悪役令嬢はピアノを聴く
ファストフード店からの帰り、アキラくんが送ってくれることになった。
「わざわざごめんね?」
ものすごく遠回りだし、と恐縮すると「ええねん、どうせ華に用事あってん」と例の音楽入りのスマホを渡された。
「わ! ありがとう」
新しい音楽を入れてきてくれる、という約束だったのです。
「ちゃんと聞いてなぁ」
「聞く聞くー! ありがとう」
スマホ片手に微笑むと、アキラくんはすっと黙って、それから「あんなぁ」と口を開いた。
「今な、夏の予選の大会中なんやけど」
「? うん、頑張ってるよね」
「もしなぁ、全国行けたら」
「うん」
「ちょっと聞いて欲しいこと、あんねんけど」
「うん」
なんだろ、と思いながら頷く。
「分かった」
「……約束な?」
「うん」
「応援来てな?」
私はもう一度、しっかりと肯いた。約束、だ!
その翌日から、私はことあるごとに、ひよりちゃんを連れて歩いた……って、元々一緒に行動してたから、そんなに変わらないのだけれど。
(……どうやるの!?)
私はウムムと悩む。自分の傘下にひよりちゃんがいる、って単なる仲良しアピールじゃ足りないのかな!?
「どーしたの? 華ちゃん」
昼休み、音楽室でピアノの自主練してるひよりちゃんの近くで、私はベートーヴェンの肖像画を見ながら唸っていた。
「え、あ、ごめん」
私は振り向いて笑う。
「なんでもないよ」
「そ? ……なんかあったら、言ってね」
へにゃりと笑うひよりちゃんに、胸が締め付けられた。その時、がちゃりと音楽室の扉が開く。
「あら、やはりこちらに」
「竜胆寺さん、やほ」
ピアノの前にいるひよりちゃんに、竜胆寺さんは微笑んだ。
(前はドシロウトの音楽、とか言ってたけど)
要はあれ、別に本音ではなかったんだろうなぁ。
今では時々、ひよりちゃんのピアノ聴きにくるくらいなんだから。
「何を今は?」
「月光」
「あらベートーヴェン」
良いですわね、と竜胆寺さんはさっさと椅子に座った。さあ聴かせなさい、という態度にひよりちゃんは嬉しそうに笑って、ふ、と息を軽く吐く。
最初の音が鳴った時、まるで水面が揺れたような感覚におちいる。
(……わ、きれい)
門外漢だし、うまいことは言えない。けれど、ひよりちゃんの指が進むにつれて私が想像したのは水面に揺れる月の影。
ぼうっと聞き入って、気がつけばひよりちゃんは照れ臭そうに笑っていた。
いつのまにか、演奏は終わっていたらしい。
「す、すごい」
「素晴らしかったですわ」
思わず拍手すると、ひよりちゃんは後頭部をかきながら「でも先生には怒られるんだぁ」と笑った。
「え、これで怒られるの?」
「うん、切ない感情が足りないんだって」
ひよりちゃんの言葉を、竜胆寺さんが受け取る。
「設楽様。この曲は、ベートーヴェンが叶わぬ恋をした時に作った曲なのです。その恋の相手に贈った曲なのですわ」
「叶わぬ、恋」
思わず復唱した。
叶わぬ恋。
「えへへ。だからさぁ、ダメなんだよねっ」
ひよりちゃんは幸せそうに笑う。
「わたし、ラッブラブだからさっ」
「……ごちそうさまですわ」
竜胆寺さんは呆れたように笑う。私も笑いながら「はいはい」と言って肩をすくめた。
どうにもこの曲が頭から離れなくて、私は学校帰りにCDショップへ向かう。
ウチにはお子様スマホ以外のネット環境がない(敦子さんのパソコンは使用禁止だし)ので、ダウンロードできないのです。
(ちょっと不便)
でも、CDショップは好きだ。つい色々見回ってしまう。
(あ、これアキラくんの好きなバンド)
インディーズ時代のCD! これ、ダウンロードできないやつ。
思わずカゴにいれた。
それからクラシックコーナーで、ベートーヴェンを見つける。見つけるけれど、なんだか大量にある!
とりあえずジャケットが気になったやつを手に取って、くるりと裏返した。
「ええと……」
『ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27の2《月光》
第1楽章: Adagio sostenuto
第2楽章: Allegretto - Trio
第3楽章: Presto agitato』
……英語じゃないな? 全く読めない。
(ひよりちゃんに聞こう)
とりあえず『月光』が入ってるのは間違いなさそうなので、それもカゴに突っ込んだ。
「叶わぬ恋、か」
どんな感情なんだろう、と私は思う。どんな気持ちで、このヒトはこの曲を作ったのでしょうね?