気がつけば悪役令嬢
「ほんで、華はなんで入院しとるん?」
アキラ、と名乗ったその男の子は、松葉杖を器用に使って歩きながら私に聞いた。
「んーとね、分かんない」
「分からんて」
呆れたようなアキラくんの声。
「そんなんあるんかいな」
「本当だもん。起きたら入院してたの。私、そこまでの記憶が無いんだよね」
「……、は?」
アキラくんは、その整った顔に似つかわしくないような、ぽかんとした顔をして私を見つめた。
(あー、そうなるよね)
言ってから、少し後悔した。
初めて会った男の子にするには、ちょっと重い話題だと思ったから。
それに、正確には「この身体の記憶は」一昨日から始まっている、のだ。
「それより前」の記憶はきっちり残っている。つまり、前世、というか。なんなのか。
「えっ? 記憶喪失いうことかいな?」
「うーん、そう……な、ような、違うような」
私は、一昨日の朝に想いを馳せる。
あの、大混乱の始まりの朝。
その日、私は酷く喉が乾いて目が覚めたのだった。
(……どこ、ここ)
天井の無機質な蛍光灯が光っていて、ぼうっとした頭と目に酷く眩しく感じた。
ふう、と息をついて、周りを見回す。
(病院……?)
左腕には点滴が繋がっていて、うっすらと消毒液の匂いがした。
(まさか、)
あの怪我で助かったというのか。
"あの瞬間"を思い出し、ぞくりと背中が冷えた。
(けれど、確かに私は生きているーー)
ガラリ。
ドアが横にスライドされる音がした。
目線を送ると、白いナース服の女性が立っていた。何かバインダーのようなものを持っている。多分、看護師さんだろう、と軽く首を持ち上げ会釈した。
彼女は私の目が覚めているのを、少し驚いたように確認した。それから優しく微笑んで、こう言った。
「目ぇ覚めた? ハナちゃん」
(ハナちゃん? ん? 誰?)
私はハナなどという名前ではないはずだし、そもそも立派なアラサーだ。ちゃん付けなど、されるはずがない。
「先生呼んでくるからね」
看護師さんが再びドアを閉ざし、パタパタという足音が遠ざかって行った。
私は少し混乱しながら起き上がってーー起き上がろうとして。
気づいた。
気づいてしまった。
("これ" ……ずいぶん、若い、というかなんというか)
私じゃない。
"これ"、私の身体じゃない!
手のひらをまじまじと観察した。記憶より少し華奢な手のひら!
(……どういうこと)
私はくるりと振り返り、ベッドサイドの名札を見やった。
「設楽、華」
したらはな。
私は舌で転がすようにその名前を発音した。
どこかで聞いたことのある名前。
(なんだっけ、なんだっけ、ほんと、最近……、じゃないな、結構前だな。聞いたことが……えっ? あれ?)
その名前は、随分前に私がプレイした乙女ゲームに出てくるキャラクターの名前だった。しかも、ライバル役の、嫌な女の子。
(まさか。そんな。偶然?)
偶然だと思いたい。
いや偶然でもなんでも、とにかく私はいま、子供のーー感覚的には十代前半か。そのくらいの身体になっている。
めちゃくちゃだ。
(訳がわからないよ!)
パニックになって、とにかく現状を確かめようと、ベッドサイドに置かれていた小さなポーチを開けてみる。
中にはタオルハンカチと、二千円が入った子供らしいお財布だけ。
(身分証……、なんか持ち歩かないか。子供だもんな)
とにかくどうなっているのか、外の様子を確かめようとベッドから降りようとした矢先、再びドアが開いた。
先ほどの看護師さんで、今度は白衣の女性も一緒にいる。
「あら華ちゃん、ダメよ起きたら」
看護師さんがそう言って、私をそっと押してベッドへ戻す。
(うう、一体何が何なの)
混乱の最中ではあったが大人しくベッドへ戻ると(なにせ中身はアラサーなのだから、大人なのだから)、白衣の女性が微笑んで挨拶をしてきた。
「担当の吉井です」
「あ、どうも……」
とりあえず、そう返す。
「華ちゃん、ちょっと身体診るからね。田中さんは血圧お願いします」
「はい」
看護師さんが(田中さん、というらしい)右手に血圧計を巻きつける。
吉井先生は、私の目を見たり聴診器を当てたりなんだりと、忙しそうだ。
「あの、」
私は恐々と声を出した。
「なぁに?」
「あの、私、なんでここにいるんでしょうか」
「あら、えっと、覚えてない?」
吉井先生はその綺麗な眉を優しげに寄せた。
私はなんだかちょっと申し訳なくなり、小さく返事をする。
「はい……」
「そう……いいのよ無理に思い出さなくて。ね、ゆっくり」
優しく微笑む吉井先生。
けど。
「いえ、ちがうんです、たぶん……先生が仰ってる意味とは。あの、わたし、この名前を今初めて見ました」
「と、いうと?」
さすがお医者さんだ。怯むことなく聞いてくれた。
「その、……私、というか、この設楽華という子の、記憶? が全くなくて」
吉井先生を見上げる。
「……お母さんのことは?」
吉井先生はそっと尋ねてきた。
「全く」
私は首を振って返す。
「友達や、学校のことも?」
「……何も」
「そうですか」
吉井先生は、うん、と頷いて私を撫でた。
(子供扱いされてる……そりゃそうか)
見た目は子供なんだもんね。
そこからバタバタと色んな検査をされた。脳波だの、CTだかなんだかだの、レントゲンだの、精神科のテストだの。
しかしまさか「前世がどうの」「乙女ゲームがどうの」なんか言えるはずなかった。信じてもらえるはすもないし。
そして、疑惑は確信に変わった。
お手洗いで、見てしまったのだ。鏡を。
(あーあ、やっぱり、なのか)
そこに映っていたのは、紛うことなき「乙女ゲームのライバルキャラ、設楽華」の姿だったのだ。
というか、数年幼くしただけというか。
いわゆる姫カットというのだろうか、艶やかな長い黒髪に、切りそろえられた前髪。ひどく色白の肌、気の強そうなつり目がちの大きな目。
「マジですか……」
お陰ですっかり参ってしまい、病室を抜け出して病院をウロウロしていた。そこで、ちょっとしたトラブルに巻き込まれた「華」と同じ年くらいの男の子ーーアキラくんに出会ったのだ。
ちなみに中学生か小学校高学年くらい。たぶん。
そのトラブルを解決するのに、ほんの少しだけ手を貸した。
それが縁ですっかり意気投合し、今に至るというわけです。
思い出したことを、もちろん前世云々は適当にごまかしてアキラくんに説明すると、うーん、とちょっと悩んだ後、「大変やなぁ」の一言で片付けられた。
(他人事かいっ)
いや、そりゃ他人事だろうけど。
(ま、そもそも何て返せばいいか分かんないよね)
私はひとり、うんうんと頷く。
(中身アラサーの私でも、そんなこと急に言われても何て返せばいいか分からないもん)
ちょっと申し訳なくなり、アキラくんに謝る。
「ごめんね、なんか急に……その、重いこと言っちゃって」
私より、ほんの少しだけ背の低いアキラくんに目を合わせて、言葉を続けた。
「気にしないで」
「いや、ええんや」
「ううん、ほんとごめん」
「謝られたくはないんや、もっとこう……なんちゅうか、頼り甲斐のあるとこを見せたかったんやけど」
アキラくんはうーん、と眉を寄せた。
「あは、そうなの?」
「せやねん。俺なー、なんか、なんでか華には頼って欲しいもん。まぁ、なんや、とりあえずなんか困ったら言いや! 力になるで」
「ありがとう」
にかっ、と笑うアキラくんを見て安心する。
「アキラくんはケガ?」
「おう。チャリでこけて骨ポッキーンいってもうてん」
「……、ぽっきーん。痛そう。泣かなかった?」
「んー」
泣いたのか。アキラくんは照れたように笑うだけだった。
「痛かったのに偉かったね」
中身はアラサーなので、つい小さい子に接するようにしてしまった。
よしよし、と頭を撫でる。
アキラくんはちょっと顔を赤くして「何でや小さい子扱いすんなや」と口を尖らせたが、ほかに嫌がる素振りは見せなかった。
なんか可愛いなオイ。