悪役令嬢と、男の子
横浜市内の大きい公園に併設されてる、大きい体育館。
そこで、アキラくんのバスケの試合があった。
結果はベスト4。県大会、準決勝敗退。
(十分すごい、と思うけど)
私は体育館を出てすぐの自販機、その横のベンチでぼけっと空を見ながら考えていた。7月の終わり、夏はどんどん暑くなって、蝉がうるさく鳴いている。じわじわじわじわ。やたらと頭に響く。
(すごい、けど)
あの、悔しそうな顔を見てしまったら。
(……なんて声かけよう)
そもそも、1人で会いに行くのも気まずい。
脳裏に過ぎるのは、体育祭での竜胆寺さんの言葉。"立場を弁えた方が、よろしいかと"。
そう、立場。私、許婚がいる。
(前みたいに、知らない人ばかりじゃないし)
当然ながら、同じ学校の人たちがたくさんいる訳で。その中で、アキラくんにだけ声をかけるって、なんていうか、気まずい。
(こっそり帰る?)
うーん、と迷っていると、体育館から誰か出てきたのが横目で見えた。
(あ)
ユニフォーム姿の、アキラくん。
頭にタオルをかぶって、なんとなく猫背でぶらぶら歩いている。
「アキラくん」
気づいたら、声をかけてしまっていた。
「…….華?」
アキラくんはひとこと私を呼ぶと、頭のタオルをひっつかみ、全力で明後日の方向に走り出してしまった。体育館の裏側方面。
「え、あ、なんで逃げるのっ」
「つうか、なんで追いかけてくるんやっ」
走りながら叫ぶ私たち。
「応援にきてて、あ」
ちょうど裏手の、人通りがないスペースで、私は何かにつまづいた。
こける、と覚悟して目を瞑ったけど、地面にぶつかる衝撃はなくて、誰かに抱えられてる感覚。
「アキラくん」
「前々から言おうと思っててんけどな、華。なんで何もないとこでこけんねん」
「捕まえた!」
これ幸いと、アキラくんにしがみつくように捕獲する。
「ちょ、華、離、」
「やだ! なんで逃げるの」
「それは!」
アキラくんは、ふっと力を抜いた。
「ダッサイからや」
「へ?」
私は首を傾げた。なにが?
(でも)
ダサくなんか、なかった。バスケしてるアキラくんは、ものすごく、なんていうか、そう。
(カッコ良かった)
「……そんなことないよ」
「ある。あんだけ啖呵切っといてやな」
「タンカ?」
「……優勝したら、話したいことあるって」
「そんなのいつでもいいよ、待つよ」
アキラくんはじっと私をみつめる。
「……待ってくれんの」
「いつまでも待つってば、だから」
「……なんで泣くん」
アキラくんは私の涙をそっと指でぬぐう。
「だって、アキラくん、あんなに悔しそうなのに、泣いてないから、なんか」
なんか、切なくなっちゃったのだ。
(なんでだろー)
前世でやってた部活の負けた時の感情とか、あんなに練習してたのに、とか、アキラくんの悔しそうな顔が思い返されて、とか、とにかく色んな感情だ。
「ごめんね、勝手に応援来た挙句になんかめんどくさいやつで、ごめんね、うう」
「……や。応援サンキュ」
アキラくんはタオルを私の顔に押し付けた。
「あんま使ってへんやつやから」
臭くないはずやで、とアキラくんは冗談っぽく言う。
「大丈夫、ていうか」
タオルからは、前も感じた、少し落ち着く香り。
「私、アキラくんのにおい、好き」
うう、と泣きながらなんとか伝えた。伝えたけれど、体育祭の時に続いて、私、なんか変態チックだなぁもう。
「……華さぁ」
「うう、ごめん、ほんと私気持ち悪いよね」
「ちゃう」
さらり、と髪を撫でられた。
「ちゃうけど。ほんま、そういうん、俺以外に言うたらあかんで?」
「なんで?」
「なんででも」
「うう……わかった」
「……つか、ヤバイで顔」
忍び笑いのようにアキラくんは楽しげに笑う。その顔を見て、私は余計に涙が出てしまう。
「ぐすっ、あ、鼻水ついちゃったごめん」
「あーもうヤバヤバやん、華〜」
私の顔を見て、爆笑するアキラくん。
「洗って返すね」
笑っているアキラくんを見ていると、ちょっと涙も落ち着いてきた。
「や、ええねん。華、それもろうて」
「え、ほんとごめん」
鼻水タオルなんか洗ってもいらないですか……!?
「その代わり、」
「なぁに?」
「……すまん」
そう言って、アキラくんは私を抱きしめた。肩口に顔を埋めて、静かに震える。
(泣くの、我慢してたんだ)
ほんの少しだけ、荒い呼吸。
(こんなに静かに泣く人、初めてかも)
ぎゅうぎゅうと私を抱きしめ静かに泣いているアキラくんの背中に、そっと手を当ててぽんぽん、と優しく撫でた。
「いっぱい泣くといーよ」
見当はずれなのかもしれないけど、それしか言えなかった。
アキラくんは一瞬ピクリとしたあと、抱きしめる腕に力を入れて、少しだけ大きく息を吐いて、吸って、それからまた静かに、本当に静かに泣くのだった。
(男の子って大変だね)
ちょっとだけそう思いながら、私は背中を撫で続けた。アキラくんが泣き止むまで。