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セカンド彼女になりがちアラサー、悪役令嬢に転生する  作者: にしのムラサキ
【分岐】山ノ内瑛
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【閑話】海みたいに【side瑛父】

 2度目にその女性会ったのは、冷たい霊安室でのことだった。

 この凛とした瞳は、永遠に開かれることがない。あの子猫のような瞳の娘を残して、彼女は夫のところへ逝ってしまった。


 その日は、3月の横浜に珍しく雪がちらついた日だった。

 大陸からやってきた寒波が列島を覆い、全国的に冷え込んだ、そんな3月の初め。

 最初の110番通報はこうだ。その早朝、まだ日も上らぬ四時過ぎに、上の部屋から騒ぎ声がして目が覚め、やがてドサリと音がしたのでアパートの庭を見ると、女の子が倒れていた、と。

 女の子に意識はなく、すぐに救急隊が手配され搬送された。

 事情を聞くため部屋を訪ねた警官が見つけたのは、事切れた女性の死体。庭で倒れていた女の子の母親だということだった。

 すぐさま警官隊が投入され、周囲に検問がしかれ、捜査本部が置かれる。マスコミが駆けつけ、辺りが騒然となり、しかし犯人はどこへ逃げたのかようとして行方は知れなかった。

 その日のうちに任意で取り調べを受けたのは、被害女性に以前から付きまとっていた、という40代の男。


「その時はね、まだ物証が上がってなかったんです。だから知らぬ存ぜぬ不当取り調べの一点張りです。当番弁護士呼べと煩くて」


 その時の取り調べの担当だった定年間際の刑事は、後に俺にそう語った。

 横浜地検、公判部、応接セットの向かいのソファ。別の用事でやってきたはずのその刑事は、なぜか長々とそんな話をしていた。


「けれど、まぁご存知でしょうが、爪から出たでしょ。皮膚片」


 刑事は自分の人差し指を振ってそう言った。


「娘さん……、華ちゃんの爪から」


 資料によると、意識不明で搬送された女の子は、命に別状はないと判断された後に念のために身体を調べられたらしい。それで見つかったのが、彼女の爪の間から見つかった、犯人の皮膚。引っ掻いたときに爪の間に残ったそれが、重要な物証となった。


「襲われて抵抗したときか、はたまた母親守ろうとしたのか、分かりませんけど。本人の記憶もないし、薮ん中ですわ」


 刑事はよっこらしょ、と腰を上げて俺を見た。


「検事、あとは任せました。設楽の奥さんの仇、頼みます」

「……設楽さんのお知り合いですか」

「京都に出向してるときに何度か……いい青年やった、あんな目しとる男滅多におらんでしょ、もう」


 刑事は振り返らずそう言って、今度こそ部屋を出て行った。


(そうか)


 それが言いたくて、わざわざここへ寄ったのか、と呟く。

 近くを通った事務官が不思議そうにこちらを見るので「何もないで」と言って、俺はまたデスクへ戻って、記録を読み出した。

 京都に暮らしていたはずの母子は、母親の仕事で横浜に居を構えていたらしい。


(瑛を命がけで守ってくれた恩人の奥さん)


 そんな人が殺されて、どうしようもない世界やと思った。救いようがないし、俺がどんだけ正義感振りかざしても、やっぱりなんも変わらへんやんか、とも思った。


(せやけど)


 俺が頑張っても世界は変わらんかもしれへん、せやけど、もしかしたら、変わることもあるんかもしれん。

 瑛を見てるとそう思う。あいつが笑うと、なんか頑張ろう思えるんや。


 「〇〇区ストーカー殺人」と銘打たれたこの事件は、最初こそ大きく報道されたが、しばらくして急に下火になった。いっそ、不自然なほどに。

 おそらく彼女の生家が圧力をかけたのだろう、被害者にハイエナのようにたかるはずのマスコミは急に大人しくなり、報道がなくなれば世間から急速にこの事件に対する関心は失われていった。

 俺がこの事件を担当し、裁判が始まった頃には世間は政治とカネの問題とやらに注目しており、検察が無期懲役を求刑したというニュースは、新聞のテレビ欄の裏側に小さく報じられたのみであった。



「はぁ、久しぶりの我が家ってかんじやわ」

「お疲れさま」


 妻が笑ってお茶を出してくれた。

 3ヶ月土日含めて休みナシで働いたので、一日中家にいる、というのは本当に久しぶりのことだった。


「来月の結婚式、いけるやんな?」

「うわ、もうそんなやったんか」


 甥っ子の結婚式が来月に迫っている、ということで、やっと俺は今が6月やということを実感した。ヤバイな。

 来年は姪っ子の結婚式もある。俺も年やな。


「そういや瑛は足大丈夫なんか、バスケ復帰したんやろ」

「ぜーんぜん大丈夫そう、むしろ前よりなんや元気やわ」


 ふ、と思い出したように彼女は笑う。


「入院中にな、あの子、恋しちゃってん」

「はあ!? あ、分かった、相手看護師さんやろ? もしくは医者」

「んーん、女の子。ふつうに」

「うそやん」


 あの女子嫌いの瑛が。

 本気で驚いて、俺は目を見開いた。


「どんな子なんやろ」

「あたしも何回かしか」

「ただいまー!」


 話は途中で遮られた。すっかりピンピンしている瑛がカバンを背負ったままリビングに飛び込んでくる。


「おかーん、なんか食べるもんないー、っておとんおったんかい」

「おったらあかんのか」

「あかんくはないけど~」


 瑛は嬉しいんだか嬉しくないんだかよう分からん顔で言って、それから勝手に開けたパンを頬張りながら「あ、今から俺公園行ってくるわ、バスケの約束してんねん」とまた家を飛び出していった。部活でバスケして、遊びでもバスケして。バスケしかしよらんな、ほんま。


「あーもー、カバンも片付けんと、ほんま」

「元気でええやないか。……あれ、なんの話やっけ」

「ん? あら、えーと。せや、結婚式や。あの子らの服どないしよ」

「せやなぁ」


 そんな風に日々は過ぎていって、すっかり「瑛の好きな人」のことは忘れていた。


 せやから、あのお花見の日、瑛から見せられた写真を見て、俺は心臓が止まるかと思った。

 あの小さな女の子は、すっかり成長して、そしてなによりーー笑っていた。


(ああ)


 この世界はほんまに救いようがない。クソみたいや。悪いヤツがいっぱいおって、俺はそいつらを次から次に刑務所にブチ込むために頑張っとるのに、何も変わらへん。また次から次に、平気でモノを盗み、ヒトを騙して、殺して、俺が刑務所にぶち込む。その繰り返し。


(せやけど、この子は笑っとる)


 笑えるようになっとる。


(きっと瑛やな)


 事情もなんもわからんのに、俺はハッキリ確信しとる。この子が笑えるようになったんは、きっと瑛がいたからやって。


 港の公園でのバーベキューの帰り、光希の言葉に振り向いて笑う瑛。

 全身全霊で、一生懸命に恋をしてますって笑顔。


(ほら、おったやないか)


 俺はそう言いたくて仕方ない。


(お前自身をはっきり見てくれる女の子、おったやないか)


 俺は神様は信じてへん。おったんなら俺が毎日見てるクソみたいな世界は一体なんなんやってなるから。

 せやけどもしおるんやったら、神様、瑛とあの女の子から、もう大事なもん一個も奪わんといてやってください。

 心からそう思う。彼らの未来が、太陽を受けて輝くこの海ように、キラキラと輝いていることだけを祈っている。

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