和ハーブ図鑑
鈴さんに誘われて足を踏み入れた部屋は、どことなく洋風で古めかしく懐かしい雰囲気の部屋だった。
そして埃っぽい。
どれくらい踏み入れてなかったのか。
「あー、あかん鼻がムズムズしてきたわ。早よ帰ろ。夜中に来ても、なーんも見えへんしなぁ」
鈴さんが着物の袖で鼻を隠して、踵を返して鏡をくぐった。
慌てて後を追う。こんな良く分からないところに一人で取り残されたら怖すぎる。
帰りはスムーズに鏡をくぐれた。
どうやら鈴さんの姿は鏡を越えると変化するようだ。
『分かったやろ?これは普通の姿見やない。まあ、誰でもくぐれる訳やないけど』
「それは、どう言う…」
『はあ、疲れたし寝るわ。紅実ちゃんは明日も居るんやろ?また来るわ。ほな、おやすみ〜』
一方的に話すと鈴さんはクルッと尻尾を振り、回転扉を抜けて部屋を出ていく。
その尻尾は、二つに別れていた。
「鈴さん、そのしっぽ…」
私が回転扉を通り抜けると、既に鈴さんの姿は見当たらなかった。
未だに夢でも見ているみたいだ。
ふと、時計を見ると十一時を回ろうとしていた。
「明日の支度をしないと、寝る時間がなくなる!」
いきなり現実に引き戻される。
明日の昼食には、いなり寿司と味噌汁を作る予定だった。
「いなり寿司の具を作り置きしておかないと」
人参はみじん切りにしてお出汁と醤油で煮込む。
戻しておいた干し椎茸は薄く切って砂糖と醤油と味醂で甘辛く煮る。
水分がなくなるまで煮込んだら火を止めて、冷ました。
後は明日の朝でも間に合う。
寝袋を取り出し電気を消すと頭の中で、今日の事がぐるぐると回る。
色んなことがありすぎて、整理が追いつかない。
「明日も早いのに…そう言えば、ちょうじゅうじって何だろう」
聞きそびれたことを思い出した。
明日こそは聞かないと。
寝られそうになかったので、例の本を取り出す。
「山葵、枸杞、唐辛子、もうちょっとで頁が埋まるんだけどな」
和ハーブ図鑑と分かってから、数種類ずつヒエログリフ文字を書き換えるのが寝る前の習慣になっていた。
「多分あと一種類くらいで、寝れるはず。蒲公英…」
意識が遠のく。
和ハーブ図鑑はすっかり、睡眠導入剤として活躍していた。




