許婚殿はエビが好き?
シュリちゃんが今度は呆然としている。
「あれ、樹くん?」
「近くの旅館に来ていたのでな、御前にご挨拶と思ってな」
樹くんはじろりとシュリちゃんを睨みつけた。それから、私の髪をひとふさ、そっと持ち上げてキスをする。
(……?)
……イタリア人でも乗り移ったのだろうか? こないだ遠征でイタリア行った時に、妙な学習をしてしまったとか?
私が首を傾げている間に、樹くんはスタスタと大伯父様のところへ向かった。何人か大人たちも、慌てて立ち上がっている。
「御前、お久しぶりでございます」
「おお、鹿王院の」
「お食事中に失礼かとは思ったのですが」
「いや、アンタが来て失礼な場などないよ、鹿王院の。食事は」
「もういただいております」
「そうか」
「今回は、お礼に」
「礼?」
「はい」
「何かしたかな」
大伯父様は、あごに手をやり考えるそぶりをした。
「華を俺の許婚にしてくださったことです」
「……ほう?」
「望外の幸せです」
「そうか」
大伯父様はチラリと私を見て、そのあとシュリちゃんを見ながら「他に候補はいたのだがな」と呟いた。
「華以外は考えられません」
「ふん、なるほどな。敦子の差し金か」
「なんのことか」
にこりと笑う樹くん。
(ああいう笑い方、初めて見たなぁ)
でもなんとなく、事情は読めた。敦子さんが静子さんに援護射撃を要請して、それで樹くんが来たんだろう。何でかは分かんないけど。
「はは、まぁ噂には聞いていたが……なるほどな、おい華、どんな手を使った?」
「……は?」
私は車海老を食べようとした姿勢のまま止まった。
(手?)
手もなにも、エビの殻は剥いてありましたが……なので箸しか使っておりませんのことよ大伯父様。
「華はなにもしていませんよ御前、俺が一方的に……、好きなだけで」
エビを?
車海老を?
私は箸で掴んだ車海老をお皿に戻した。あとであげよう。そんなにエビが好きだったとは……。
「そう言うな鹿王院の」
「お兄様、いい加減にしてくださらないかしら、無粋ですわよ」
敦子さんが間に入る。
「ふん、どうせここに呼んだのもお前のくせに」
「なんのことだかサッパリ。樹くん、静子さんは?」
「旅館におります、俺もそろそろ戻らなくては。御前、また後日正式に披露の日取りをお知らせしますので」
「……分かった。おい華、お送りしなさい」
「あ、はい」
私は立ち上がる。
私の席まで来て「行こう、華」という樹くんに「エビたべてく?」と聞いたら不思議そうな顔で「いらん」と言われた。いやいやこっちが不思議なんですけど。好きって言ってたじゃん。
そして、なぜかわざわざ樹くんは私の腰を引き寄せるようにして歩く。イタリア人型宇宙人に身体でも操られている……!?
(てか、やっぱりイタリア遠征で変な学習をしたのでは!?)
首を傾げて見上げると、ちょっと怖い顔をしている。照れてる。まだイタリア男にはなりきれてないらしい。ちょっとホッとした。
会場を出ると、樹くんはぱっと私の腰から手を離す。
「すまん、嫌じゃなかったか」
「嫌じゃないけど状況がいまいち」
「ああ」
樹くんは笑った。
「いや何、本当に挨拶というのもあったのだがな、釘を刺しに」
「くぎ?」
「うむ。あの御前の娘な」
「ゴゼンって大伯父様のこと?」
「そうだ」
「じゃあシュリちゃん?」
「うむ。その娘だが、俺の許婚候補、だったらしい。俺もさっきまで知らなかったのだが」
「え!?」
私はぽかんと口を開けた。
「御前の奥様が一方的に決めていたことで、祖母も両親も相手にしていなかったらしいが、なにせ御前の娘だろう。無碍にもできず、なぁなぁにしていたらしい」
「ほえーん。じゃあさ、アカネさんとシュリちゃんからしたら、私急に現れて樹くん奪ってったヤな奴じゃない……?」
「そんなことはない、それに俺は華が許婚で良かったと思っている」
「うん、私も樹くんで良かった」
あの感じだとさ、変な人のとこでも平気で私を嫁がせそうだよね、あのジジイ……!
(樹くんとは仲もいいし)
いい子だし、あと、うん、カッコいい。ふと思い出す。サッカーしてるとことか、体育祭での学ラン姿とか……ってなに想像してんの私!? 慌ててかき消す。
ふと樹くんを見上げると、ぼけっと私を見つめていた。
「なに?」
「いや夢かと思って」
「ほっぺ引っ張ってあげようか、びよーん」
「ふは、華やめろ」
楽しそうに笑う樹くん。
(うん、こっちの笑顔のほうが断然いいね)
さっきの大人びた笑顔は、あんまり似合ってなかったよ。