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アイスランドポピー  作者: marusato
6/8

アイスランドポピー第6話


 雄太は課長に呼ばれた。

「この前の件なんだけどね。了解とったよ」

 この「とった」という言い方が課長らしかった。「とれた」のではなく「とった」のだ。課長が自らの働きかけを誇示するにふさわしい言い方である。

「ありがとうございます。今朝も先方から電話があったんですよ」

「上のほうを説得するの大変だったんだよ。その俺の努力に報いるためにも頑張ってくれよ」

「はい、がんばります。ありがとうございました」





 優太と美江子のデートは日にちや曜日が決まっているわけではない。美江子が気が向いたときに連絡をしてきて会うことになる。「気が向いた」ときだから2週間連絡がないときもあるし、二日連続で連絡をしてくるときもある。「気が向いた」は「気まぐれ」と言い換えてもいいかもしれない。

 今日は十日ぶりのデートだった。美江子が久しぶりにワインを飲みたくなったのだ。


「この前の大きな契約、とうとう決まったそうね」

「やっぱりご存知でしたか、三蔵法師さま」

「お父さまがあなたのこと褒めてたわ。若い奴の中であなたが一番将来性があるって」

「三蔵法師さまのお父様ってことは僕は神さまに認められたことになるんだね」

 美江子は褒められるのが好きだ。例えその褒め言葉が空々しくてもだ。お嬢様育ちの特性といえるかもしれない。美江子は否定の言葉も謙遜の言葉も口にしなかった。優太の言葉を噛みしめるようにゆっくりとワインを飲み干した。


 3杯目のワインを口にしたとき、雄太はふいに思い出した。

「そういえばさ、最近家の近くで車椅子を押した母親をよく見かけるんだよね」

「へぇ、それがどうかしたの?」

「別にどうってことはないんだけどなんか気になって…」

「車椅子に乗ってるのはご老人?」

「ううん。中学生くらいだけど発達が遅れてる子みたい…」

「そのお母さんはどんな感じ?」

「どっちかっていうと恐い感じ。ツンツンしてていつも怒ってるような顔してる」

「それはよくないわよね。やっぱりいつも笑顔で周りの人に理解されるようにしていないと…」

「そうだよね。いつもその車椅子のせいで道が渋滞してるんだ」

「そういう振る舞いも問題よね。健常者が障がい者に優しくするのは当然だけど障がい者のほうも公共の場ではほかの人に迷惑をかけないように心がけないと…」

「…だよな。でもそのお母さん、うしろの渋滞なんかお構いなくマイペースで我が道を行くって感じで歩いてるんだ」

「そういう態度は最終的には自分が損をすることになるのをそのお母さんわかってないのよ」

「同感。あのお母さんは周りが見えてないんだ。たぶんビジネスの世界というか社会で働いた経験がないんじゃないかな。もしそういう経験があったらああいう態度や表情はしないよ」

「さすが! 優秀なエリートビジネスマンは言うことが違うわね。私もそのお母さんは社会の厳しさを知らない人だと思うわ」





 数日後、仕事帰りの雄太がいつもようにコンビニを出て自宅に歩いていると、うしろから声が聞こえた。

「もしもし、小さい頃に幼馴染の女の子をからかって喜んでいた大野雄太君」

 雄太が振り向くと真由美だった。

「おお、真由。人聞きの悪いこと言うなよ」

「エヘ、今お帰りですか。今日も一日ご苦労さまでした」

「おお、そっちこそな」

 二人は並んで歩いた。

「どう、仕事の調子は?」

 少し考えたあと、雄太は下唇と顎の先端の真ん中あたりを擦りながら答えた。

「うん、まぁまぁかな」

「『まぁまぁ』なんて言って、すっごい調子いいんだ。大きい仕事でもとったのかな?」

「えっ、どうしてわかるの?」

 真由美は優太が擦った箇所と同じところを擦りながら昔を思い出しているように微笑んだ。

「ヘッヘー、雄太は小さい頃からうれしいことがあったときはいつもここを人差し指で擦るんだよねぇ」

 優太は思わず立ち止まった。生まれて初めて聞く自分の癖だった。

「じゃ、また。お休みー」

 茶目っ気たっぷりの笑顔で真由美はアパートの中に入って行った。返事をするタイミングを逸した雄太は真由美のうしろ姿を見送ることしかできなかった。真由美のうしろ姿が見えなると自分の人差し指をジーッと見つめた。


 …へぇ、そうなんだ…。





 仕事には波がある。スポーツの世界と同様だ。どんなに優れたバッターでもいつも調子がいいわけではない、調子がいいときもあれば悪いときもある。優れたバッターはその好不調の波を自分のほうに引き寄せるコツを知っている選手だ。不調の期間をできるだけ短くして好調の期間を長くするのが大切だ。運よく好調の波がやってきたときはその波を手放さない方法を身につけることが肝要だ。優太には今、絶好調の波が押し寄せていた。


 先日の株式会社ウルトラインターナショナルとの大型契約をもらったあと、その社長が新しい会社を紹介してくれた。社長同士が知り合いのようで株式会社アナザーコーポレーションというソフトを制作する会社である。しかもウルトラインターナショナルに負けないくらいの大型契約となった。ビジネス関連の自己啓発書などには「人脈の重要性」を説いている本があるが、雄太はまさしく人脈の大切さを実感していた。


 営業で新規の取引先を見つけるのは容易ではない。様々なところにアンテナを張り巡らし情報を集め、その集まった情報をふるいにかけ、真偽を確認してようやっと営業活動を始めるのだ。それほど見つけるのが大変な新規の取引先を紹介してもらったのだからこれほど効率的なやり方はなかった。通常なら年に1件あるかないかの大型契約を1ヵ月の間に2件も取ったのだ。「破竹の勢い」とは今の雄太のためにあるような言葉だった。





 雄太は久しぶりに完全休息日をとっていた。普段なら休みの日もなにかしら仕事絡みの用事をこなしているのだが、大型契約が続いたこともあり、自分へのご褒美としてなにもしない休日をとっていた。


 朝起きてなにもしないのは気持ちがいいものだ。普段緊張しているからだろうか、解放感が体中に行きわたる感覚を味わっていた。しかし、こうした気分でいられるのも仕事が好調であるが故だ。好調でなかったなら落ち着いて休み気分など味わえるものではない。やはり生活の基本はビジネスである。


 いつもより遅い時間に起きた雄太は食べ物を買いにコンビニに向かった。買い物を終えのんびりと公園の前を歩いていると、公園内に車椅子の集団がいるのが見えた。車椅子といえば雄太は出勤時に見かける親子を思い出す。雄太は無意識のうちにあの親子を探していた。


「あ、いた」

 雄太は独り言のようにつぶやいた。車椅子の少年が持っている風船が優太にとっては目印になっていた。親子のほうを眺めていると誰かが雄太の背中をつついた。

「小さい頃、木から落ちて泣きべそをかいていた大野雄太君ではありませんか」

 真由美だった。

「ねぇ、真由。普通に登場できないの?」

「う~ん、考えとく…」

「あんがと」

 真由美は雄太の隣に並び車椅子の集団のほうを見た。優太は集団に目をやりながら真由美に話しかけた。

「あの車椅子の人たち、みんな楽しそうだね」

「うん。みんな、普段は気を張って生きているから。仲間がいると安心するみたい」

 雄太は、真由美がごく自然に返事をしたことに少し驚いた。まるであの親子と昔からの知り合いのような答え方だった。

「あのさ。あの中の一組をよく見かけるんだよね」

「お花の絵を描いた風船を持ってる車椅子の親子でしょ」

「あの花の絵、どこかでみたことあるんだけど、あのお母さんさ、俺が出勤する時間によく車椅子を押してるんだけど、そのせいで道が渋滞になってすごくてさ。それなのにあのお母さん全然意に介さずって感じでマイペースなんだよね」

「その話し方はあのお母さんを非難している雰囲気ね」

「真由は違うの?」

「私は逆ね。私はあのお母さんの車椅子を押してる姿を見て尊敬したわ」

「どうして?」

 雄太の質問に合わせたかのように真由美は腕時計を見ると焦ったふうに答えた。

「大変。時間だからもう行かなくちゃ。じゃ、またね」

 真由美は駅のほうに走りだしたが、数メートルのところで立ち止まり振り返った。

「あの風船に描いてある花の名前はアイスランドポピーって言うのよ」

 そう言うと真由美はまた駅のほうに急いで走り出した。優太は真由美のうしろ姿を見送ると車椅子の親子のほうを見つめた。


 …アイスランドポピー…。



つづく。

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