが淡々と言う。それって、それって!!!
「無理。無理無理無理無理。えっ何するの? ねぇ嫌な予感凄いんだけど」
「大丈夫大丈夫、せやけど、まぁ……俺が合図したら目ぇ瞑っといて」
「ほんとに? ねぇほんとに大丈夫なの?」
「まぁ、あれやな、うん」
アキラくんに縋り付くように説明を求めながら、階段をあがって教室へ向かう。
教室は、いたって普通の塾の教室だった。
眩しいくらいの蛍光灯、大きなホワイトボード、ステンレス製の教卓、並んだ机。
前の方の席は、ルナを中心に取り巻きたちで埋まっていた。
「ほんとは席決めてあるんだけど……、もう誰も守ってないの」
ひよりちゃんは、げんなりした様子で言って、一番後ろの隅っこに座った。
ルナ&取り巻きたちの視線に晒されるけど、私たちは堂々とそれを見返した。
(ば、ばれてないよね?)
私は多少、ヒヤヒヤしていたけど! アキラくんはどこ吹く風だ。
私はひよりちゃんの隣、アキラくんは1つ前に座る。
「あ、ひよりちゃん。来たの? 大丈夫?」
「チアキ」
教室に静かに入ってきた、大人しそうな女の子に、ひよりちゃんは話しかけられた。揺れるポニーテール。
「チアキこそ……休んでたから、もう、来ないかと」
「……まあ」
チアキちゃんは少し意味ありげにえくぼを浮かべた。そして私の横の席に座る。
「……見学の人?」
「あ、ひよりちゃんの友達。前の子も。見学っていうか、あの人たち見にきたっていうか」
シメに来たっていうか。
「そっか……」
チアキちゃんは、少し驚いたような表情をして、アキラくんを見た。それから、軽く肩をすくめる。
「ま、あんま関わらないほうがいいよ」
そう、静かに言って、机の上にテキストや筆箱をカバンから取り出した。
その時だった。
「きゃ」
教室に乱雑に扉をあけて入ってきた男子が、チアキちゃんの机にぶつかる。
テキストと、筆箱の中身が床に散らばった。
(……!? 絶対わざとじゃん)
驚いて目をみはっていると、男子はわざとらしく謝ってきた。
「お、わりーわりー。でも、謝っただけ、マシだよな? お前に傷つけられた、ルナちゃんの心の傷は癒えてないんだからさ。カッターで脅すなんて、まともじゃねぇよな」
ジトっとした、嫌らしい言い方だった。
「ちょっと、あのね……!」
思わず腰を浮かせた私を、チアキちゃんは止めた。
「……いいの、ありがと。もう、辞めるから」
「でもっ」
「あーあー、辞めろ辞めろ、せいせいする!」
男子は大きい声でそういいながら、ルナの方へと向かって歩いて行った。
「……あいつ、チアキの元カレなんだよ」
「はぁっ!?」
私はひよりちゃんの言葉に耳を疑った。
(なにそれ、ひよりちゃんだけじゃなくて、チアキちゃんまで同じ目に?)
怒りでふるふると震えながら、私とひよりちゃんは、落ちたものを拾おうとしゃがみこんだチアキちゃんを手伝う。
(あ、千晶って書くんだ、名前)
テキストの裏には、小さく書かれた「鍋島千晶」という名前。
少し転がってしまったペンなんかは、アキラくんが拾ってくれているようだった。
(え、あれ?)
落ちていた鉛筆は、どれも先が丸くなっていた。シャープペンシルは、ない。
(? 研ぎ忘れた感じの丸みではないけど)
不思議に思いながら、拾って千晶ちゃんに渡す。
「はい」
「ありがとう」
千晶ちゃんは、控えめに微笑んでくれた。
ちょうどその時、チャイムが鳴って、教室に先ほどの先生ーー久保が入ってくる。
「おう、皆元気そうだな」
「もー、先生ギリギリじゃん」
「オオタくん、先生だってお忙しいんだから」
はしゃいで久保に軽口をいう、自分の隣の席の男子を、粘つくような甘い声で諌めるのは、もちろんルナだ。
久保も満更でない顔をしている。
(……ほげー)
私は、呆れて何も言えなかった。
私が、胡乱な目つきで久保を眺めていると、前の席でアキラくんがほんの少し頬を緩めたのが視界に入ってきた。
(あれ、動くみたい、っていうか何するの何するのホントに何するの)
私が少々怯えながらアキラくんの背中を見つめていると、その視線に気づいたのか、アキラは振り返って「華、お目目ぎゅっとしといてな?」と言ってきた。可愛らしい笑顔。なにする気なの……!
(あああ、み、ミッション・スタート)
今更どうしようもない。
私は強く、強く目を瞑った。ついでに脚をちょっと上げておく。
(こっちに来ませんように)