悪役令嬢は怒る
「どういうことですか?」
私はなんとかこのスペース、つまり本棚と真さんの身体の間ーーから抜け出そうとするけど、とても楽しそうに笑う真さんの足に阻まれてうまく動けない。直接触れられてるわけじゃないけど、着物だし。
(身体の線が出るのが嫌でも、ドレスにするべきだったっ!)
そしたらまだもう少し、動きやすかっただろうにと思う。
「ん? プロポーズ」
しれっ、と言い放つ真さん。そんなめちゃくちゃな。
「訳がわかりません、私はまだ中学生ですし、それに許婚だっています」
一応ね。形だけ、といえばそうなんだけど、まだ披露も済んでないとはいえ、私、婚約者がいる身なんだなぁ……。改めて考えると、なかなか重い事実なんだけども。
「解消しちゃえば?」
にこり、と優雅に笑ってものすごく軽く提案してくる。
「だから、そういう問題では」
私は眉を寄せて、真さんを見上げた。
「許婚、イイナズケねぇ」
真さんは何か含んだ口調で、そう言う。
「それってさ、キミの意思はどうなってるの? もう誓っちゃってるわけ? 病める時も健やかなる時もって?」
「私の意思がどうだろうと、真さんと婚約なんかしません」
「ん? あれ、お断りされちゃってる? 僕」
首をかしげる。綺麗な短い黒髪が、さらりと流れた。本当に綺麗な黒猫みたい、とこんな時なのに思ってしまう。それだけ綺麗な人なのだ、この人は。
「はい、お断りしてます」
「父親の方がいい?」
「は?」
何を言い出すんだ。さっきから唐突すぎる。
「僕の。僕と千晶の」
「何を言ってるんですか、さっきから」
私は眉をひそめ、真さんを睨む。そんなことを言うなんて、2人のお父様にも失礼だ。
「ふふふ、どうなの? 答えて」
真さんは優美に笑った。
「……お父様でも嫌です」
「じゃあやっぱり、僕にしない? だって僕は君がいいんだよ」
「私を好きなわけではないですよね?」
「うん。今まで誰かを好きになったこと、ないよ。でも僕は千晶を手放す気がないからね?」
真さんのくちびるが、優雅な月を描いた。
「でも僕は跡取りとして結婚して子供作らなきゃならない、らしくてね? 家柄も重要。一緒に暮らすなら、千晶と仲が良い方がいいし、それにほら、君、顔も割と僕の好み。どうせ抱くなら美人な方がいいデショ?」
(なんつー理由でプロポーズを……)
めっちゃ腹立つな、この高校生。
「好きでもないのに、抱けるんですか?」
あまりに腹が立ったので、あえて挑発的に言い返してみる。
「ヨユーヨユー!」
真さんは楽しそうに笑った。いや、そこ楽しそうにしないで欲しいんですけど。
「男は下半身は別問題だから……や、男女共に根は同じかな」
真さんは薄く笑った。
「僕はね」
笑みを深くする。
「あらゆる恋愛の根っこにはリビドーが横たわってると思うね」
「リビドー?」
「性的衝動」
「……は?」
突然何を言い出すんだ、この高校一年生は。
「どんだけ純愛を訴えようと、真摯に一途でいようと、その感情の大元はね、結局のところ性的な欲求だけさ」
「そんなこと、」
ない、と言おうとして前世の色んな記憶がよみがえる。
ないと断言できる?
ソレ無しに、私を好きだといってくれたヒトなんて、いた?
「ない、かい?」
私の気持ちを知ってか知らずか、真さんは続けた。
「あは、違うね。ヒトだって生物さ。子孫を残したいから恋愛するんだ」
「そうかもしれませんが」
「君に群がってる男共だって、結局はそうなんだ。自覚ある?」
……ちょっとさすがに、これは意味が分からない。
「群がるって、なんです」
「え、気づいてないのかい? それともフリ?」
「なんの話を」
「あーあーあー、ほんとに僕は君みたいなの嫌いだなぁ、本当にいらつく」
真さんの笑みが更に深くなる。言葉とは裏腹にとても嬉しそうで、背中に嫌な汗が流れていくのを感じる。
「良かったです、嫌われて」
私はせめてもの虚勢を張って言い返す。
真さんは「ふふ」と笑ってから続けた。
「本当にキライ。でもね、僕は君と結婚したいなぁ、本気だよ。君は一番理想に近いんだよね」
「そんな理由で喜んで結婚する人、いると思います?」
「ダメかな? でも散々愛を騙った後でバレちゃうより良くない?」
「後でも先でも、そんな理由で結婚したくありません」
「そうかなぁ」
不思議そうに首をかしげる真さん。本気なんだか、なんなんだか分からない。
「そもそも、年下には手を出さないんじゃなかったでしたっけ」
嫌味っぽく言ってやる。
「今まではね、って言い添えたはずだけど?」
にこり、と笑って答えられた。腹立つ。そんな仕草さえいちいち優美なのも、余計に腹が立つ。
「……帰ります、どいてください」
腹立ちまぎれに、ダメ元でそう言ってみた。
「そう? 分かった」
案外すんなりと、真さんは同意してくれた。しかし、まだ退く気配はない。ちらりと睨みあげると、真さんはくすぐるように、くすくすと笑った。
「もう少しだけこうしてていい? ちょっと面白くなりそうだから」
そう言って、真さんはやっぱり優雅に笑うのだった。