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アイスランドポピー  作者: marusato
8/8

アイスランドポピー第8話


 2ヶ月ぶりに美江子から連絡があった。優太の失態についてはもちろん知っているはずだ。優太は慰めの言葉でもかけてくれるのかとも思ったが、それにしては連絡が遅すぎる。優太を元気づける意図があるならもっと早く連絡をしてくるはずだ。

 …やさしい心の持ち主なら。



「あなたも大きな失敗をしたわよねぇ」

 美江子はそう言いながら紙ナプキンを折っていた。

「……」

「お父さまが言ってたわ。ビジネスの世界は結果だけで評価されるって」

 優太は紙ナプキンを折る美江子の指を見つめていた。

「お父さまもあなたのせいで立場が苦しいのよ。会社は派閥力学で決まるところがあるから」

「悪いと思ってる。でも……」

「でも…、なに?」

 優太はしばし間を置いたあと口を開いた。

「美江子は……、僕のことどう思ってる?」

「そうねぇ…。お父さまにもいろいろ言われてるし…」

「自分の愛する人が苦境に陥ったとき、一緒に立ち向かうのが本当の愛じゃないかな」

 美江子の指の動きが一瞬止まった。

「…あ…い…」


 そう言ったきり美江子は口をつぐんだ。

 二人の間に沈黙が続いた。優太は次の言葉を探しあぐねていた。ただ見るともなくテーブルのうえに視線を注いでいた。すると、テーブルの端に設置されていたゲーム機が目に入った。以前、店のマスターが美江子に勧めていた占いゲームだ。タブレットほどのモニターがついていた。優太はポケットからお金を取り出すと投入口に入れた。するとモニターにゲームの題名が表示された。


《クモのヒモ》


〇ゲームの画面

 上からヒモが2つ垂れ下がっている。そこに子ザルが右端からトコトコ現れどちらのヒモを選ぶか考えている。


 優太は画面を見ながら話しかけた。

「この前、車椅子の親子の話したじゃない…」

 突然の話題に美江子は少し戸惑った。

「ええ…」


〇ゲームの画面

 子ザルは右のヒモをよじ登りはじめる。


「俺、あれから考えたんだよね」

 美江子は返事をする代わりにグラスのワインをゆっくりと回した。


〇ゲームの画面

 子ザルが登っていくとそこは踊り場になっており、そこにまた上からヒモが2つ垂れ下がっていた。子ザルは腕組みをして考え込む。


「前はあのお母さんを批判したけど、今は『偉い』と思ってるんだ」

「この前は『周りが見えてない』って言ってたじゃない」


〇ゲームの画面

 子ザルは左のヒモをよじ登りはじめる。


「うん。だけどよく考えたら「『周りが見えてない』んじゃなくて『周りが見えてる』から強く振舞ってるんだ。周りの視線が攻めてくるから立ち向かっているんだよ」

「立ち向かってる?」


〇ゲームの画面

 子ザルがよじ登りながら上を見上げると遥か先で“なにか”がヒモを挟んでいるのが見える。


「そう。周りのいじめから守るための『強さ』というか『逞しさ』があるんだ」

 美江子は優太の信念に裏打ちされたような話し方に少し驚いた。

「ふ~ん」


〇ゲームの画面

 子ザルがさらに上り続けると、“なにか”がハサミであることがわかり子ザルが慌てふためく。


「ねえ、そう思わない?」

「そこまでいくと考え方の違いになるわね」

「考え方の違いか……」


〇ゲームの画面

 ヒモがハサミで切られ子ザルは下に落ちていく。


 ヒュー~~。アレーーー。





 優太がいつものように仕事帰りにコンビニで買い物を済ませ歩いていると、うしろから真由美の声が聞こえた。

「私が小さい頃、男の子にいじめられてたのを助けてくれた大野雄太君」

 優太は元気のない声で振り向いた。

「おお…」

「どうしたの、元気ないね」

「うん、ちょっとね…」

「さては失恋でもしたのかな…」

 優太は少し考えてから答えた。

「恋愛じゃなかったから失恋とも言わないかな…」

「じゃぁ、仕事のことですか?」

「まぁ、ちょっとね…」

「そっか。……大野優太、元気出せー! じゃぁ、昔助けてもらったお礼に私が元気づけてあげる。今度のお休みの日、私のおごりで食事しましょ」

「えっ……」

 ちょうど真由美のアパートの前に着いた。

「お休み、いつ?」

「えーっと、…明後日だけど」

「私もその日早番だから。じゃぁ、明後日7時に改札口で」

 そう言うと真由美はアパートの中へ入って行った。優太があっけにとられていると、真由美は引き返してきて茶目っ気たっぷりに言った。

「午後の7時だからね」

 真由美は言い終わると右手でピースマークのサインを作った。昔懐かしい笑顔だった


 真由美の部屋の玄関が閉まる音が聞こえた。優太はゆっくりと歩きはじめ、夜空を見上げた。


 …なんかわからないけど、ホッとした…。





 優太は会議室で課長と向かい合っていた。

「君もわかってると思うけど、今回の件が会社に与えた損失は大きいんだ」

「はい」

「私としてもなんとかかばいたかったんだけど限界があってね」

「はい」

「今日からチーフの役職を解くことになったから」

「はい」

「まぁ、実績を上げればまた昇格することもあるから頑張って」

「はい…。申し訳ありませんでした」





 優太が改札口に午後7時に行ったとき、真由美はもう来ていた。二人で話し合った結果、駅から少し離れたファミリーレストランに行くことになった。

 真由美曰く、

「私、グルメじゃないし、おしゃれなレストランも性に合わないし、それに庶民だから」。

 それから

「実は、あんましお金もないんだ」と屈託のない笑顔だった。




「……そういうことがあったんだ。エリートも大変ね」

 真由美は優太の話を真剣な眼差しで一生懸命に聞いてくれた。

「もうエリートじゃなくなったからそのエリートはやめてくれよ」

「じゃ、エロートにしようか」

 真由美は冗談を言うときは必ず上半身を前のめりにする。

「真由はそんなことばっかり言うよなぁ」

「私のモットーは周りを明るくすることだから…」

 真由美はそう言って笑った。

「真由は看護師をやってて辛いこととかないの?」

「ないこともないけど、患者さんの喜んだ顔見てると辛いことも吹っ飛ぶのよねぇ」

「そうか、偉いよなぁ……」

 優太は感嘆したように答えた。

「そんなことないわよ。私なんて患者さんから元気もらってるようなもんだから」


 その日は真由美のおごりだったが、あまり高い料理を注文するのも悪い気がしていた。しかし、安すぎるのを選ぶのも失礼にあたるような気がして、結局優太は“ビーフカットステーキてんこ盛り”を注文した。出てきた料理は写真どおりにボリュームがあり、味もおいしく真由美との思い出話も盛り上がった。そして、ひと段落したときに優太はふと思い出した。

「そういえば、この前話した車椅子の親子のことだけど…」

「ああ、風船の親子のことね」

「真由はこの前尊敬してるって言ってたじゃない。どうして?」

「そう感じるのは私が看護師だからかもしれない。患者さんて病気から攻撃される立場だから」

「なんとなくわかる気がする。俺、あれからいろいろ考えたんだ」

「なにを?」

「最初、俺はあのお母さんが図々しく見えて好きになれなかったんだ。でも、そうじゃなくてあのくらい強くしてないと生きていけないってことだよね。その逞しさを尊敬してるんだ」

「私、半分は賛成だけど半分は違うと思う」

「そうかなぁ…。でも真由もこの前あのお母さんのことを尊敬してるって言ってたじゃない」

「確かに尊敬してるんだけど、それは強さとか逞しさに対してじゃなくて……」





 お休みの日。優太は午後の散歩がてらにコンビニに買い物に行った。その帰り道、前方を眺めると風船が浮いているのが見えた。そして、風船の下にはあの親子の姿があった。


 親子が段々と近づいてきた。やはり、そのうしろには車が連なっていた。


(ひとりごと)「やっぱりあのお母さんは強いよなぁ」


 親子が優太の数メートル先までやってきた。渋滞している車の先頭から2台目の若いドライバーがクラクションを鳴らしながらなにか叫んでいる。


(ひとりごと)「逞しくないと生きていけないな」


 親子が優太の目の前に来たとき、男の子が手にしていた風船の紐を過って手放してしまった。風船はゆっくりと優太の目の前に飛んできた。優太は風船のヒモを手に取ると、しゃがみこんで男の子の手に握らせた。

「大切なものだよね」

 優太に話しかけられた男の子は笑顔になりうなづいた。すると、母親の声が聞こえた。

「ありがとうございます」

 優太はゆっくりと立ち上がりながら母親の顔を見て、「いいえ」と言いかけて言葉に詰まった。


 母親の瞳が涙でいっぱいだったのだ。これまで優太は、母親の顔は無表情で冷たいと思っていた。強靭な精神力で立ち向かっていると想像していた。が、そうではなかったのだ。


 母親は軽く会釈をすると車椅子を押して歩きだした。優太は親子のうしろ姿を見送りながら立ち尽くした。その横を若い運転手が怒りを含んだ顔をして通り過ぎて行った。





〇優太と真由美が食事をしたファミリーレストラン

「私はあのお母さんのジッと耐えている姿を尊敬してるの。攻めることができなくて、そのうえ逃げることもできなくてただ耐えるだけって本当に辛く苦しいのよね」



 アイスランドポピー  花言葉は「忍耐」。




おわり。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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