悪役令嬢、萌え袖になる
「ご、ごめんこんな言い方されたらやだよね!? ごめん、……気持ち悪いよね」
「や、別に……気にならへん」
「そう、なの?」
私はふと落ち着いた。よく考えたら男子と女子じゃその辺違うのかな。
「気にならへん、いうかなー。つかなー、うん、華ならええいうか」
少ししどろもどろになるアキラくん。
(友達だから?)
友達なら別に気にならないってこと?
(うーん、私ならどうかな)
裸、ってわけじゃなくても、例えば薄着でいて、異性の友達ーーアキラくんでも、樹くんでも、私は目線を気にするかな?
(あ、しないな)
気にならない、と思う。というか、気にしてない。多分2人とも、その辺の線を引くのが上手なのかもしれないけど、体育の時私を噂してる男子みたいな、不躾な視線を2人から感じたことはない。
首をかしげる。
「私の視線は、不躾な視線ではない?」
単刀直入に聞いてみた。
「ブシツケ?」
「うん」
「違うと思う」
「違わないとしたら?」
「別にええ、華なら」
「……心広すぎない?」
「クッソ狭いでー? 俺の心」
「嘘だあ」
私は笑って、とりあえず赤い顔を落ち着かせるために顔でも洗おう、と水道を捻る。
「あ、華」
「え」
私はやっぱり動転していたんだろう、捻ったのはアキラくんが浴びてた、蛇口が上向きにされてた水道で、それも思いっきり捻っちゃって。
「ひゃぁああ」
「何しよるん!」
アキラくんが慌てて止めてくれるけど、私もすっかりべしょべしょだ。頭から水をかぶってしまった。
「……あは」
「ほんっまに華て、華やんな?」
私が笑って、アキラくんも楽しそうに笑う。
それからため息をつくように「保健室行こか」と言った。
「タオルくらいあるやろ。風邪引くで」
自分だけだったら自然乾燥させる気だったくせに、私はだめらしい。
近くの渡り廊下から、直接校舎にはいる。靴はそんなに濡れていなかった。
「誰もいないねー……」
「勝手に借りよか」
誰もいない保健室。よく考えたら当たり前で、先生は救護テントだし、皆もそっちに行く。
アキラくんは勝手に棚を開けてバスタオルを見つけ、私の頭からバサリとかけた。自分のぶんも取って身体を拭いている。
「乾くまでそうしとき」
「うん……あ」
私はアキラくんに消毒液を示す。
「消毒だけでもしとく?」
「……しみそーやなぁ」
ちょっと笑って、アキラくんは頷いた。
黒いベンチに座ってもらって、改めて背中を見る。痛そう。
「かすり傷やろ」
「擦過傷だよ」
「痛そうな言い方に言い換えんの、やめてや」
なんか痛く感じるやんか! と笑うアキラくんの背中に、脱脂綿に含ませた消毒液をぽんぽん、とつけていく。滲んだ血も脱脂綿に着く。
「うわぁ沁みる? しみるよね痛いよね」
「や、案外大丈夫で?」
「あ、肘とかも消毒しとこ」
脱脂綿を変えつつ、とにかく傷という傷に消毒液をぽんぽんしまくった。
(うん、とりあえず良いのではないでしょうか)
私は頷いて、アキラくんに「終わったよ」と笑いかける。
「サンキュ」
「戻ろっか」
「んー」
アキラくんは立ち上がり、私のバスタオルをもう一度しっかり肩から掛け直した。
「?」
立ち上がりながら、首を傾げる。
「俺の心狭いて、言うたやん?」
「広いと思うけど」
「狭いで」
小さく小さく、アキラくんは息を吐く。
「こんな華、他のやつにぜってー見せたくない」
「こんな?」
言われて、ふと保健室の大きな鏡に映る自分に目をやる。
髪の毛はボサボサだし、ジャージは濡れてしっとりと肌に張り付いている。肩からバスタオルかけてるから、体の線は隠れてるけど。
(うわぁ)
雨に濡れた、毛並みの悪い猫みたいだ……。
「あは、みっともないよねぇ」
「ちゃう」
アキラくんは片手で、頬をぎゅうと掴んだ。ひょっとこ顔になって、余計変な感じだ。
「ひゃ、ひゃめてよう」
「あっは、変な顔」
「もう!」
アキラくんが楽しそうにするので、わたしも笑って彼を見上げる。
「……ん?」
アキラくんはその手を頬に移動させて、目を細めた。……「切ない」、まるで、そんな表情で。私はどきりとして少し息を飲んでから、首を傾げた。
「どうしたの?」
「あんな……華、俺」
苦しいような表情。
私は思わず息を止めてーー。
その時、少し先から足音が聞こえた。廊下を歩く音。アキラくんはすっと私から離れて、私は少し胸が痛む。なんで?
私の手はアキラくんの指に触れようとして、出来なかった。
がらり、と開いた先にいたのは保健の先生。
「あら?」
「先生、俺こけてもーてん」
「こけたっていうか」
先生は、笑った。
「かっこよかったよー!」
「ほんま? あざーす」
嬉しそうに言うアキラくんに、私の心が少し波打つ。私、ちゃんといえてない。
(かっこよかった、って)
あんなにかっこよかった、のに。
「……先生、山ノ内くん、診てあげてください。一応消毒はしたんだけど」
「十分だと思うけれど、いちおうねー」
「お願いします。じゃ、私戻るね」
「と、いうか。設楽さん、なにがあったの?」
不思議そうに言われた。
「びしょ濡れだけど」
「あ、あはは」
思わず苦笑い。
「着替えあるわよ、着替えていきなさい」
「や。だいじょぶそうです、あ、タオル借りてます」
「それはいいけど」
先生は少し心配そう。
「風邪引くわよ、着替えなさい」
「借りといたらええやん、華」
「あなたもね、山ノ内くん」
先生は呆れたように突っ込んだ。
私は少し首を傾げてから、頷く。たしかにちょっと寒いしね。
私たちはそれぞれベッドのカーテンをしめて、服を着替える。アキラくんはハーフパンツだけだけど。
カーテンの向こう側から、もう着替え終わったアキラくんと、小西先生の会話が聞こえた。
「擦過傷ね」
「痛い言い方に変えるん、流行ってるんすか」
私はふふ、と少し笑う。擦過傷って痛い感じがするよね。
しゃあっ、とカーテンを開けて「先生、ありがとうございました」とお礼を言う。ビニール袋に、濡れたジャージを入れさせてもらった。
「あら。ちょっと大きかったわね?」
「あ、大丈夫です」
お借りしたジャージは大きめので、袖がかなり余る。アキラくんは変な顔をしていた。似合わないかな。
そんなことを考えていると、先生は「山ノ内くんごめんなさい、これ運ぶの手伝ってくれる?」と言った。
「この辺の消毒セット、救護テントまで」
「いいッスよ」
「設楽さんは戻ってて大丈夫よ」
「はぁい」
もう一度お礼を言って保健室を出て、ぱたぱたと廊下を走って戻る。
さっきアキラくんと話した水道の前を通り過ぎようとして、さっきのアキラくんのあの表情を思い出してしまう。
切ない、ような。あの顔を。
(どうしよ、多分顔、赤い)
だってアキラくんがあんな顔するんだもん。なんだったんだろ。多分、べしょべしょになった私を心配してくれてのことだけど……だよね?
(あー、ダメダメだ、私、大人なのに!)
ぱちん、と両頬を叩いて気合を入れ直す。グラウンドにむけて、私は大きく足を踏み出した。