悪役令嬢は錦鯉が気になる
鹿王院くんと謎に友達になって3日。
ふと、カレンダーを見ると既にゴールデンウィークに突入しようとしていた。
私は首を小さく傾げた。
(……学校は?)
「えーっそれも言ってなかったっけ」
「敦子あんたほんと適当よね」
「八重子も忘れてたくせに」
「そうだけどでもさぁ」
2人はまたもやペチャクチャと話し出した。完全に蚊帳の外です。
「あっあの、結局私は学校はどうなっているのでしょう……?」
2人はピタリと会話を止め、にこりと笑った。
「一学期は休学よ。籍はあるけども」
「休学?」
「そう。あなた一応リハビリ中ってことだから」
「あー」
そういえば、未だにこちらの病院に通院しているのだった。カウンセリングなんかも受けている。
「病院の先生もね、まだあまり無理はするなと仰っているし」
「あらでも、勉強遅れちゃうかしら?」
「あっそうよね、失念してたわ」
敦子さんと八重子さんは手を叩いて顔を合わせた。
(テキストか何かもらえれば、いちおう大学まで出てるし遅れることもないと思うのだけど……そう言うわけにもいかないしなぁ)
中学二年生か。勉強何するんだろ。よく覚えてないや……。
「塾とか行く? 先生の許可が下りたら、だけれど」
「そうね、華ちゃんそれがいいわよ」
2人はそう言ってくれたが、しかし塾代も高いと聞くしなぁ。いや屁でもないんだろうけど、使う必要のないところに使わせるのは気がひける。
「あの、テキストとかもらえたら、自分でなんとかします」
「自学でなんとかなるかしら?」
「なんともねぇ……何十年前かしら、中学生なんて」
(まぁ私もケッコー前なんですけどねっ)
心の中でそう呟く。社会や理科あたりは、内容カンペキに忘れていそうだ。
敦子さんたちはしばらく渋って、それから敦子さんが「ああ!」と嬉しそうに手を叩いた。
「そうだわ、じゃあとりあえず樹くんに教えてもらいましょう」
「……、は?」
「あら敦子名案ね」
「でしょう? 樹くん、結構成績良いみたいだし」
「えっでも、そんな、あの、」
ワタワタとしている間に敦子さんは静子さんに連絡を取ったらしい。あっと言う間に日取りまで決まってしまった。
(あー……どうなんだこの展開。読めない……)
呆然と、ご機嫌な敦子さんを眺めていると、敦子さんは「あっそうそう!」とまたもや手を叩いた。
「忘れてたわ」
「今度は何ですか?」
ちょっと口を尖らせながら聞き返す。
「あのね、あなたと樹くん、いわゆる許婚というものになったから。仲良くしてね」
「あーはい、……、はい!?」
爆弾発言すぎて、一度流しそうになった。
(………許婚っ!? 結局そうなるの!?)
「いっ、嫌です」
「ダメです」
敦子さんはにこりと笑いながら、ピシャリとそう言った。
その翌日、私は敦子さんと大きな日本家屋の前に立っていた。
(はえー、お屋敷ってかんじ)
常盤家もデカイけど。お庭から海とか見えちゃう系だけど。
(でもやっぱ、こう、でーんとお屋敷! ってかんじを出されると、こう、尻込みしちゃう)
敦子さんはそういう感情はないようで(当たり前か)ものすごく気楽にインターフォンを押していた。
『はい』
「常盤です」
『お待ちしておりました』
お庭の戸をカラカラと開けに来てくれたのは、50歳くらいのエプロン姿の女性だった。
「常盤様、お久しぶりでございます」
「吉田さん、お元気そうね」
(あ、お手伝いさんか)
だれか分からずまごついていたが、会話の内容からそう察しをつけた。ぺこりと頭を下げると、吉田さんも微笑んで頭を下げてくれた。優しそうな人。
「ふふ、おかげさまで……大奥様と樹さまは広間にいらっしゃいます」
「ありがとう」
門から玄関までも50メートルくらいあるんじゃないかなぁ。ちらりとしか見えてないけど、いわゆる「立派な日本庭園」のようだった。
(絶対1000万くらいする錦鯉とかいる……)
妙な確信を得ていると、玄関の戸を勝手にガラリと敦子さんは開けた。来慣れている。
(げ、玄関、前世の私の部屋くらいあるぅ)
敦子さんは正に勝手知ったる他人の家、といった風情でお屋敷の奥へ進んで行く。
一応小声で「おじゃましまぁす」と告げて、私も後へ続いた。つもりだった。
「う、うそーん」
迷子だ。迷子になってしまった。
(敦子さんすごいサクサク行くんだもん)
どうしよう、と私は座り込んだ。
(他人の家で迷子とか……誰か来てくれないかな)
キョロキョロするが、人の気配はない。
(鹿王院くんのご両親とか、誰かしらいないもんかしら。さっきの吉田さんとか)
しかし勝手に部屋を開けるのもなぁ、とまごついていると、後ろからスリッパの足音がした。
「華」
む、誰だ勝手に呼び捨てにして、と振り向くと鹿王院くんだった。
ホッとして思わず笑顔になってしまう。
「良かったぁ、迷子になってた」
「だろうと思って探しに来た」
鹿王院くんはちょっと変な顔をしたあと、そう言って苦笑いした。
「この家、ひたすら襖と障子の連続だろう。初めて来た人は大抵迷う」
「そうなんだ」
私だけでなくて、少し安心する。
「ていうか、ほんと、ごめんね。お休みの日に」
「構わない。今日は部活もないから暇していた」
「遊びにとか行かないの?」
「友人たちは旅行なんかで不在だからな」
鹿王院くんは旅行とかいかないの、と言いかけて止めた。ご両親が会社を経営している、というのを敦子さんから聞いていたし、きっとご多忙なのだろう。
(さみしいの、我慢してるのかもしれないし)
一人で納得していると、ふと、脳裏にとあるシーンが浮かんできた。
ヒロインと寄り添う、鹿王院くん。
もちろん、例の乙女ゲームだ。
(あ。確か鹿王院くんって、ほとんどご両親と過ごしたことないんだっけ……)
そのせいで、しっかりして落ち着いているように見えて実は常に小さな不安を抱えているのだ。
"自分は誰にも必要とされていないのではないか"という不安。
(だからこそ、自分を全力で信頼してくれたヒロインちゃんに心惹かれて行くんだよね、確か)
この大人びた少年が、そんな悲しい寂しさと共に成長していくのはかなり忍びなく感じる。
(でもな、私にやれることってない気がするのよね……)
せめて「いい友達」であり続けよう、とそっと心に決めていると、鹿王院くんが言いにくそうに呟いた。
「それより、その、身体は大丈夫なのか。通院でしばらく学校を休んでいると聞いた」
鹿王院くんを見上げると、年の割に少し鋭い目が心配そうな気配を帯びていた。
「あ、聞いたの」
「聞かれたくなかっただろうか? すまない。デリカシーがないと祖母にも良く言われる」
「ううん、違うの。大丈夫。体調も良いし」
答えながら考える。
(どこまで知ってるのかなぁ。記憶ないとか知ってるのかな、リハビリ中なことだけ?)
うーん、と迷って思い切って告げる。
「聞いてるかもだけど、単にちょっと記憶ないだけだから。身体はピンピンしてるの」
「記憶……?」
(あっミスった)
知らなかったのか。やぶ蛇だった。
鹿王院くんの表情がさらに心配そうなものになる。
「いやあの、ちょっとだけね」
「ちょっと、とは?」
「えっとね、えーと」
(どうなのこれ。結局バレるのかな)
一応許婚とのことだし、折を見て言うつもりなのかもしれない。
(どうせいつか言うなら、今言っちゃえばいいか)
「生まれてからこないだの3月まで」
「……まるまるじゃないか」
「まるまる、だねぇ」
でも元気だから、と笑ってみせると鹿王院くんは複雑そうな表情で「そうか」とだけ言った。
「……不便はないか」
「敦子さんも良くしてくれてるし、夏休み明けからは学校にも行けるみたいだし。大丈夫」
ありがと、と笑うと鹿王院くんは照れたように目をそらした。
「でも、友達がいないのはちょっと寂しいかも」
ふとそう思って言い添えた。
(まぁ精神的にはアラサーですから、そこまではないんだけどね)
アキラくんは友達だけど、なかなか会う機会もない。電話はしょっちゅうくれるんだけれど、まだ私が友達と2人で遊ぶ許可を敦子さんがくれないからなぁ。まぁ、記憶喪失の中学生をフラフラ遊びには行かせないか……。
だから、直接会って話す友達って、いま、鹿王院くんだけだったりするのです。