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4.ハッキリ言ってくれないとスルーしちゃいます




「諸説ありますが……夏目漱石はI love you.を『月が綺麗ですね』と訳したそうですね。これは愛という言葉を使わず、日本人らしい奥ゆかしい表現を漱石が好んだからだと言われています」


 教科書を読み終えた国語教師が余談でそんな話をしていた。

 文化史の授業は少々退屈になりがちだ。誰々が何年に、『〇〇』という作品を発表した、といった事実を羅列するだけになってしまう。内容や逸話と紐づけなければ、覚えにくい。

 夏目漱石の逸話を聞きながら、九十九はシャーペンを止めた。


「湯築さんは、この告白を聞いたらどう思いますか?」

「え? えっと……その……」


 予感していたわけではないが、指名されて九十九は困り果ててしまった。

 あいにく、九十九には明治の文豪のような卓越したセンスも文才もない。考えても、わかるはずもなかった。


「女の人を月に例えて、綺麗ですねって褒めたんじゃないかと思います……だから、嬉しいと思います」


 しどろもどとしながら答えると、国語教師は「そうですね。嬉しいですね」と言い、次の生徒を指名した。

 そうやって、何人か当てたあとに、「みんな感じ方はそれぞれですね」と締めくくって、次のトピックスへと授業が進んだ。


「今日もおつかれさまー!」


 長く感じる学校の授業が終わると、京がそう言いながらカバンを持って教室から出ていく。最近、バスケットボール部の助っ人をしているので忙しいようだ。三年生になり、受験もひかえているのに、なんともアクティブである。


「九十九ちゃん、今日は早めに帰る?」

「うん、お月見だからね」


 小夜子に声をかけられ、九十九は元気よく応じる。

 月見の準備はトントンと進み、いよいよ今夜となった。

 当初は道後公園での月見を予定していたが、ただ月を眺めて団子を食べたり、お酒を飲んだりするだけということで、場所が変更になった。

 ケサランパサランのような人間に化けないタイプのお客様もいるし、シロも同行しない。湯築屋の敷地内のほうが安全という結論に至った。

 普段、お客様たちは湯築屋の門を潜ったら直接、結界の中へ招き入れられる。けれども、湯築屋はきちんと現実世界に存在する宿だ。結界に直通しなければ、小さな庭のついた普通の宿屋であった。


「やっぱり、月見するんだってな。俺も行くからな!」


 ケサランパサランは宿泊中であったが、将崇はいもたきをした一泊だけで自分の家へ帰っていた。近くのマンションを借りているため、彼にとって湯築屋は近所だ。あまり長居する意味もないようだった。

 将崇はフンッと鼻を鳴らしながら得意げに仁王立ちする。


「……勘違いするなよ。俺はあの忌々しい稲荷神がいないんだったら、行ってやってもいいと言っているんだ! 別に楽しみとかじゃないからな!」

「参加は自由だよ?」

「別に行きたくないとは、言っていないからな!」

「どっちなの?」


 天邪鬼で正直者な将崇は顔を赤くしながら、否定したり肯定したり忙しい。猫を被っていた転校生キャラのほうが話はすんなり進んでくれるのだが。


「ねえ、将崇君ってお月様が嫌いだったりする?」

「はあ? お前、馬鹿じゃないのか。嫌いだったら、月見なんて行かないんだぞ」


 それもそうである。

 九十九は自分の質問が愚問であったと気がついた。


「いや、馬鹿は言いすぎたな」

「……珍しい。将崇君が謝った」

「お前、やっぱり馬鹿だろ。そして、俺を馬鹿にしすぎだぞ」


 将崇は人間の姿のまま、プンスカと腕組みをした。


「月の満ち欠けは妖気や神気に影響するからな。同種《俺たち》は必ず眺めるものだと思うぞ。人間だって、月や星を読んでいるじゃないか」

「うん、そうなんだけど……なんとなく、好きとか嫌いとか、そういうことを聞きたくて」

「好きか嫌いかの単純な話だったら、嫌いな奴の気が知れないな。ただ眺めるだけで害はないじゃないか」


 それもそうだ。

 将崇の言葉は正しいと九十九も思った。


「嫌いな奴には理由があると思うぞ」

「例えば?」

「……月の綺麗な夜に失恋したとか?」


 将崇は大して考えもせず、適当に返答していた。月並みな回答ではあるが、納得はする。九十九だって、もしも、嫌なことがあったときに月が綺麗に輝いていたら、嫌いにもなるかもしれない。単純な例だが、端的でもある。

 なるほど、と納得していると、将崇が少しモジモジとややいじらしく九十九を見てきた。


「と、ところで……今日の月見に……あいつ、来るのか?」

「あいつ……? ああ、ケサランパサラン様なら、喜んで参加するって言ってたよ。やっと、月見酒が楽しめる! って、跳ねてたけど」

「ち、違うっ! そっちはどうでもいいんだよ!」


 九十九が首を傾げると、将崇は愛嬌のある顔を真っ赤にしながら耳を貸すように小さく手招きした。そんなにコソコソ話さなければならないのだろうか。


「あのちっこい狐だよ」

「え? コマのこと?」


 つい普段の声量で答えると、将崇は恥ずかしそうに「しーっ!」と人差し指を立てた。


「そんなに恥ずかしい?」

「べ、別に恥ずかしくなんかないぞっ!」

「……どっちなの?」


 慌てふためく将崇の態度がちょっと理解できず、九十九は困ってしまう。


「湯築屋の敷地内でお月見することになったから、コマもきっと来るよ」

「そ、そうか」


 将崇は短く言って、パッと九十九から離れた。なんとなく、嬉しそうである。


「別に浮気じゃないからな!?」

「なんの話?」


 まだなにも言っていないのに、将崇はそう叫んで自分のカバンを引っつかんだ。


「お、俺の花嫁はお前だしな! い、いや、それも、あれだ。爺様の無念を晴らすためなんだからなっ! 別に好きとかじゃないからな……!」

「はいはい」

「あのちっこいのは狐だから気に入らないが、一応、俺が師匠だからな! 顔を出してやるのも、師匠の務めだ。あ、いや、別に弟子って認めたわけじゃないけど!」

「うん」

「お前、俺の話をちゃんと聞いてるか? いや、別に聞けっていってるわけじゃないぞ!」

「聞いてるよ」

「そ、そうか!」


 天邪鬼なのか正直なのか、どちらなのかハッキリしてほしいが、きっと、将崇にとってはどちらも本音なのだ。会話をしていると多少疲れるが、おおむね微笑ましく聞くことができた。


「コマのこと、気に入ってくれてありがとう」


 コマは自己肯定感が低い。自分のことを少し下に見ている傾向があり、自信がなかった。

 将崇のことを「師匠!」と呼んでいるのは驚いたが、いいことであると九十九は思っている。あんなに「変化が下手だから」と言って嫌がっていたコマが、将崇の言葉一つで、大勢の前で変化してみせたのは意外な進歩だ。

 あれっきり、恥ずかしがって変化しようとしないが、きっと、将崇がいれば前向きになるはずである。それはコマにとっていいことであると九十九は信じていた。


「わたし、最近嬉しいの」


 湯築屋のことを思い浮かべながら、九十九は唇を緩める。

 登季子の営業で海外のお客様がたくさん訪れるようになった。小夜子がアルバイトで働くようになって変わったことがある。九十九が京との時間をとるようになった。

 いろんなことが少しずつ変わっている。

 それはいい変化なのだと、九十九は思うことにしていた。


 シロはこの変化を、どう思っているのだろう?


「シロ様も同じことを思っていてくれたらいいんだけど」





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