黒猫はかく語りき(下)【side鍋島真】
「……は?」
樹クンは低い声でそう言うと、流石にぽかんとした顔をしてた。まぁね。僕も随分アタマオカシイと思ったよ。
「ウチの親父殿は独身であらせられましてね。まぁそれはさすがに、って話は流れたわけだ。それでキミ。まぁあの子のお祖母様、敦子さんと、キミのとこのお祖母様の圧力あってのことだけど」
訝しい目つきで、僕の話を聞く彼。
「まぁウチの親父殿だって本気にしてなかったのさ。なにせ年が離れすぎている」
「当たり前です……!」
「だから止めてよ、その目。僕がそうしようとした訳じゃない、ゴゼンだよ、常盤の。ほらあのヒト、女性を道具くらいにしか認識してないでしょ」
僕が首をかしげると、樹クンは眉間にシワを寄せた。まぁなにかしら心当たりがあるんだろうね。
「ちょーど華ちゃんが引き取られる寸前かなぁ。海自の新しい護衛艦だか駆逐艦だか知んないけど、アレの建設決まった頃だったじゃない? ホラ僕のオジーサマ、その辺上手だからさ、あと常盤サンって重工発祥だから。常盤はそれが欲しくて、オジーサマと交渉してて。その見返りのための、まぁ言うなれば人質だね、そのための婚約」
樹クンの眉間のシワが深くなる。あーあ、そんなに寄せてたら若いのにホントにシワになっちゃうよ?
「ちなみにシュリたんが最初僕の許婚って話もあったけど、僕が全力拒否したんだ。死人がでそうなくらいに全力拒否。僕の判断基準って千晶デショ?」
そう言うと、樹クンは知らねーよって顔をするからビックリした。えー、みんな知ってると思ってたのに、なんてね。
「千晶と上手くやれなさそうな子は無理無理なんだよね。だから、あの子の母親はキミにターゲットを変えてキャンキャン言っていたんだねぇ」
「……そうでしたか」
樹クンはあんまり知らなかったみたいだけど、シュリ母娘の権力志向はものすごい。まぁ娘の方は、親の言いなりってかんじもしてるけど。
「でも、まぁ、さすがにゴゼンもシュリママも実の娘をオッサンにやる気にはならなかったみたいで、そんな時にチョード現れたのが華ちゃんって訳」
「そんな理由で……!」
コイツ次に常盤の御前目の前にしたら殺すんじゃないかなぁ、それはそれで面白いなぁ。ふふふ。
「ゴゼンはね、存在知らなかったみたい。華ちゃんの。で、ほらあの事件、華ちゃんのお母さんの事件。でかく報道されたでしょ。最初だけ。それで知って、敦子さんより先に華ちゃん引き取ろうとして、まぁその辺のゴタゴタは分かんないけど、なんとか敦子さんの勝利。まぁ妹には勝てないよね、すべての兄と妹がそうであるように」
それに関してコメントはなかった。
ちぇっ。一人っ子だから分からないんだ。妹がいるやつなら皆同意してくれると思うんだけどなぁ。
「で、まぁ、最初は僕の許婚に、って話が内々に出たみたい。でもホラ、シュリ断ってるでしょ、あの子の母親、プライドの塊みたいな女だから。華ちゃんならオッケーみたいになるとイヤだったみたいで、それはお流れ。それでウチの親父殿。10年もすればお召し上がりになれますから的な?」
樹クンの目が怖い。普通に怖いなぁ、ふふ。
「ま、それはそれで無くなったわけだ。キミが許婚になって、万事解決棒棒鶏」
「……お父上が茨城から出馬というのは本当ですか」
「あれ、知ってたの」
僕は首を傾げた。
「ああ、そっか如月クンか。仲良いもんね」
それ知ってるなら話が早い。
「そんなわけで、ウチの親父殿はやっぱり華ちゃんが欲しくなりました。とってもとっても欲しくなりました。自分でも僕でもいいから、常盤にバックについてもらえるように」
ごん、と拳で机が叩かれる。
「華を政治の駒にするな」
「だから僕じゃないんだって、手はやめときなよ商売道具じゃん、ブルガリアかよ」
ぽかんとされた。通じなかった。これ通じる人いるのかな。ふふふ。
「まぁ親父殿が華ちゃん自分の婚約者にしたところで、世間には絶対絶対ぜぇったい公表できない、できないけれども常盤は動く。常盤が動けば票が入る。見返りはダム工事。その約定の楔として、華ちゃんとの婚約。ダムだけじゃないよ、いっときの政治の混乱で停止してた治水関係、一気に予算ついた分」
僕は笑う。さすがに。
「どーん、と。ダムだけに」
「ふざけるな!」
カフェテリアにいた、他の生徒もさすがにこちらを気にしている。夏休みで人は少ないけれど、やめてよなぁ、目立つのイヤなんだって。
「耳がキンキンするからやめて」
「……すみません」
ものすごく、おざなりな謝罪。まぁいいや。
「まぁ大丈夫、常盤も鹿王院との関係崩したくないだろうからね。キミと婚約してる間は華ちゃんは守られてるのさ、だだ今回の治水関係、あと何年かは予算つくからね、気を抜かないことだ。だから」
僕は笑っちゃう。コイツどんな顔すんのかなとか思っちゃう。
「もし解消、ってことになったら華ちゃんは35歳上のオッサンとこに嫁ぐことになりますなぁ」
樹クンたらそんなにお目目をみひらいちゃって、まぁ。
「敦子さんがどこまで戦えるかだよねぇ、あの妖怪と」
「妖怪?」
「あは、知らない? ゴゼンの伝説いろいろ。まぁ直接関係ないから省くけど、ゴゼンが本気出したらまぁ今日にでも華ちゃんのじゅんけ」
ごん、とテーブルが蹴られた。
「やめてよ」
「手はやめろと」
「だけどさぁ」
僕は口を尖らせて笑う。
「まぁそんな感じで、僕は彼女を僕の婚約者にして守ろうと思って。35歳上のオッサンよりはマシでしょ? 千晶とも仲良いし。こっちから婚約しちゃえば、シュリママもさすがに文句言えなくない? あとは、ま、キミより僕が適任だからさ」
「は?」
「だってキミ、地獄なんでしょ。あの子に想う人ができちゃうことが。僕は平気だもんね」
気に入ってはいるけど、相手の感情なんか僕には関係ないし。
「もし華ちゃんにほかに好きな人ができちゃったりしたとき、キミは身を引くんでしょ。なら道はひとつ。婚約解消して華ちゃんは僕か、僕の親父殿に嫁ぐ。おわり」
「な、」
樹クンったら、そんなに慌てちゃって。まだ続きはあるって。微笑んでみせる。
僕は指を一本、立てて樹クンの目の前に出す。
「婚約解消しなければ、もうひとつ道ができる。キミが地獄を耐え抜いて、華ちゃんが自由になれるまで守り抜く」
僕は笑う。
「どちらを選ぶかはキミ次第。ただし、僕の婚約者になったらフツーに嫌がっても手ぇ出すからそれは覚えといてね」
「は、」
「じゃあお話終わりー。ざっつおーる。じゃあね樹クン、またお茶でもしようね、あ、さっきも言ったけど良ければこのコーヒーどうぞ」
僕は立ち上がり、さくさく歩く。振り返ったりしない。言うこと言ったから。
(あー、僕って親切)
わざわざご注進申し上げるなんて。
とってもいいことをしたので、華ちゃんのお友達たる千晶から、何かご褒美をもらってもいいと思うんだけど。まったくあの子はツンデレだから困っちゃうよね、素直に甘えてくれてもいいのにさ。
なんて思いつつ、簡単に前言撤回して、ちらりと樹クンを振り返る。
(あーあ、怖いカオしちゃって)
僕はちょっと笑いながらカフェテリアを出た。夕方になりつつある夏の空はどこまでも晴れ渡っていて、なんだか僕は急に腹立たしくなったりしてみた。




