悪役令嬢とコイバナ
「……やっば」
私は朝日どころかお昼になりそうな太陽の光を見て、私はぽつりと呟いた。
朝だ。朝です。むしろ昼です。
(眠れなかったからー!)
いや言い訳だ。どうしよう、だらしない子だと思われちゃうかなぁ。
ガバリと起きて、慌てて母屋へ行くとお手伝いさんの吉田さんがニコリと微笑んだ。
「おはようございます」
「お、おはよう……ございます。あの」
「大丈夫ですよ」
ふふ、と吉田さんは笑う。
「大奥様も樹様も、華様はお疲れのようだから寝かせてあげてと」
「あ、……はぁ」
「樹様は部活で、大奥様はお茶のお稽古に行かれています」
「り、了解です」
なんとなく気が抜けて、勧められるままに食堂の椅子に座る。
朝から(いや、昼)豪華なブランチをいただいて、私は手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
「華様のご予定は?」
「あ、今日は」
私は思わず苦笑い。
「友達と、お茶を」
「左様ですか」
苦笑いしてる私を、不思議そうに吉田さんは見つめた。
(だってねぇ)
私は思う。
(この年で、こんな、初恋みたいな)
変なの、って思う。そしてそれを友達に相談しちゃうのも、普通の中学生みたいで、少し戸惑う。
相談相手は、やっぱりというか、千晶ちゃん。家の近くのカフェまで来てもらった。
「ご挨拶うまくいったの?」
「それがね」
窓の外は晴天、というか暑すぎて蝉すら鳴いていない。アスファルトで目玉焼き焼けそう。
カフェオレを飲みながら、私は顔合わせの日のことについて話していた。
……なんだか、いざ面と向かうと、こう、恋バナって難しいよね!?
「なにそれー! 最低男じゃんっ」
「でしょ!?」
成田とかいうやつの所業について私は憤懣やる方なく語る。
「とりあえず弁護士さんが入ってくれることにはなったみたいなんだけど」
「その女の人の納得いく形になるといいよねぇ……」
中身大人2人はしんみりしてしまう。
「でもさ」
気分を変えるように千晶ちゃんは笑う。
「ほーんと、しっかりしてるよねぇ、樹くん」
「あは」
私は笑った。
「ね、ほんと私なんかより、よっぽど」
「え、なんか暗いんだけど……」
どうしたの? と心配気にみてくる千晶ちゃんに、ついぽろりと弱音を吐いてしまう。
「釣り合ってないよなー、って」
「誰が?」
「私と樹くん」
「え」
ぽかん、と千晶ちゃんはした後に、ふふふ、と笑った。
「なになに? ついに素直になった?」
「素直って、あ、ええと」
モゴモゴ言う私に、にこりと笑って千晶ちゃんは言う。
「だって、"どうせ婚約破棄する"んなら、そんなこと気にする必要ないじゃない」
「え、あ」
そっか。
どうせそうなるなら、そんな心配しなくていいんだ。……好きになっても、ムダなんだ。かないっこないんだ。
「だよね」
私は笑いながら首を振った。
「そんな必要ないんだった」
いいながら、私は頬と目が熱くなる。
(がまん、がまんだ)
喉が詰まる。
(胸が痛い)
いつか樹くんが別の人を選ぶだろうという予感が、胸いっぱいに広がる。そうだ、そうなる、はずなんだ。
「そうじゃなくて」
千晶ちゃんは口をとがらせた。
「華ちゃん、ほんとに樹くんのこと何とも思ってないの?」
「何とも、って」
今更言えない。
好きだなんて言えない。ゆるゆると首を振った。
「前も言ったけど、いつか大人になるんだよ、子供のままじゃない」
「そうだけど」
でも、と言葉を濁す私に、千晶ちゃんは続ける。
「華ちゃんはさ、いきなり大人だったから」
「ん?」
いきなり大人?
首をかしげる私に、千晶ちゃんは笑って続けた。
「わたしなんかはさ、前世の記憶もあるけど、千晶自身の小さい頃からの記憶もある感じじゃん。だから、周りが子供だとかさ、思うこともあるけどそこまで違和感はないんだよね」
そこで一度切って、千晶ちゃんはアイスミルクティーを少し口に含む。
「でも華ちゃんは、いきなり大人の意識のまま、子供として過ごさなきゃいけなくなったでしょ? そのせいで、変に自分は大人だっていう意識が強いんだと思う」
私は首をかしげる。そう言われても、大人なのは大人なのだし。
「華ちゃんの身体も、その脳味噌も」
千晶ちゃんはこつん、と私のおでこを叩く。
「14歳の女の子なんだよ? 同じ年の男の子に、恋して何が悪いの?」
私はおでこを両手で抑えたまま、千晶ちゃんの言葉を呆然と聞く。
(恋、していい、って)
しても、いいの?
「華ちゃん、無自覚すぎ。人の気持ちも、自分の気持ちも。一回良く考えて……ううん、考えなくていいや。一度フラットに過ごしてみて。普通の、女の子として」
にこり、と千晶ちゃんは綺麗に笑った。
「ゲームのシナリオとか、無視しちゃえ。ここは現実なんだよ。何がどう動くか、わからないんだから」
「そう、かな」
好きでいていいの?
それとも、と私はヒヤリとした。
(樹くんを好きになること自体が、シナリオ通りの展開だとしたら)
「どうしたの?」
「あ、なんでも」
「そう?」
そんな私を見ながら、千晶ちゃんは「あ、ひよりちゃん」とカフェの入り口を見た。
「ひよりちゃん?」
「やっほー!」
カフェの入り口から、元気な声。
「ふたりが見えたから来ちゃった! 元気? 夏休みなにしてる?」
今日はひよりちゃんは学校のピアノはおやすみで、でも通ってるピアノのレッスンがあったらしい。
(忙しいよね~)
私なんか塾だけで精一杯、って感じなのにね。
「先生がなんかうるさくってさー」
私の横にストンと座る。
「お疲れさま」
そう言いって笑うと、ひよりちゃんも笑う。終業式以来だ。
「あっアイスレモンティお願いします!」
ひよりちゃんは近づいてきた店員さんにそう伝えると「聞いてよ!」と少し大きめの声で言った。
「先生ったら、わたしが恋してないなんていうの!」
「……ん?」
私も千晶ちゃんも、首を傾げた。ピアノの話だよね?
ひよりちゃんは持っていたカバンから楽譜をとりだす。
「あ、なるほど」
「なにがなるほど?」
千晶ちゃんの言葉に、私は首を傾げた。
「この曲はね、叶わぬ恋をしたベートーヴェンが、その恋の相手に贈った曲なの。身分違いの恋。通称、月光ソナタ」
「へえ」
私は千晶ちゃんの言葉に頷いた後、楽譜を覗き込む。
「わ、すごっ、ひよりちゃんこんなの弾けるの!?」
両手で足りるの……? って、ピアノどころか楽器をしたことがないから、何も分からないんだけど。
「切ない恋が足りてないって! してるのに、わたし、切ない恋!」
らっぶらぶでさ! とひよりちゃんは口を尖らせた。
ちょうど、お水を淹れにきてくれた店員さんが、楽譜を見て「あら、月光ですか」と笑う。
「そうなんですー、ピアノの課題で」
「良ければお掛けしましょうか?」
今は店内は、それが何なのか分からないけど弦楽器(ヴァイオリン?)の聞いたことがあるような、ないような音楽だが、どうやら変えてくれるらしい。
店員さんの微笑みに、千晶ちゃんは「ぜひ!」と頷いた。
「次のレッスンまでに見返してやらなきゃなんですっ」
「ふふ、頑張ってください」
店員さんが奥へ引っ込んで行って、じきにBGMがピアノに切り替わる。
静かな旋律が、響いた。