【分岐・鹿王院樹】悪役令嬢とお土産
ふよふよ、と大きな水槽を漂う、白い生き物。変な生き物。ウーパールーパー。
「……お腹の中の赤ちゃんに似てるかも」
前世の友達が妊娠した時に、その友達の家にあった雑誌に載ってた、お腹の中の赤ちゃんのリアルなイラスト。
「こんな感じ」
だった、気がする。2ヶ月とか3ヶ月とか、それくらいのイラストだっかな?
(だから可愛く思うのかな?)
……関係ないか。
そう考えながら、私は部屋を見渡す。
樹くんの部屋。
何度も家には来ていたけど、ひとりで樹くんの部屋に入るのは初めてだったりして。
(すごいなー)
古めかしい日本家屋の中で、この部屋は洋室になっていた。
広いはずなのに、水槽と本棚でかなりの圧迫感がある。あとは机と、広いベッドと、ラグが敷いてあってその上にローテブル、そしてクローゼット。
(やっぱ片付いてるなー)
イメージ通りだ。
私の部屋、散らかってはないんだけど雑然としてるんだよな。どう違うんだろ。
(てか相変わらず、いろんな生き物いる)
ぜんぶ水系だけど。
ウーパールーパーの水槽のほかに、成長途中のオタマジャクシのでっかい版みたいな謎の魚(だと思う、多分)の水槽とか、小さい水槽を1匹だけで泳ぐ、ヒラヒラした白い魚とか。オーソドックス? な熱帯魚っぽいのもいる。
結構見飽きない。ぼけーっとできる。
(癒される……)
ふと本棚を見ると、サッカーの本か、歴史小説ばかり。シブい。
(まだ帰ってこないかな)
今日は樹くんがサッカーの合宿から帰国する日。帰「国」だ! 行先はイタ〜リア〜、なんて、無駄に脳内で外国人風に発音。
(ほんとすごいよなぁ)
外国で練習試合が組まれていたそうで……。
ちょうど日曜日で、暇だったのでお邪魔してみたのだ。
(昨日、千晶ちゃんと行った水族館のお土産も渡したいし)
千晶ちゃん、やたらと「真さん事件」を気に病んでしまってたので、お互いの気分転換に近くの水族館まで行ってきたのです。
(樹くんも魚、好きだろうからなぁ)
そんな訳で買ったお土産。学校で渡しても良かったんだけど、せっかくだったから。
「部屋で驚かせてあげて」
樹くんのおばあん、静子さんが悪戯っぽく笑って、部屋に通してくれた。
そんな訳で部屋で待機しているのだが、予定時刻を過ぎてもまだ帰宅してないみたいだ。
お手伝いの吉田さんが冷たい紅茶をいれてくれて、それがローテーブルで汗をかいている。
(まー、飛行機って遅れるからね)
そう思い、また水槽を見つめる。ぷくぷく出てくる泡、それの音、あと何かのモーター音。
(……眠くなってきちゃった)
私はころん、とラグの上に横たわる。ベッドはさすがに借りにくい。
(ちょっとだけお昼寝)
そう思ったはずなのに。
起きたらベッドに寝ていた。
「あれれ?」
「起きたか」
Tシャツにジャージっていでたちの樹くんは、ローテーブルの上で何かを書いていた。筆で。
「……ええと、おかえり?」
「ただいま」
ぼけっとしたままそう言うと、樹くんは微笑んでそう返してくれた。
「何してるの?」
「写経だ」
「写経ぅ?」
帰国するなり何してるんだろ、と起き上がりローテーブルの向かいに座る。
「なんで?」
「心を落ち着かせるため」
「なにかあったの?」
「華が悪い」
「えええ…」
何かしたっけ。勝手に寝てたのは悪いと思うけど、ベッド貸してくれたのは樹くんだと思うし。
「俺を聖人君子だと思うなよ華」
「?? うん、ごめん?」
「まぁいい。よし、できた」
ほとんどお手本も見ずにかきあげる。
「覚えてるの?」
「? 法事とかで聞くだろう、全部が全部ではないが般若心経くらいは」
「ふつー、そんくらいで覚えないって」
ローテーブルに両ひじをついて、顔を乗せて樹くんを見上げる。お行儀悪いけど。
「……無自覚か」
「なにが? ……ってあれ、なに?」
部屋の隅に積まれた、数箱の段ボール。さっきまではたしかになかったのに。
「土産だ」
「え、あんなにたくさん」
ご近所さんにでも配るのだろうか。
首を傾げていると、樹くんは笑った。
「全部華に、だ」
「はい!?」
私は思わず立ち上がる。
「私!?」
「うむ」
「ご、ごめん……私もお土産あるんだけど、一個しかない」
「ふ、華」
樹くんは笑った。
「たとえイタリア全土を土産にしようと、華がくれるその1つの土産に比べれば、塵同然」
「ち、ちり」
「つまり、とても嬉しい」
「……どうも?」
「ん」
手を差し出された。
(まぁ、後で出しにくくなるよりは)
私は座り直して、バッグからその紙袋を取り出した。
「チンアナゴ」
「ええと、可愛いかなぁと」
白黒模様の、なんか変な魚のマスコット。うう、もっとちゃんと選べば良かったかな? とちらりと樹くんを見上げると、ものすごく難しい顔を……つまりは照れて、なんなら喜んでいた。
「とても嬉しい」
「あは」
私は笑う。
「喜んでくれて良かった」
「とてもとても嬉しい」
「うん」
「すまん、なんと言えばいいかわからん」
「そんなに?」
「当たり前だ」
樹くんはお守りを見つめた。
「俺がいないどこかで、華が俺のことを考えて俺のためだけに選んでくれたものだ。嬉しくないわけがない」
「大げさだなぁ」
たしかに、言いようによってはその通りなんだけど。
「これは俺から」
樹くんは段ボールを次々とあける。
「チョコが欲しいと言っていただろう、だから」
「お、おいしそうっ」
高級チョコ店から地元のスーパーで売られているものまで、私が欲しそうなものを手当たり次第に買ってくれたらしい。
「こっちはオリーブオイル、そっちはパスタとソース」
「うわぁ一年くらい暮らせるよ……」
「今度は一緒にどこかへ行こう」
樹くんは、じっと私を見つめる。
「うん」
笑って返す。
しかしまぁ、旅費も相当なものだろうし、そう簡単には行けないよなぁと思う。敦子さんに言ったらホイホイ出してくれそうだけど、なんか悪いしなぁ。
(お小遣いの範囲で、となると)
恐ろしいことに貯金がどんどん溜まっており、海外でも近場なら行けそうになってきている。
「それと」
樹くんは小さな箱を取り出した。
「実はこれがメインだ」
「なぁに?」
受け取って開けてみる。
「ネックレス?」
「ベネチアングラスなんだ」
赤い小さな、宝石みたいなガラスの球がついた、シンプルで可愛らしいネックレス。
「華に似合いそうだと思って」
「嬉しい、ありがとう! 付けてみていい?」
「もちろんだ」
樹くんはなんだか真剣に頷いた。それから少しためらいがちに続けた。
「俺がつけても、いいだろうか」
「樹くんがつけるの?」
「華にな」
「ひとりでできるけど?」
「俺がそうしたいんだ」
「? じゃあお願いしようかな」
樹くんは私の後ろにまわり、少し戸惑いがちな手つきで、そっと髪を払って、私にネックレスをつけてくれた。
振り向いて、見せてみる。
「似合う?」
「……ああ、とても」
「ありがとう、大事にするね」
樹くんは相変わらず難しい顔をしてぷい、と水槽を眺め始めてしまった。
「?」
不思議におもいながらも、私も水槽を眺めた。ぷくぷくという酸素の音と、低いモーターの音が相変わらず眠た気に響いていた。