悪役令嬢、すき焼きに負ける
「何回も言われてたのに」
私は駅ちかくのカフェで、ひとりカフェオレを飲みながらそう呟いた。
夏休みも後半戦、なある日。
敦子さんに3日間の海外出張があるのは、前から知ってた。
圭くんが部活で(美術部!)北海道までスケッチ旅行に行くのも知ってた。
八重子さんが夏休みを取って、息子さんがいる京都までしばらく遊びに行くのも知ってた。
「知ってたのに……」
朝、言われたのだ。
「華、鍵忘れちゃダメよ、みんな居ないわよ」
「はーい、大丈夫。持ちました。行ってきます」
そんな会話を思い出す。
そしてさっき、塾から帰宅して鞄から鍵を出そうとしてーー気がついた。
「あれ?」
さあっ、と血の気が引く。
「やば、鍵、別の鞄だ!」
出がけに鞄を変えたのだった。すっかり忘れてて、いつも通り入れっぱなしにしてると思い込んでいた。
(情けないな〜)
前世でもこういうことあった。生まれ変わっても治ってない……って、そんなことはどうでも良いのだけれど。
「さて……どうしよ」
私はじゅー、とお行儀悪く音を立ててそのカフェオレを飲み切る。さて。
少しずつ、空がオレンジ色に潤みつつある。
(……暗くなると動けなくなる)
困った。
(どこかホテルに行こうにもなあ)
お小遣いはきっちり(と、いうか不相応なくらいに!)貰っているので、ビジネスホテル2泊くらいなら余裕でできる。
(けど、女子中学生ひとり)
泊めてもらえるんだろうか? なにぶん、前世の中学生当時したことがなかったら分からない。
(千晶ちゃんに連絡して泊めてもらう?)
すぐに否定した。あの家、真さんいるもの。なんか嫌な予感が……うん。
(樹くん?)
……あ、ダメだ。部活の試合で関西の方行ってるはず。おばあちゃんの静子さんはご在宅かもだけど、許婚の家とはいえ気まずい。さすがに。
アキラくん……は。
(なんだろう)
というか、樹くんもだけれど、男友達の家に泊まるってどうなんだろう。この年齢で。
(ご両親はいい顔しないよねー!?)
女友達泊める、ってどうなの? というわけで、却下。
ひよりちゃんちは家族で沖縄。竜胆寺さんは甲子園が終わったのでカナダへ行ってるらしい。甲子園中はずっと西宮にいたということなので、うん、筋金入りだ。
(……私、友達少ないな?)
はっと気がついてしまった。なんか切ないぞ。
いやまぁ、私の友達が少ないのはいいんだ。別に。問題は、今日、どうするかであって。
ぼけーっとしながら考えていると、ぽん、と背中を叩かれた。振り返ると、20代半ばいくかいかないか、くらいの女の人。
「こんにちは」
にこり、と微笑まれて私は首を傾げた。知ってる人だっけ……?
(てか、関西のイントネーションだ)
だとすれば、ますます覚えがない。眉を下げた私に「あ、ごめんな」と女の人は笑った。
「ごめん、こっちが一方的に知ってるだけなんや。華ちゃんやんな?」
言われて、曖昧に頷く。ええと?
「山ノ内です。瑛の姉」
「え、あ、アキラくんのお姉さん?」
私は慌て居住まいを正した。アキラくんのお姉さん!
「はじめまして」
「や、こちらこそはじめまして、ええといつもお世話になってます」
「こっちのセリフやでー。あいつワガママやから大変やろ」
「い、いえいえそんな」
優しくしてもらってます、と私はモゴモゴと呟いた。なんだか気恥ずかしい。
「そ? ほんならええんやけど……なんか困りごと?」
「へ?」
「や、なんや難しい顔しとったから」
にこりと笑うお姉さんを見て、私ははっと気がついた。
(そうだ!)
お姉さんにホテルをとってもらうのはどうだろう。もちろん、宿泊料は私もちで、お姉さんには普通に帰宅してもらってーーチェックインの時二人でいれば、姉妹二人旅のように見えてスムーズかもしれない。
「あの、お願いが」
「? ええで、言うてみて」
私は思い切ってお姉さんに事情を説明した。お姉さんは何度か瞬きしたあと「あるあるやな」と笑ってくれた。
「あ、あるあるですよね?」
「あるあるやでー。鞄変えるとなぁ、あんねんなぁ」
「ですよねー」
ちょっとホッとする。
「ん、ええで」
了承の返事がもらえて、私はほっと胸を撫で下ろした。とりあえず、泊まる場所は確保できた。
「ていうかな」
「はい」
「ウチ来たらええやん」
「……は?」
「そうしー、そうしぃ」
お姉さんは「いいこと思いついた」って顔でぱちんと手を合わせた。
「女の子をホテルにひとりにする方が心配やわ」
「いえあの」
「オトートらぁには華ちゃんに指一本触れさせへんから心配せんといて」
「いえ、そうでなく」
「よし、行こ行こ〜」
お姉さんは私の手を引いて歩き出してしまう。
(えええええと???)
大混乱しているうちに、私はさっさと電車に乗せられてしまう。
気がつけば横浜で、地下鉄に乗り換えていて。
「……あの、急にご迷惑では」
「ええねんええねん」
からからとお姉さんは笑った。
「かーさんも喜んでたわ」
「え、ええと」
「今日すき焼きやって」
「……すき焼き」
「絶品やで、うちのすき焼き」
「……お邪魔させていただきます」
遠慮が食欲に負けました。
だって、いやだって、お腹すく時間だったんだもん……!