悪役令嬢は生クリームが必要
アキラくんと並んで水槽を眺めていて、ふと思い出した。
「あのさ、アキラくん」
「ん?」
私を見てるアキラくんは、なんだか穏やかな表情をしてて、なぜだか胸がきゅっとなる。
(なんだろ?)
不思議に思いつつも、私は鞄からそれを取り出した。修学旅行で、アキラくんから借りてた音楽入りのスマホ。
「これ、ありがとう」
「……ん。いったん返してもらうな」
アキラくんは少しだけ笑う。
「また音楽いれて返すわ」
「え、なんで?」
「俺またもろてん」
これはねーちゃんのやけど、とアキラくんは鞄から出したそれを見せてくれた。
「えっ」
私は申し訳なくて、身を乗り出す。
「ご、ごめん! 返すのが遅くなったから」
聞きたい曲が多くて、そうなってしまった。はやく返すべきだったのに。
「あは、ちゃうねん」
アキラくんはさらりと私の髪に触れる。
「ほんまに」
「……アキラくん?」
アキラくんは軽く首を傾げて「華に最初からプレゼントする気やってん」と笑った。
「えっ?」
「せやし、気にせんで。これ、また新しいの入れて持ってくるわ」
「え、え、え」
「あかん?」
アキラくんは少しだけ寂しそうな顔をする。
「迷惑やろか」
「ぜ、ぜんぜんっ」
思わず大きな声になって、あたりの人がちらりとこちらを向く。私は首をすくめて「……いいの?」とアキラくんに言った。
「いいもなにも、俺が勝手にしてるんやけど」
いやなんか、好きな曲とか聞いてもらいたいやん、とアキラくんが笑って、私はやっと気がつく。
(あ、布教活動か)
まだ音楽配信がそれほどでもなかった頃(というか、前世での話だけれど)好きなアーティストのCD二枚買うとかしてたなぁ。一枚は友達に貸しての布教用で……なんてことを、懐かしく思い返した。
「じゃあ、ありがたく聞かせてもらうね」
頷くと、アキラくんも嬉しそうにしてくれた。そんなに推しな人がいるのかな?
「ちなみにどんな曲?」
なんとなく、アキラくんロック系とか好きそうなんだけれど。
(最近のロックってよく分からない)
どんな流行なんだろ、と首をかしげると、アキラくんは「ん」とイヤホンを片方、私の耳に突っ込んだ。反対側は、アキラくん自身の耳に。
「えと」
戸惑ってる間に、イントロが流れ始めた。なんとなくオーソドックスな感じのロックなんだと思う。
「これな」
アキラくんは笑った。
「最近の曲、ちゃうねん」
「あ、そうなの?」
「おとんの本棚からCDみつけてん。なんとなく聞いたらハマってもて」
「ふうん」
私たちは黙って青い水槽を見つめながら、イヤホン越しに音楽を聴き続ける。軽快で心地よいギター、でも歌い上げる声はどこか切なくて。
アキラくんの手を、なんだか急に意識してしまう。
(座ってたら)
はぐれないから、別に離していいはずの手が、なんだか離したくなくて、離されたくなくてーー。
やがて、音楽が終わって、アキラくんは私の耳に触れる。
イヤホンを外されただけなのに、少しだけ触れた指が、触れられたところが、なんだかひどく熱い。
(なん、だろ)
私は誤魔化すようにアキラくんを見て笑う。
「……結構、なんていうか、アキラくん。切な目の曲、好き?」
「へ? ……あー、そうなんかも。キモいな、俺」
「え、キモくないけど」
「それを女子に聞かせとるとこがキモいわ」
「そうかなぁ」
アキラくんは少し迷って、それから「どうやった?」と首を傾げた。
「好き?」
どきん、とアキラくんを見上げてアワアワとしてしまう。好き、好きって……!?
……あ、音楽か。そりゃそうか。
「うん、好き」
笑うと、アキラくんは一瞬、虚をつかれたような顔をして、それからうなずいた。
「ほな、入れてくるな。他にも色々」
「うん。楽しみにしてる」
そう答えた瞬間、私のスマホにメッセージがとどいて、ブウっと揺れた。
「……あ、イルカショー、終わったみたい」
「そか」
アキラくんは少しだけ残念そうな口調でそう答えて、立ち上がる。
「ほんならプールの方、行こか」
「うん」
私たちは立ち上がり、歩き出す。
それでも繋いだ手は名残惜しくて、離したくない。
待ち合わせ場所に先に来たのは千晶ちゃんたちで、その頃にはアキラくんは私の手を離してしまっていた。
(さみしいな)
あの、手の暖かさがなんだか懐かしい。
時間にしたら、ほんの小一時間。それだけだったのに。
「じゃあね山ノ内くん」
「またね」
私は千晶ちゃんたちと、歩き出す。
「アキラくん、またね」
「ん」
手を振るアキラくんに何とか笑って、私は「ねえねえ」と千晶ちゃんたちに話しかける。
「なぁにい?」
なんだかニヤニヤしてるひよりちゃんに、私は言う。
「何か甘いもの食べない?」
「へっ?」
びっくり顔の2人に、私は言う。
「なんか、甘いもの思い切り食べたい気分!」
「なにそれ」
くすくすと2人は笑った。でも本当なんだもん、なんだか寂しいこの気持ちを埋めるには、多分生クリームが必要なんだもの!