悪役令嬢は身を引くことにする
「はいらぶらぶー」
「らぶらぶー」
「見せつけてくれますわね」
救護テントで「滲みる滲みる!」と消毒に散々大騒ぎした後(情けなや!)足首をきっちりテーピングしてもらって、クラスの応援席に帰ると、なぜか千晶ちゃんまでいて揶揄われる。
(あ、圭くん見に来たのか)
あとで紹介してあげなきゃ、だ。
ていうか。
「……違うから」
私は唇を尖らせた。あの子は割とフェミニストっていうか、あんな感じの子なんだって!
と、思うのにほっぺたが赤い、と思う。暑いせいかな。きっとそう。
「あ、ほら、応援団出てきましたわよ!」
竜胆寺さんの声に、つい反応してしまう。樹くん、団長さんなんだもんな。
金ボタンが光る黒い詰襟の学生服に、長い真っ黒な鉢巻。隅っこに「赤組」と赤字で刺繍してある。
白い手袋、それから裸足。痛くないのかなぁ。
(普段、ブレザーだから)
この学校の制服。真っ黒詰襟とか、なんか、なんだろ、きゅんとしてしまうのはきっとギャップがあるせい。
きゃあ、と女の子たちから歓声が上がるけど、誰へ向けた黄色い声かは分からない。
でも私は、勝手に「樹くんに」向けられたような気がして、少しだけ、ほんの少しだけ、胸が騒ついた。
(……なーに暗くなってるの私)
体育祭だよ、みんな楽しい体育祭だよ!?
視線を前に向ける。どおん、と太鼓の音がした。
「さんさんななびょーし!」
樹くんの声がグラウンドに響く。やっぱり胸がギュッとした。
(それにしても)
応援合戦、って懐かしいよなぁと見つめている。
「……セレブでも三三七拍子するんだね」
「まぁ、大学野球でもこんな感じですわよ」
スポーツ観戦激ラブな竜胆寺さんは淡々と言う。ま、そりゃそうか。
関係ないことを口走るのは、そうじゃなきゃバカみたいにぽかんと樹くんを見つめそうになるから。
(……かっこいいじゃん、ねえ?)
サッカーの試合の時も思った。樹くんが「かっこいい」のって、私がなんだかドキドキしてしまうのって、ちゃんと少年してるときの樹くんだ。
(……そんな趣味あったかなー?)
残念な前世の恋愛遍歴でも、さすがに随分年下の少年にときめきはしなかったはずだけれど。
硬派な感じのターンが終わって、流れるのは最近の流行曲。
(アキラくんはよく聴いてるみたいだけど)
樹くんは最近の曲とか聞くのかな?なんか、クラシックとか詳しそう……なんて思って「そんなことないかな」と思い返す。
(案外、というかなんというか。樹くんって、"普通"の男の子だからさ)
機会があったら聞いてみよう、なんて思っていたら。
「あ」
思わず声を出す。チアの女の子と踊ってる……。いや、いいんだけど。応援あるあるなんだけどさ!
……そっから、カップル誕生したり、さ?
「……」
竜胆寺さんはちらり、と私を見てくる。
「なに?」
「いいえ」
ふ、と笑われた。
「あの、ヤキモチとかやく間柄じゃないから」
「はいはい」
軽くあしらわれた。むう。
なんでか樹くんと踊ってるチアの女の子と目が合う。なんか、なんていうか、可愛い子だった。さらさらの長い髪を揺らして、にこにこと笑ってーー。
(ああ)
なんとなく、胸が重い。ああいう子が、男の人はーー男の子は、好きなんだ。
(前世でもそうだったもんね)
私をセカンド扱いしてたヒトたちの、本命はいつだってあんな女の子……と、考えて慌てて首を振る。
(いや関係ないよ、うん)
樹くんが誰に恋しようと、私には関係ない。私たちは「お飾り」の許婚。互いの祖母が、勝手に決めた。
(でも、苦しいよね)
恋してるのに、許婚っていうタンコブがいたら。
(というか、その時は大人しく身をひこう)
そう決めた。だって、そのうちヒロインちゃんが入学してくるのだからーーと、はたと気がつく。
「身を引くってなに!?」
「ど、どうなさったの!?」
思わず口に出た妙ちきりんな言葉に、竜胆寺さんがびくりと肩を揺らした。
「え、えへへへへ」
誤魔化すように変な笑いを浮かべながら、私は考える。
(身を引く、って身を引く、って)
まるで、私が樹くんに恋してるみたいじゃん!