八俣町の市にて
巻末に町のマップがあります。
修理した自転車は石畳に負けることなく順調に進んだ。振動は少し辛かったが、継ぎ目の段差が少なかったのはさすがモグラ商会と言おうか。
魚屋の前に到着すると、寅次は笑顔で固まった。
『なんや、けったいなもんに乗ってきたな。人も増えとるし』
「おはようございます。急に人数が増えてすみません。私の友だちで八坂…くんと言います」
そう言えば八坂くんの名字しか聞いていない。
「八坂 颯馬です。今日は無理を言ってついて来てしまい、すみません」
颯馬くんと言うのか。名前を聞くタイミングを逃していた。
「紅実子ちょお、こっち来てんか」
見ると鈴が魚屋の奥から手を招いている。
「はい」
呼ばれるまま奥に行くと、板の間に通された。
「市に出る前に、これ羽織っとき」
私がパーカーを脱ぐと、鈴は赤い浴衣をシャツの上から羽織らせ半幅帯を簡単に締める。
「ありがとう、ございます。ここでは和装が一般的なんですか?」
「庶民は大体こんな格好してるんや」
「あっ。八坂くんの格好…」
「彼も、今ごろ寅の着物を着せられてるやろ」
私が店の中を占拠したので、八坂くんは外で着替えさせられてしまった。
「さ、これでええ。ほな、いこか」
店の外に出ると、寅次の浴衣を借りた和装の八坂くんが居た。お互いの慣れない姿に視線が彷徨う。
大変居心地が悪い。
「スマホ、置いてきて残念」
「え、勝手に撮らないでくださいよ」
『お〜い、そこのアベック置いてくで』
寅次はからかいながら道の先へ進んだ。下手なからかいだが耳が熱くなる。
寅次の年齢は聞いていなかったが、使っている語彙から見た目より歳上かも知れない。
行き交う人たちを眺めると確かに皆、浴衣の様な服装だった。
通り過ぎる町並みは黒っぽい屋根に白い土壁、窓や戸は木で作られている。それが左右に途切れ途切れ立ち並んでいた。
寅次と鈴に後についてしばらく歩くと、少し開けた場所があった。
そこに三店舗ほどが荷物を並べ商いをしている。
『山沿いの道が土砂崩れ起こしてから、危ない言うて市に来る店が少のうなってしもてん』
「こんな辺境の地やさかい、利益見込めへんからな」
寅次は苦笑いしながら、出店している店について説明を始めた。
『今日来てんのは、婆さんが店先に座ってはる家畜の店[牽牛]とロン毛の兄ちゃんが居る薬の店[照亀]、食品や乾物を扱う[豊瓶]、恰幅のええおばちゃんが店主や』
「寅次さんに言われた通り黒糖持ってきたんですが、あそこにいる山羊と交換するのにどれ位必要ですか?」
『あー、あそこの婆さんやったら丁度ええ練習相手や。ついてったるさかい、値段交渉してみい』
そう言われて家畜の店をチラリと見ると店先に座った老婆と目が合った。
『お嬢ちゃん、見かけない顔だね。何か買いに来たのかい?』
交渉なんてしたことがない。緊張のあまり声がひっくりかえりそうだ。
「はい、山羊を買いたいのですが。黒糖と交換してもらえますか」
『ほう、黒糖かね。どれくらい持ってるんだい?見せてごらん』
そう言われて素直に見せて良いものか。寅次を見てもニヤニヤとするだけで表情が読めない。
「これです」
仕方なく持ってきた一袋を出してみた。一キロ入っている。
『ふーん、まあこれなら山羊二匹と交換してやれるよ』
そんなものなのか、と納得しかけると寅次が口を挟んだ。
『婆さん、そりゃないで。この子はうちのお得意さんやし、もうちょい勉強したってえな。こんだけ質のいい黒糖やったら三匹出しても釣りが出るやろ』
『あんたが横にいて黙ってる訳ないと思ったよ。仕方ないね。釣りは出せないが鳥を二羽つけてやる。それ以上は無理だ』
老婆は苦々しく言い放った。
『いや〜助かるわ、おおきに』
寅次は契約が成立したとばかりに、ヤギを繋いでいた三本の紐を解くと渡してくれた。
店の中から出てきた鳥かごには、見た事のあるような鳥が二羽入っている。
「ウズラだな」
八坂くんは鳥にも詳しいようだ。
黒い屋根が屋敷…のつもりですが、見にくかったらすみません。




