悪役令嬢とスパイごっこ
私はずるい人間だ。
ひどい人間、だと思う。
アキラくんは私を好きだと言ってくれた。
胸がぎゅうと痛む。あの朝のことを、私は一生忘れないだろう。
朝日と、それに輝く朝靄と。
朝露に濡れたように光る、赤いバスケのリング。
笑ってるアキラくん。けれど真剣で真っ直ぐな瞳。キラキラしてた。
狂おしいほどに欲しいと思った。
(でも、どうしようもない)
私は思う。
私には許婚がいて、それはもうどうしようもない事実で。
それに、気がついてしまった。
朝靄の中、私を好きだと言ってくれるアキラくんの目を見ていて……思いだして、しまった。
(もしもシナリオ通りに進むのならば)
それを運命と呼ぶのならばーーアキラくんは、じきに運命の人と出会うのだから。
アキラくんは「攻略対象」。
ならば運命の人は悪役令嬢な私なんかじゃない。
ヒロインが、この世界にいるのだから。
だから私は首を振った。そうするしかなかった。
(でも、離れられない)
好きでいて欲しいと、私は思っている。ひどい人間だという自覚はある。ずるい。弱い。アキラくんみたいな人に、好きでいてもらえる人間じゃない。
(分かってる)
分かってるけどーー感情は混乱するばかり。
そんな私に、アキラくんはいつも通りだった。
校内で会えば挨拶してくれるし、たまにお菓子をくれたりもする。スマホに音楽もいれてくれる。笑いかけて、くれる。
(私はちゃんと笑えてる?)
時々だけど、そう思った。
「寒くなったね」
「せやなぁ」
すっかり銀杏も色づいた頃。
ずるい私と、それでも優しいアキラくんは、昼休みに渡り廊下でたまたま会って、そのまま立ち話していた。
「え、おねーさんの作ったお菓子?」
「ん、焼き菓子。食う?」
「食べる食べる!」
アキラくんは色々気遣ってか、人目があるところではこんな風に接してこない。
許婚がいる人間が、ほいほい他の男子と話したりしてるのは、嫌でも人の目を集めるから。
だから、喋る時も少し移動したりする。
「ほな、とってくるわ」
待っててや、と言われて、私は校舎の影に座り込む。
ど、ど、ど、と心臓が痛いくらいに煩い。
(私はずるい)
まだ好きでいて欲しいと願ってる。
その笑顔を、私以外に向けないでと願ってる。
「お待たせ」
アキラくんが透明の袋に入ったそれを、ずいっと差し出してきた。シナモン入りのクッキーみたいだった。
「ありがとう」
笑いながら受け取る。……上手に笑えてるよね?
びゅおっと風が吹いて、私は思わず肩を竦めた。
「さ、寒くなってきたよね」
アキラくんも頷いた。
「とりあえず歩こかー。どっか食えるところ探そ。動いたほうがあったまるやろ」
それは、一緒に食べてくれるってこと?
(だよね?)
そう認識すると、とたんに心臓が高鳴る。まだ好きでいてくれてる? それとも友達だから?
そんなことを考えながら歩いていると、ふと人の気配、というか、ボソボソとした話し声がして、私とアキラくんは身を潜めた。
「ふっふ、スパイみたいや」
「楽しそうだね」
「華と一緒なら何でも楽しいねん、俺は」
私はぽかんとアキラくんを見上げた。
「華は?」
優しげに、目を細められる。
その目に促されるみたいに、気がついたら答えていた。
「私も」
そう呟くと、アキラくんは振り返って私の髪をぐちゃぐちゃにして、笑う。
「な、なんで!?」
「可愛すぎるから、ちょっと不細工にしたろ思て。……ムダやったけど」
そう言って、少し離れて切なげに微笑む。
胸が痛い。
罪悪感と、それを上回る、なんとも言えない幸福感がーー私ってこんなに嫌な人間だったっけ?
ふと、さっきの話し声が、少しずつ大きくなっていることに気づく。近づいてきているのだ。