【分岐、鹿王院樹】体育祭
6月、ギリギリ梅雨入り前の晴天の下。
「晴れたかぁ」
「嫌そうだな」
樹くんが不思議そうに返して来て、私は苦笑いした。いやぁ、そりゃ、楽しいけどさ。
今日は体育祭。
雨天順延で、平日開催となった今年は、保護者の姿もちょっと少ない。
(敦子さんも仕事だし、ちょっとさみしい。お弁当も給食になっちゃったし)
美味しかったけど。完食、おかわりまでして文句は言ってはいけない。
(けどけどっ、八重子さんの唐揚げっ)
お手伝いの八重子さんの唐揚げは、絶品なのですよ。カリカリでジューシーで……。
(うう、食べたかったなぁ……)
そして晴天ということは、日焼け間違いなし。すでにヒリヒリしている。
それに、私……。
(というか、華の、かなぁ?)
なんで言えばいいんだろ。まぁとにかく、この身体は運動苦手でこそないけれど、アラサー精神的にはまる1日土ボコリ舞う運動場にいる、というのが……。けっこう、疲れちゃうんですよね。
「この学校、芝生のグラウンドもあるからそっちでしてくれればいいのに……」
「たしかになぁ、少しは涼しいだろうに」
樹くんもふう、と軽く息をつく。私は軽く見上げた。樹くんは、詰襟に長い鉢巻き。いわゆる応援団スタイル。
「てかさ。似合うよね、それ」
思わず声に出た。樹くんはきょとん、とした後少しだけはにかんで「そうか?」と笑う。
「暑苦しいが」
「この時期にはねぇ」
そんな話を、応援席の後ろ側でしている。たまたま通りかかった樹くんが、声をかけてくれたのだ。
きゃあとクラスの女子から歓声が上がってたから、うん、顔がいいのも罪だよなぁ……。
(まぁ樹くん、顔だけじゃないもんなぁ)
そらモテるわ。
まじまじと見つめていると、むっと眉を寄せて目線を逸らされる。あ、照れてる。思わず笑うと、樹くんも釣られたように笑った。
「華ちゃん、そろそろ並ぶよー」
「あ、うん」
ひよりちゃんに呼ばれて、樹くんに手を振った。「頑張れ」という声に曖昧に頷く。
……今から女子のリレーなんだけれど。
(……気にしない、気にしない)
なんとなくモヤるのは、やっぱりあの話を聞いちゃったせい。他のクラスの男子が、私を見て噂してるとかどうとか。
午前中、私が出たのは玉入れとかの団体競技だったから、人目はそこまで気にしなくて良かった、けれど。
(好きで大きいわけじゃないもん)
いや、食べ過ぎのせいと言われればそうなんだけれど。うう……。
「大丈夫?」
ひよりちゃんが気遣ってくれた。私は慌てて笑い返す。
「ん、大丈夫! 一番とろうね!」
「だね!」
にこにこと返された。
実のところ「青百合組」より「一般組」のクラスの方が、体育祭は有利なのだ。
(スポーツ推薦組がいるからねぇ)
うちのクラスも何人かいる。ライバルは他の一般組で、青百合組は眼中にないのだ、みんな。
(足を引っ張らないようにしないと……)
と、応援席の隅っこを通りかかった時だった。
ひそひそ、とした会話と、軽い笑い声。思わず赤面した。その会話は、明らかに私に向けられたもの、だった上に……なんていうか。
(……こーの、ドーテー中学生どもめっ)
おそらくはイカガワシイ雑誌やらサイトやらで知ったであろう、あまりに直截的な単語。ひよりちゃんも流石に絶句して、私を少し庇うようにしてくれる。
「やめろよ」
くすくす、と男子たちは笑っている。
「聞こえたらどーすんだよ」
「そーだよ、鹿王院のイーナズケだぜ」
「形だけ、って噂だろ? いいんじゃん別に」
「そうそう。お飾りの」
別にどーだっていいんじゃね、と男子たちは笑った。
(どうだっていい、ってことはないだろうれど)
樹くんは、友達思いの子、だから。
ただーー形だけ、っていう言葉が、やけに耳に残った。
(形だけ、かぁ)
そうなんだよね。形だけの許婚。仲良くはしているけれど。
なんとなくの、寂寥感。
(……なんでだろ)
そんなこと、感じる必要はないはずなのに。
私たちが気づいたことを察してか、男子たちはふと黙る。けど、まだニヤニヤしてるし目線が完全に私に向いてて、私はひどくゲンナリした。
と、ふと影が私の前に出来た。
見上げると、さっきまで見てた黒い学ラン。
「聞き間違いだったら申し訳ないのだが」
樹くんは、低い声で言った。
「いまのは、俺の許婚を侮辱する言葉だろうか?」
くすくす笑ってた男子たちは、しん、として樹くんを見上げている。「やべっ」て顔してたり、曖昧な笑みを浮かべていたり、様々だけれど。
「答えろ」
樹くんの目が細くなる。
「さもなければ」
「樹くん、ストーップ」
私はあえて笑って、樹くんの学ランを掴んだ。
「大丈夫だから」
「しかし」
「ね?」
にこり、と微笑むと樹くんはしぶしぶ、と言ったように男子たちから視線を逸らし……たかと思いきや、一歩踏み出して言った。
「次にこんな真似をしてみろ」
ただでさえ鋭い目つきを険しくして、樹くんは言い放った。
「宣戦布告だと判断する」