【分岐・鹿王院樹】悪役令嬢は勘違いする
(言ってくれたら良かったのに)
樹くんの家の玄関で、靴を履きながらそう思った。
敦子さんが持っているナントカとか言うお茶碗。どうもお茶会で使うとかで静子さんが借りたがっているらしい、と聞いて私は「じゃあ私持っていく」と手を挙げたのだ。お魚見たかったし。
でも、急に来ちゃったせいで、静子さんはご不在。
「あ、静子さんお出かけなんですか?」
「そうなんです、そちらはわたくしで預かっておきますね」
私はお茶碗の包みを渡す。お手伝いさんの吉田さんは、やけにうやうやしく、それを受け取った。
「樹様もさっきお帰りになったところです。お部屋にいらっしゃると思います」
吉田さんがニコニコしながら言う。
「お客様がこられてるんですが、気になさらなくていいと思います」
「? そうですか」
お客様?
静子さんのお客様かな、帰りを待ってるのかも。広間にいるのかな、と会っちゃわないようにぐるりと遠回りして樹くんの部屋に向かう。
ガチャリとドアを開けると、女の子がいた。高校生くらい?
(……樹くんの、ジャージ)
見覚えのあるジャージだった。女の子は、不思議そうに私をみている。
(え? え? そういうこと?)
私はしばし呆然としたあと「お邪魔しました」と言ってドアをぱたりと閉めた。
(そういうことも何も、……そうだよねぇ?)
自分の部屋で自分のジャージ貸す、って、彼女とかじゃないとしないよね?
(うわわわ、言ってよお!)
私は早足で角を曲がりながら思った。
その時背後で「あおいさん」と彼女を呼ぶ樹くんの声がした。広間の方の廊下から来ていたのだろう。
(……あおいちゃん、っていうんだ)
いや、名前はいいんだけど。別に。
(許婚の件、好きな人できたら考える、とか言ってたのに!)
できてるじゃん。好きな人どころか、彼女! もう! しかも年上!
隅に置けないどころではない。
(……言ってくれたら良かったのに)
少なくとも仲が良い友達だって、思ってるの私だけなんだろうか……。切ない。
なんだか、すごく。
(なんだろ、黙ってられたのが嫌だったのかな)
心がすこしだけ、ざわついている。
(なんでだろ?)
よく、分からない。
ちょっぴりしんみりしつつ、玄関から出る。
鯉だけ見て帰ろうかな、と庭をサクサク歩いていると樹くんがとんでもない顔で走ってきた。
「華っ!」
「樹くん」
しまった。見つかった。
(気を遣わせちゃう)
さっさと帰ってたら良かった。申し訳ない。
「あのな」
「ごめんね、お客さん来てるなんて思ってなくて」
「いやそのな、」
「言ってくれたら良かったのに」
ちょっと責める口調になる。そうしたら、急に家に来るなんてしないのに。
(彼女さん、樹くんに許婚いるって知ってるのかな)
ヤな気持ち、だろうな。
ちょっとシュンとする。早めにどうにかしないと。
「違う」
「年上が好きなんだ?」
樹くんしっかりしてるから、その方が話も合うよね。いや実は私も中身はかなり年上なんだけど、それはそれ。
「誤解だ」
その時、ガラリと窓が開く。樹くんの部屋の大きな窓。
「許婚さん! 誤解です! あたしはペットショップの従業員で、水槽のメンテナンスにきてて、えーとジャージ着てたのは事故でっ」
あおいちゃんが叫ぶ。
(あ、許婚って知ってるんだ)
家同士のこともあるし、気を使っているのだろう。
(さすが年上、オトナだ)
そう思いつつ「私のことは気にしなくていいのに」と答える。
すると痺れを切らしたように、あおいちゃんが男の人を引っ張ってきた。
「こっちが彼氏です!」
「らぶらぶでぇす」
(……?)
首を傾げて、よくよく考える。
ええと、ペットショップってことは水槽のメンテナンス?
で、あの人の彼氏はあの大人の人? で。
(てことは?)
首を傾げた。えーと、えーと!?
(……あああ)
とんでもない勘違いじゃないか、私!!
は、恥ずかしいですよ!? ひとりで早合点して、ひとりで暴走してましたね!?
「ご、ごめんなさい、私、早とちりを」
ぺこり、と頭を下げてちらりと樹くんを見上げると、ものすごく安心した顔で笑ってくれた。
ほんとにごめんなさい。
その後お茶したところ、そもそも「あおいちゃん」ではなく「青井さん」だということも判明。
「ほんと、変な勘違いを……ごめんなさい」
「いいのいいの、そもそもあたしが水かぶったのが悪いんだし」
「そうだぞ反省しろ」
「店長は黙ってて」
お、年下に尻に敷かれてますな店長。仲よさそうで何よりです。
「てかあたし、中学生に手ぇ出すように見える?」
「えっと、ごめんなさい、青井さんのこと高校生かと」
そう言うと、店長さんは爆笑した。
「ひゃひゃひゃ、高校生だってよ? 青井サン?」
「ち、違うんです、高校生か大学生くらいかなぁって」
慌てて言い訳する。いや、思いっきり高校生だと思っちゃってたんですが、ええ。
「いいの、慣れてるから……店長笑いすぎ。後で覚えとけ。ね、華ちゃんもお魚好き?」
「はい! 良く知らないんですけど」
「いいのいいの、その内勝手に覚えるから」
「そんなものですか?」
私が首をかしげる。
「こんだけ魚好きな人といたら勝手に覚えるでしょ」
そう言って青井さんは、本当に楽しそうに笑った。