月光ソナタ【三人称視点】
「あ、これ」
華は瑛に、CD入りの袋を渡す。
「ん?」
「お店で見かけて」
プレゼントだよ、と華が笑うと、瑛は「サンキュ」と不思議そうに包みを開けた。
瑛が泣き止んで、しばらくしてーー。体育館の裏手、その段差になったタイル。そこに、華たちは座り込んで話していた。
「渡すタイミングなかなかなくて」
目線をなぜだかウロウロさせながら、華は言い訳するように言った。
「その、ほら」
「あ、うわこれインディーズの時のやん」
「そうなの」
瑛が嬉しげな声を出すと、華は少し頬を上気させて嬉しげに頷いた。
「たまたま見かけて」
説明する口調が、ほんの少し早口になる。それが不思議で、同時に何やら照れくさかった。
「棚卸しの時にね、たまたま見つかったんだって」
それで店頭に出されてたらしいの、そう華は説明しながら、目線を少しうろつかせた。
「ほんま? ラッキーやな」
瑛は嬉しげに呟く。
「せやけど、ええの?」
「うん。いつものお礼」
華はカバンから、瑛からもらった音楽入りのスマホを取り出す。瑛は嬉しげに目を細めた。
「ええのに」
「あは、私が上げたかっただけ、……あ、あと」
華は首を傾げた。
「こういうの、聴くかなぁ」
「ん?」
華はカバンからもう一枚、CDを取り出す。
「……クラシック? ベートーヴェン」
「そー」
華はほんの少し、瑛を覗き込むような姿勢になる。瑛は目線を泳がせて、それからCDを矯めつ眇めつ眺めた。
「こういうん好きなんや? おジョーさまやなぁ」
どこか誤魔化すように笑う瑛を不思議に思いつつ、華は笑う。
「あ、違うよ。たまたま。ひよりちゃんが引いてるの聴いて」
「ひよりサン? ああ」
瑛が笑う。
「ピアノしてたなぁ、そういや。めっちゃ上手いんやろ?」
「うん、すっごい素敵なピアノ弾くの」
そう即答しつつ、華はなぜだか不思議な感情を覚えた。
瑛から、ほかの女の子の名前が出たことが、少しだけ、複雑だったのだ。他の女の子が褒められていることに、少し、ほんの少しだけーー胸がもやもやしたのだ。
「?」
首をかしげる。
(なんでだろう)
そう思う。ふたりとも、同じくらい大切な友達のはずなのに、と。
「サンキュ。聞いてみるわ」
「あ、うん……」
「どないしたん?」
少し気遣わしそうな瑛に、華は「なんでもない」と首を振って笑った。
やがて集合時刻が来て、華と瑛は手を振って別れた。
瑛たちは学校に戻ってミーティングをしたあと、解散となる。
「オレら横浜の方が近いのになー」
「まぁ言うてもしゃあないやろ」
チームメイトとそんな話をしながら帰宅して、帰宅早々に瑛はリビングのCDコンポに華から借りたCDをいれた。
「……月光?」
聞いたことがあるような無いような、と首を傾げていると「あら帰っとったん」と母親の声がした。
「んー。ただいま。負けたわ」
「おかえり。……惜しかったねぇ」
気遣うように言う母親に、瑛は肩をすくめる。
「負けは負けやで」
「あらそー。相変わらずドライやねぇ」
ソファに座る瑛の近くに来て、母親はローテーブルの上にあったCDのケースを手に取る。
「なんこれ? いま流れてるやつ?」
「そー」
「なんで急にクラシック? 学校の課題?」
聞かれて、瑛は少し黙る。それからぽつりと「華にかりた」と答えた。
「華ちゃん。応援来てくれてたん?」
気がつかんかった、と母親が言って、瑛はどうやら母親も試合に来ていたらしい、と気がついた。集中しすぎていて、全く気がつかなかった。
「……次は勝つわ」
「せやねえ、いいとこ見せなあかんもんねえ」
揶揄うように言われて、いやそれもやけど、と言おうとして瑛は黙った。なんとなく言いづらい。おかんにもやで、とは。
「ああ、これ、月光ソナタやね」
しばらく黙っていた母親は、ふとそう呟いた。
「月光?」
「そうそう。なんやっけなぁ、なんか切ない話なんやよな」
「切ない?」
首を傾げた瑛に、母親は頷いた。
「そうそう。確かやな、この人…….ベートーヴェンさんがやな」
歴史上の人物に「さん」をつけるところが母親らしくて、瑛は少し笑った。
「なん笑うとるの。ほんでやな、ベートーヴェンさんが貴族のお嬢様に贈った曲なんやなかったっけ、これ」
「へえ?」
「ベートーヴェンさんはそのお嬢様に恋してたんや」
「……恋」
「せやけど、そのお嬢様は決められた別の人と結婚することになって」
瑛はほんの少しだけ、息を飲んだ。
決められた別の人と、結婚することになって。
「そのお嬢様に捧げた曲らしいで」
「……ふうん」
そのまま瑛は、ソファにゴロンと横になる。
「疲れとるやろ」
母親はそう言って、台所へ向かって行った。
瑛は目を閉じる。月光。そう聞かされているからの先入観もあるかもしれないけれど、と瑛は思う。
それでも浮かぶのは、湖畔に浮かぶ月。
それはなんとなく、華のイメージに重なった。