悪役令嬢のサムズダウン
私は微笑む。
「行こう圭くん」
「え?」
戸惑う圭くんの手を取り、立ち上がる。
「私ね、もう食事に戻らずに。ここの人に頼んで、部屋に食事持ってきてもらおうかなって。1人だとつまんないから、おしゃべり相手、して?」
「ハナ?」
「ちょっと、アタシの話聞いてるの」
シュリちゃんの苛ついた声。
「デザートは食べた?」
「あ、うん」
「無視? ねぇ、本当のこと言われてムカついたんでしょ?」
私は圭くんの手を引く。
「なんだった? デザート」
「あ、えっと、ココナッツミルクにフルーツが」
「うっそ、楽しみ!」
それはめちゃくちゃ美味しそうだ。
「聞きなさいよ」
シュリちゃんの声が、少し低くなる。
私は無視をして足を進める。
「そういえば、さっき樹様だって、アンタに触れるとき怖い顔してた! ほんとはアンタなんかに触れたくないんだ!」
急に勝ち誇ったような声で、少し裏返ったような声で、シュリちゃんは叫んだ。
「樹様だって、本当はアタシがいいに決まってる!」
何も知らないコドモ。
自分が正しいと、信じているコドモ。
私の脳裏に、松影ルナが浮かんで、消えた。
「ねぇ、返事は!?」
シュリちゃんは早足でついてくる。苛つきで、声が完全に裏返っていた。
(こんな簡単に煽られなくても)
こっちに相手をする気がない、と分かるのだから、シュリちゃんだって無視すればいいのに。
苛つく相手に、わざわざ絡んでいく気持ちが分からないのは、私の中身が大人だからだろうか?
「そういえばお刺身、大丈夫だった?」
「え?」
「イギリスでもお刺身食べれるの?」
「あまり食べたことはないけど、時々お寿司食べに行ってた、とうさんと」
「そっかぁ」
ジャパニーズスシ。流行ってるのかな、イギリスでも。
「ねぇ、ほんとのことじゃない! アンタたちは死神! そのうちさ、ほら、父親の方だって!」
なおも背後から聞こえる、ヒステリックな声。
私は振り向いた。
「誰も聞いてないよ、アナタの話なんか」
シュリちゃんは目を見開いて、唇をわななかせた。
「き、聞いてるじゃない」
私はその声を完全に無視して、早足で圭くんの手を引いた。ロビーまで戻り、さてどうしたものか、と考えつつ、圭くんの、その綺麗な翠色の目を見つめた。
「なに?」
視線に気がついた圭くんが小首を傾げるーーはぁ、可愛い。
「目がきれいだよね、お母さんと同じ?」
「ん?」
圭くんは手でまぶたに触れるようにして、ほんの少し、はにかむように笑った。
「うん、あんまり覚えてないんだけど」
「素敵な色だね」
「ほんと?」
「うん」
「あの子には、気持ち悪いって言われたから」
圭くんは、少し寂しそうに言う。
「日本ではあんまりいい色じゃないのかなって思ってた」
「え、そんなことない」
シュリちゃんの口撃、あれずうっと受けてたら精神的に来るよなぁ……。
「チアキも褒めてくれてたんだけれど」
「ほんと?」
くすくすと笑う。千晶ちゃん、元々、圭くん推しだからなぁ。すごいベタ褒めだったんじゃないだろうか。
「ま、とりあえず戻ろっか。それでさ、ほんとにゴハン部屋に運んでもーらお」
「あ、ほんとに?」
「うん。これ以上、シュリちゃんとご飯ムリ」
ってことを、広間に戻って敦子さんに伝える。さすがにね。
「死神? 呪われてる?」
敦子さんは大伯父様とアカネさんを見た。
「そんなことを、この子たちに?」
全身から不機嫌オーラを吹き出しながら、敦子さんは言う。
「本当のことではありませんか……あら、華様も同じね。ふふ、だって」
朱音さんは口に手を当てて、上品に笑った。
「それ以上その口を開いてみなさい」
敦子さんはアカネさんの言葉を遮り、睨みつけた。
「全力で貴女を潰すわ」
「や、やれるものならやってみなさいよ」
「そこまでにしておけ、アカネ。敦子を怒らせると後々面倒くさいんだ」
「そんな、あなた」
「それで、圭だが」
大伯父様はチラリと私と圭くんを見た。
「桂男というものがいる」
「……は?」
「圭の名前に、木をつけたら桂になるだろう」
何を当然のことを、と言わんばかりの大伯父様。
「はぁ」
生返事になる。なに言い出すんだろ、このヒト。
「コレは月に住んでおってな、月から手を招いてヒトの寿命を縮めるという」
「……はぁ」
「名は体を表すという。そこの圭もまた、その宿命を背負っているのではないかとな、まぁそういう話だ」
ぽかん、と大伯父様を見つめる。
(……言い訳、それ?)
適当すぎる。
ウチに来たばかりの圭くんをおもいだす。
『触らないほうがいいよ』
寂しげに言った、圭くん。
(かなり、精神的にきてた、はず)
父親の母国とはいえ、知らない場所、頼りの父親は入院してて、それも心配で不安だろうに、そこに塩を塗り込むみたいにそんな言葉を放った、このひとたち。
「……あの、大伯父様?」
私は首をかしげた。
「月に生物は住んでおりませんよ」
「そんなことは分かっとる、単に」
遮るように続けた。
「まぁ、将来的に微生物くらいは発見されるかもしれませんが」
「だから」
少し眉を寄せる大伯父様に、にっこりと微笑んでみせる。
「大伯父様ったら、夢見がち」
語尾に星マークつけちゃう口調。
(あ、私。怒ってる)
シュリちゃんには感じなかった怒りが、このヒトたちにははっきりとそれを感じた。
(大人なのに)
圭くんが、どんな環境にいるのか分かっているはずなのに。大伯父様なんて、圭くんは自分の孫なのに。一番ケアしなきゃいけない立場の人間が、こんなことでは。
だから思いっきり右手を手を握りしめ、親指だけピンと立てて地面に向ける。サムズダウン。満面の笑みで、見下すようにこう言った。
「寝言は寝て言えクソジジイ」