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アイスランドポピー  作者: marusato
3/8

アイスランドポピー第3話

 雄太はビルの向かい側から男性が出てくるのを待っていた。男性は雄太が契約を狙っている会社の社長である。IT関連の会社で社員は50名ほどだが、毎年売上げを伸ばしている成長企業である。優太の取引会社の見つけ方は独特である。前に同僚の大野から新規の取引先の見つけ方を尋ねられたことがあるが、ライバルにコツを教えるバカはいない。そんな甘い考えでは弱肉強食のビジネス界を生き残っていくことはできない。優太のポリシーである。


 社長を尾行するのは今日が初めてではない。獲物を狙うには周到な準備が必要である。これはビジネスの鉄則だ。自然界の鉄則と言ってもいい。優太は社長の行動パターンをある程度調べ上げていた。その行動パターンで最も使えそうだったのがスポーツジムでの「偶然の出会い」であった。社長は週に2回スポーツジムに通っていた。そして、今日はその日なのだ。スポーツジムで「偶然出会う」には同じ日にジムにいる必要がある。もちろんトレーニングをしているのは当然のことだ。元々雄太は体育会系の身体をしていたのでスポーツジムが似合う体型であった。


 スポーツジムは今流行の会員制のチェーン店だ。年間の会費を払うと好きな時間に好きなだけトレーニングマシンを利用できるシステムになっていた。オプションとして専門家によるトレーニングメニューを作成するコースもあったが、そこまで加入するつもりはなかった。あくまでトレーニングは手段だ。


 自動ドアを開けて中に入ると、受付はまるでラウンジのように明るく絨毯が敷き詰められていた。受付には若い女性が待機しており、うしろの壁には人間の上半身ほどの大きさをした花のポスターが飾られていた。


 社長のジムでのトレーニングパターンはほぼ決まっていた。使うマシンもほぼ毎回同じマシンを使っていた。ランニングマシン、エアロバイク、ステアクライマー、ベンチプレスなどである。これらを一通り終えたあとシャワーを浴び、ロッカールームで年下のビジネスマンと談笑するのがいつもの行動だった。


 雄太がシャワーを浴びロッカー室に入ると社長が知り合いらしき人と談笑していた。談笑と言ってもビジネス絡みなのは当然である。社長という立場にいる者にとって完ぺきなプライベートなどというものはない。すべての行動が、時間が仕事とつながっている。それくらいの心がまえがなければ社長など務まらない。

 知人が社長に話しかけた。

「前に話してたweb会議のソフトの件、あれから進んでますか?」

「なんとかうまくいきそうだな」

「あんまり相手をいじめたらかわいそうですよ」

「なーに甘いこと言ってるんだよ。ビジネスは生きるか死ぬかなんだから」

「そうですけど…、少しくらいは譲らないと…」

「あのなぁ、弱みを見せたら負けよ。『アリの一穴』って諺あるだろ。ほんのちっちゃな穴が命取りになって崩壊することもあるんだから。やるときは徹底的に攻めて攻めまくらないと」

「攻撃は最大の防御ってことですね」

 優太は笑っている二人のそばを軽く会釈をしながらロッカールームを出て行った。




 今の若い人は上司と仕事帰りに飲みに行くことは減っているそうだ。仕事とプライベートを切り離して考える人が増えていることが理由だ。仕事が終わったらプライベートに切り替えて仕事とは全く関係ないことに時間を費やすのが当然と考えている。

 しかし、雄太は昔ながら発想の持ち主の若手社員であった。課長から飲みに誘われたなら断ることはしない。優太は経営者の発想で生活を送るように心がけていた。今日は課長に誘われて会社近くの居酒屋でミーティングをしていた。

「どうだ? 前に話していた狙っている会社の進み具合は」

「だいたい4合目くらいまで来ています。一応計画通りに進んでいますので頂上目指して頑張ります」

「そうか。期待しているから頑張るんだぞ。おまえのことは社内でも注目されてるからな」

 雄太は自分の行動が美江子に筒抜けなのはこの課長によるものだとわかっていた。しかし、それは課長が美江子の父親の派閥に属していることの裏返しでもある。サラリーマンが会社で出世の階段を上るには派閥に所属するのは当然のやり方だ。ある意味、雄太は課長を利用するくらいの気持ちでいた。

 課長が課長らしい質問をしてきた。

「大野君、ビジネスマンにとって一番大事なことはなんだと思う?」

 少し間をおいて答えた。

「攻めることだと思います」

 雄太は答えながら少しこそばゆい感じがしていた。ロッカールームでの社長の受け売りだからだ。だが、課長は優太の答えがかなり気に入ったのか身を乗り出してきた。

「若者らしい、いいこと言うねぇ」

 課長はそういうとレジの付近でしきりに頭を下げている店の責任者らしき人を目で追いながら

「でもな、あの店長を見てみろ。必死に謝っているだろ。弱い立場の人間は無闇に攻めちゃダメなんだ。常に周りの状況をみて自分の立場をわきまえて行動をしないとビジネスマンとして生きていけないからな」

 優太には課長の言葉がサラリーマンとしての限界を教えているようにも聞こえた。




 スポーツジムは平日の夜でも仕事帰りのビジネスマンで賑わっていた。ランニングマシンで走っている人もいればヘッドフォンをしながらエアロバイクをこいでいる人もいる。優太はベンチプレスを上げていた。隣に社長がいることを意識しながら…。


 雄太が上体を起き上がらせ呼吸を整えていると社長が声をかけてきた。

「君、たまに見かけるけどよく来るの?」

「週に2~3回くらいです」

「そうか。結構重いの上げてるけど力があるんだな」

 雄太は照れ笑いを浮かべながら

「そんな…、ただ力があるだけなんですけど」

 社長は、俺はそんな若者が大好きだとでも言いたげな表情で言葉を返した。

「力もビジネスでは重要なマターだよ」

「ありがとうございます」

 雄太の第一関門突破である。




 数日後、雄太が駅まで歩いているとまた道路が渋滞していた。優太が渋滞の先頭に追いつくと、前回と同じ親子が車椅子を押していた。前回のときは気がつかなかったが、風船には花が描かれていた。花の名前はわからなかったが、ただどこかで見覚えがある花だった。追い抜きざまに母親の表情を見ると、前と同じ無表情の顔をしていた。

 優太はやはりあの母親の表情が気になって仕方なかった。電車の中で母親の表情を思い出していると、居酒屋での課長との会話が思い出された。


 …弱い立場の人間は無闇に攻めちゃダメなんだ。常に周りの状況をみて自分の立場をわきまえて行動…


 課長の論理で言うと母親の振る舞いは間違いである。あんなふうに気丈という雰囲気を超えて強面に見えるような表情ではなく、居酒屋の店長のように平身低頭がするのが本来とるべき対応だ。


 雄太は電車に乗っていても母親の表情が頭から離れなかった。



つづく。

 

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