【閑話】アルバイトちゃんはどきどきする【side???】
高校の時の生物部の先生から紹介してもらった、アクア専門のペットショップのアルバイト、あたしには天職ってかんじで楽しくバイトしてる。
「淡水エイ新しいの入ってます?」
大学帰り、直接アルバイト先に来たあたしは、レジで暇そうにしていた店長に、お店に入るなりそう聞いた。
「うん、タイガースティングレイ、昨日届いた。見る?」
店長は嬉しそうにそう答える。
店長っていっても、雇われ店長で、まだ二十代前半くらいだと思う。そんなに年は変わらないはず。
結構気が合うので、それもバイトが楽しい要因だったりする。
「見ます見ます~」
お店のエプロンをつけ、すぐあたしは売り場に出た。かわいい魚たち。
写真を見て一目惚れしていた淡水エイは、優雅に180センチ水槽の低層を舞っていた。価格は七万円(税抜き)。
「きれー」
「買う?」
「バイト代あげてください」
「はっはっはっ」
誤魔化すように笑った店長は、気づいたように「あ」と言った。
「バイト代は上げられないけど、出張費なら払えるよ青井」
「え」
出張?
「ほら、鹿王院さんとこの」
「水槽何かありました?」
あたしはうなずきながらそう答えた。
(えーと、樹くん、だっけ)
とんでもなく整った顔をしたその中学生は、意外にもかなりの魚好きだ。
サッカーの試合帰りなんかに、ジャージのまま都内のこのお店まで来て魚を見たり買ったり、店長と雑談して帰ることもあり、あたしも顔見知りだったりする。
さすがに中学生に手を出したりはしないけれど、時々「……5歳差か、もう少し大きくなったらアリかな」とか脳裏によぎったりする。時々ね。時々。
本当に手を出そうとかは思ってないけど、まぁそんだけ彼はカッコイイのだ。
成長が楽しみなのはほんと。
「クマドリカエルアンコウ、水槽立ち上げ中でしょ彼」
「はい」
「コケ出ちゃったみたいで」
「はー。茶ゴケ?」
「赤」
「ああ」
「んで、見にいこっかなって」
「また?」
「うん」
にやり、と笑う店長。
鹿王院さんは気前がよくて、出張費も作業料もケチられたことがない。正直、こんな平日の昼間はお店開けておくより鹿王院家まで行っちゃった方が儲かるらしいのだ。
「青井も行こうよ。なかなかだよ彼の水槽。水換え手伝って」
「んー、あー、いいですよ」
超お金持ち、というその少年の家を見てみたい、という野次馬根性があったことは否定しない。
けど。
「そ、想定外なんですけど!?」
「すごいでしょ」
純和風の、まるで旅館みたいなつくり。門までお手伝いさんらしき女性がお迎えに来てくれた。続いて玄関に入る。
玄関には、上品そうな還暦過ぎくらいの女性。
「あら店長さん、こんにちは」
「お邪魔いたします」
「ごめんなさい、樹まだサッカーから帰ってないの。そちらは?」
「うちのアルバイトの青井です。青井、こちら樹くんのお祖母様」
あたしはぺこりと頭を下げた。
「青井と申します、よろしくお願いいたします」
「あらお若いのにしっかりしてるのね」
お祖母様はころころと笑った。
「部屋は好きにしていいそうよ。わたくし今からちょっと外に出ますので、お構いできなくて申し訳ないんですけど、もう樹も帰ると思います」
「いえいえ、ほんとにお構いなく」
店長が笑って答えながら、玄関を上がる。
「おじゃしまーす……」
あたしは何だか慣れてる店長の後ろに機材を抱えて続いた。
少し迷いそうになりながら、樹くんの部屋にたどり着く。
「あ、うわ、可愛い。アンフィ飼ってるとは聞いてたけど」
「これちょっと餌やりすぎかもね。後で言っとこ」
しっかりしてるとは言っても中学生な樹くんの水槽を、店長はなんやかんやと気にかけているみたいだ。個人的に樹くんが気に入ってるんだろう。
「あ、これか。そこまで酷くないね」
「ですね」
「ちゃちゃっと掃除してお茶もらお」
「それも目的だったんですね……」
店長の話だと、お茶受けのお菓子がまた絶品らしい。
ちょうどその時、部屋のドアが開いて樹くんが顔を出した。
「すみません、わざわざ」
「いやぁ全然! 掃除と水換えしちゃうよ」
「手伝います」
ジャージ姿の樹くんはそう言った。部活帰りかな?
なんやかんや、彼は魚の世話が好きなのだろう。少し楽しそうだ。
「そんなに酷くないね」
「ですか? あまり赤ゴケ出したことなくて」
「そうだっけ」
楽しげに会話しながら、掃除をしだす2人。ちょっと手持ち無沙汰。
「青井、水汲んできて」
「ハイ」
店長に窓の外を指さされた。
大きな窓から庭に出られるようになっていて、出てすぐに蛇口が見える。
窓の外にあったサンダルを借りて水をバケツに汲み、そこまでは良かったのだけど。
「ぎゃあ」
「なんだカエルが潰れたような声を……あーあ」
「……、すみません」
転けて、全身に水をかぶってしまった。
「ここの段差気づかなくて」
「大丈夫ですか」
樹くんも窓から顔を出した。
少し心配気に眉をよせて「俺のジャージとかで良ければ貸します」と言う。
「あ、いや、そんな」
「借りとけ青井。部屋入れんだろ」
店長にもそう言われて、樹くんにジャージを借りた。
玄関にまわり、お手伝いさんに案内されて洗面所をお借りした。着替えて戻ると(結構ぶかぶか)すでに掃除は終わっていた。
「あああ……すみません」
「いえ、大丈夫ですか」
「ま、今日はご挨拶ってことで」
樹くんから心配され、店長からもフォローされてちょっと申し訳ない気持ちになる。
「お茶を淹れてもらってきます」
「あ、手伝うよ」
「いいよ青井、お前機材の片付け頼む。俺行ってくる」
「でも」
「ここ迷うもん」
店長は勝手知ったる他人の家、って感じでさっさと樹くんと部屋を出て行ってしまった。
機材も片付け終わって、ぽつねんと部屋に残される。
(はー、何しに来たんだか)
ぼうっとアンフィビウスを眺めていると、ガチャリとドアが開いた。
戻ってきたかな、と目をやるとそこには女の子が立っていた。
(……幻覚かな)
一瞬そう思ってしまうくらい、綺麗な子だった。
水槽の前でぼけっと立っているあたしを目を瞬かせたまま見つめ、それから首を傾げて「お邪魔しました」と微笑んでドアを閉めてしまう。
「……?」
しばらく首を傾げていると、またドアが開いた。
「青井さん、餡子は平気ですか」
樹くんだった。店長はいない。
「平気。店長は?」
「車に忘れ物をしたと」
「あ、そうなの」
あたしは首を傾げた。
「樹くんって妹かお姉さんいる?」
「いえ」
不思議そうな樹くん。
「なんか、さっき女の子が」
「女の子?」
「うん、すっげー綺麗な。ショートボブの、色白の」
「ああ」
樹くんは笑った。
(うわぁ)
こんな顔、するんだ。
「多分、許婚です。来るとは言ってなかったのに」
「許婚!?」
「はい」
「ほえー」
お金持ちにはそんな子がいるのね……って、そうじゃない!
(しまった!)
「い、樹くん、あたし誤解させちゃったかも」
「誤解?」
「や、普通に考えて、急に家に来て部屋に別の女がいたら誤解するでしょ」
「……?」
「彼氏の服着て」
さぁっ、と樹くんの顔が青くなった。
「お邪魔しました、とか言われちゃったんだけど」
言い終わるか終わらないかのうちに、樹くんは部屋から風のように出て行ってしまった。
入れ替わりのように、店長が入ってくる。
「ん? どうした?」
「いやそれがですね……店長、樹くんに許婚いるの知ってました?」
「うん? ああ知ってる知ってる、あの樹くんがベタ惚れしてる美少女。写真でしか見たことないけど」
「その子がですね、あ」
庭にちらりと2人の姿が見えて、あたしは窓を開けて様子を伺う。
「なんだよ。あれ、来てたんだ許婚ちゃん」
「修羅場にしちゃいました」
「なんでだよ、なんで中学生修羅場にしちゃうんだよお前何したんだよ」
「いやもう誤解しかないんです」
言い訳しつつ2人の会話に耳をすます。
「言ってくれたら良かったのに」
「違う」
「年上が好きだったんだ?」
「誤解だ」
許婚ちゃんの淡々とした、穏やかな声がかえって怖い。樹くんは半ばパニックで何の説明もできてないみたいだ。
あたしはガラリと窓を開けた。
(誤解させちゃった責任はとる!)
2人が揃ってこちらを見る。
「許婚さん! 誤解です! あたしはペットショップの従業員で、水槽のメンテナンスにきてて、えーとジャージ着てたのは事故でっ」
首をかしげる許婚ちゃん。
「私のことは気にしなくていいのに」
「だから誤解だ華」
怒ってなさそうなのが逆にほんとに怖い。てか信用してくれてない。そりゃそうだ。
(こうなったら)
あたしは店長を、2人から見える位置までひっぱった。
「うお、なんだよ」
「えーと、これ! これ彼氏なんで! あたしの!」
「は!?」
何言ってんだお前って顔する店長を、ぎろりと睨みあげる。
「ら、らぶらぶでぇす」
裏返った声で手を振りながら、店長はノってくれた。
許婚ちゃんは今度は反対に首を傾げて、しばらくして顔を赤くした。
「ご、ごめんなさい、私、早とちりしちゃって」
その言葉に、大きく胸をなでおろす樹くんを見て、あたしもやっと安心できたのだった。
その後4人でお茶をしつつ、魚の話をして(許婚ちゃんは案外興味があるみたいだった、将来有望だ)すっかり暗くなった頃に鹿王院家から出た。
「もう遅いから直接家送るわ」
「はい、あざーす」
ショップのロゴがでかでかと入ったバンの中で、それを最後にふと会話が途切れた。
あたしは助手席で、それを特に気にすることなく、なんとなく夜景を眺めたりしていた。
「青井」
「はい」
名前を呼ばれて、返事をする。
「あれさ、なんで彼氏とか言ったの」
「は?」
「ふつーに店長もいます、で良かったじゃん」
「あ」
たしかにそうだ。
なんでわざわざそんな言い訳しちゃったんだろ。
「なんでですかねー……、必死だったから?」
「あ、そう」
また店長は黙り込む。
「あのさ」
「はい」
「本当にしちゃう?」
「は?」
「彼氏」
「……は?」
「だめ?」
店長は前を見て運転しながら、少し情けなく眉毛を下げていた。
「てか店長って、確か年上好きじゃなかったですっけ。歴代彼女全員年上でしょ。なんであたし? しかもあたし童顔だし、絶対店長の好みじゃないでしょ」
お店に顔を出したことのある、店長の彼女(割とすぐ別れる)を思い返す。童顔ってのはコンプレックス。さっきも許婚ちゃんに高校生と間違われてたっぽい。
「や、大体魚のことでケンカになって別れるんだけどさ、お前ならそんなことないじゃん」
「え、そんだけ?」
別に好きとかじゃないんじゃん。
ちょっとガッカリして、その後なんであたしガッカリしてんだろって思う。
「や、違くて。……なんか。普通に。好きです」
店長が小さく言う。
その顔は少し赤くて、だからあたしはつい、こんな返事をしてしまう。
「……いいですけど」
「え」
「予約、受けますけど」
あたしがそう返事すると「マジでっ」と店長はこっちを見た。
「危ない前見てくださいっ」
「あ、悪い悪い、いや、嬉しくて」
緩んだ赤い頬を見ながら「ただし」とあたしは続けた。
「ただし?」
「予約魚がいります」
「よやくさかな?」
「店長の飼ってるポルカドットスティングレイ、ちょうだい」
「うっそまじかよ、うう、分かった」
「……やっぱいいや」
「え?」
あたしは笑った。
「大学卒業したら店長のウチ住むから。そしたら店長の飼ってる魚、実質全部あたしのものみたいな感じだもんね」
「……好きにしたら」
照れたように言う店長の横顔を見ていたら、なんだか急にドキドキしてきた。
(えー、さっきまで何ともなかったのに)
あたしはちょっと唇を尖らせて、また窓の外を見た。
さっきと同じような夜景が、また全然別のものに見えるんだから、恋ってちょっと不思議だなと思う。