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悪役令嬢は髪が切りたい

 日本のサグラダ・ファミリア、約100年以上ものの終わらない工事を続ける未完の駅。

 それが横浜駅だ。


 その横浜駅直結のデパートの特別室、その更衣室のカーテンを私は無言で開いた。


「あら可愛いこれもいただきましょ」

「似合うぞ華」


 同じ部屋の高級そうなソファに座り、緑茶を飲みながら微笑む敦子さんと頷く樹くん。

 さっきからずっとこんな感じだ。

 私はげんなりと敦子さんを見た。


「あの、全部買うならそもそも試着の意味なくないですか」

「全部買うなんて言ってないじゃない、似合ってるから買ってるだけで」

「はぁ……」


 なぜこんな不毛な会話をしているのか。


 事の起こりは例の勉強会の帰り道だった。

 樹くんの家のガレージ(国内外問わず高級車が何台も停まっていた。そんなに車、いる?)に停めてあった敦子さんの車に乗り込みつつ、こんな会話をしたのだ。


「結構暑くなってきましたねぇ。今日の昼間は、半袖でもいいくらい」

「そうねぇ」


 敦子さんは小さく頷いた。


「そろそろ薄手のお洋服、たくさん用意しなくちゃね」

「たくさんは要らないですけど、少しあると助かります」


 そもそも私が神戸で着ていた服ーーいや、服だけではない。荷物一式、服から鞄から本から、アルバムに至るまでーー私は未だに目にしていない。


 敦子さん曰く、どこかコンテナに預けてあるらしい。

 というのも、私がカウンセリングを受けている精神科の先生と敦子さんの話し合いの結果だ。



「思い出す、ということが必ずしも良いことだとは限らないんだ」


 先生は静かに言った。

 私は箱庭療法だとか言う、小さな箱の中に色んなジオラマのようなものを配置していくリハビリを受けていた。

 なかなか面白くて、つい熱中してやってしまう。

 それがひと段落ついたあたりで、私は先生に質問した。「私に起きた事故とは、一体何だったのですか」と。

 その答えとして、先生はそう発言したのだ。


「急に思い出してーーそれが余りに負荷を、あ、負荷ってわかるかい」

「なんとなくは」

「つまり、華ちゃんの心では辛くなりすぎてしまうような、そんな記憶のこともある」

「はい」

「僕は、今、華ちゃんに記憶がないのは、そんな記憶から華ちゃんの心を守るために、脳が記憶を消すーーというよりは、記憶にフタをした状態だと思っているんだ」

「……はい」

「記憶はなくても、いま華ちゃんの心はとても傷ついていて、それを治している段階なんだ」

「傷ついている?」

「実感はないかもしれないね」


 先生は少し微笑んだ。


「だから、まずは記憶云々より、先に傷を癒そう。そうして、もう少し大きくなってから、ゆっくり思い出していけばいい」

「……わかりました」


 「記憶」を思い出してしまうキッカケになりうるものを、敦子さんは全て見せたくなかったらしい。


 先生はそこまでしなくとも、と言ったらしいが。


 それで、私は何も持っていないのだ。最初に敦子さんが買ってくれていた春服と、数点の肌着、暇つぶしにと買い与えられた本以外は。何も。


 そんなわけで、初夏に着れそうな薄手のものを探しに来たのだが(なぜか樹くんもデパートで合流した)先程からずうっとこんな感じなのだ。


(何着ても可愛いか似合うしか言わない、この人たち……)


 敦子さんから「これも!」と渡された水色のワンピースを持ってカーテンを閉める。


 カーテンの向こうからコンシェルジュの方の「もう少し、お似合いになりそうなものをお持ちしますね?」という声も聞こえる……えっまだ着なきゃダメ?


 もうすでに20着以上購入している。正直言ってもういらない……と思うんだけどなぁ。

 しぶしぶ服に袖を通そうとして、ふと気付いた。


(そういえば、ゲームの華ってやたらと派手な格好多かったよね)


 派手というか、レースやらビジューやらがゴテゴテに付いたような。


(……ああいう服は避けよう)


 幸い、今のところシンプルなものしか着させられていない。

 ワンピースを着て、鏡をまじまじと見る。


(あ、そうだ)


 私は自分の髪に触れてみた。

 今はめちゃくちゃ長い、という程ではないけれど、そこそこ長い部類に入る。

 ゲームの華は、ほとんどこの通りの髪型だ。長い黒髪に、ぱっつん前髪のいわゆる姫カット。よし。


(ここは思い切って、ショートにしよ)


 そう決意してカーテンを開ける。


「あら似合う!」

「爽やかだ。俺が画家なら確実にモデルにして後世に遺すだろう。そうだ、俺もこの機会に絵画教室に通うとするか」


 樹くんはいいことを思いついた、というような表情で続けた。


「そうだな、ルノワールの、イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢のような作品にしたいところだ」


(……誰ですかそれは。嬢というからにはお嬢さんなんだろうけど)


「……どうも。ところで敦子さん、私髪切りたい」

「唐突ね?」

「暑くて」

「華はどんな髪でも似合うだろうな」


 うむうむ、と頷く樹くん。君のその私に対する褒めっぷりは一体なんなの。君、ほんとに華のこと嫌いだった……? や、そりゃゲームでの話だけどさ。


「えー、いいけどショートはダメよ」

「えっなんで?」

「似合うでしょうけど~」


 ちょっと渋る敦子さん。しょうがない。


「じゃあ肩くらいならいい?」

「んー、まぁいいんじゃない?」

「可愛らしいたろうな」


 やはり頷く樹くん。謎だ。


「で、切りに行きたいからもうお買い物終わりましょ?」

「そーうー? 服、足りる?」

「足ります足ります」

「じゃあお茶して帰りましょ」


 美容室はオススメを予約してあげる、と立ち上がってさっさと部屋を出る敦子さん。


(荷物は……、あ、送ってくれるのね)


 お会計はどうなっているんだろう、と少し疑問に思いつつ、コンシェルジュの女性にぺこりと頭を下げてから、敦子さんに続いた。

 敦子さんは歩きながら電話し始めたので(美容室だろうか)樹くんに話しかける。


「てか、樹くん何も買うものないの?」


 なにか用事があってデパート来たんじゃないのかな。


「特にはないな。華に会いに来ただけだ」

「ふーん」


 貴重な休日をそんなことに費やして……。


(許婚だから気を使ってくれてるのかな)


 別にいいのになぁ、とちらりと樹くんを見上げると目が合う。

 ものすごく嬉しそうに微笑まれた。


(え、な、なにっ)


 思わず赤面してしまう。


(相手は中学生なのにー。イケメンだからー)


 目をそらすと、敦子さんがニヤニヤしながら私を見ていた。


「……なんですか」

「別にい?」


 美容室16時の予約とれたからそれまでどこかでお茶しましょ、とニヤニヤ笑いを崩さないまま敦子さんは告げた。

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