3.神様のあり方もいろいろですね
ふと、伊波礼毘古の客室に御膳を運ぶ際、どうしても気になったことがあった。
伊波礼毘古はシロの傀儡と同じようなものだ。本体(だと思う)は黒い影のような姿をしていて、口もどこにあるのかイマイチハッキリしなかった。
シロの傀儡はご飯を食べることができない。伊波礼毘古はどうなのだろう。
ちょっとした好奇心である。
お客様のことを詮索しすぎることは無粋なのでやめておきたいけれど。
ちなみに、蝶姫のような鬼のお客様はみんな面を被っており、表情がまったく見えない。食事は面の口に運んでいるが、中で口が動く様子がないので不思議な光景だった。
『ほほう。鯛麺ですか……しかし、これは美しい』
伊波礼毘古の前に料理を運ぶと、大げさに感激の姿勢を見せていた。
本日の料理は鯛麺だ。瀬戸内海広域の地域で食べられる郷土料理の一つである。
大皿に塩焼きの鯛が盛りつけられている。彩っているのは、錦糸卵と薬味のネギ、五色に色づけられたそうめんだった。
五色そうめんはコシが強く、色鮮やかなのが特徴だ。着色には梅や抹茶などを練り込んでおり、美しい見目から祝いの席などで好まれてきた。
「お気に召していただいて、よかったです」
『これは食べるのが楽しみです』
伊波礼毘古は豪快に笑ったあとで、手をあわせた。けれども、箸は取ろうとしない。
湯呑にお茶を淹れながら、九十九は少しだけ様子を見た。
すると、部屋の隅からスルスルと黒い影のようなものが歩いてくる。小柄な子供のような影は、自然な動作で伊波礼毘古の傀儡の隣に座った。やはり、食べるのは本体である影のほうらしい。
『気になりますか?』
影の代わりに喋るのは、傀儡のほうだった。
「い、いえ……すみません」
知らず知らず、お客様に気を遣わせていたようだ。九十九は急いで湯呑のお茶を差し出し、部屋を出ようとする。
『神々、否、現人神の中でも我が在り方は特異ですからな』
伊波礼毘古は気にしていないという素振りで、両手を広げた。黒い影のほうは、隣で黙々と鯛麺を食べている。白い穴のような口が開き、その中にそうめんが吸い込まれていく様は、ちょっとだけ不気味に思えた。
『歴史の中で、我は存在しないことになっておりますから。故に、我が存在は虚無です』
初代天皇である神武天皇は実在しない。これが定説であった。
日本統一の覇権争いに勝った天皇家が作ったのが日本建国神話であり、後に神武天皇とされる伊波礼毘古は架空の人物。都合のいい英雄像であるとされていた。
「でも、そういう神様たくさんいらっしゃいますよね? 貧乏神様だって、人間の伝承から生まれたと言っていましたし……」
神々は人知を超えた存在だが、人間の畏怖や信仰があって初めて成立する。だから、名を忘れられ信仰を失くした神は「堕神」となるのだ。
貧乏神だって、最初は存在していなかった。なにもないところから、人々の信仰が生まれ、神として形を成したと言っていた。
この場合の伊波礼毘古も似たようなものではないか。九十九はそう思ってしまった。
『天皇家の始祖としての我は神として存在しています。けれども、人としての我は、もう誰の心にも存在しないのです』
「え……」
九十九は言葉を詰まらせた。
『もう人であったころ……伊波礼毘古と呼ばれるようになる前の我の存在はありません。伊波礼毘古の雛形となった男は存在していないことになっています。今あるのは、神の子孫として国家を統一した伊波礼毘古という虚像です』
伊波礼毘古が語られる日本建国神話は人間が創った虚像だ。
しかし、そこには伊波礼毘古の元となり、実際に朝廷を開いた人物がいた。きっと、元はその人間を神格化するための逸話だったのだろう。けれども、誰も彼のことを覚えていない。
伊波礼毘古がこのような形で存在している理由が、なんとなく九十九にも理解できた。
黒い影である「彼」は伊波礼毘古とは別の存在。けれども、同じでもある。
虚像である伊波礼毘古の傀儡を動かす存在として、ここにいる。
『此の宿には感謝しております。我はもう二度と、我が主に会えぬものと思っておりましたから。どのような形であれ、お姿を拝見できることに無限の喜びを感じております』
「えっと、主って?」
そういえば、来館時にも似たようなことを言っていたと思う。
彼は明かに、シロのことを主と呼んでいた。お客様でありながら、何故か九十九にまで頭を下げていた。
九十九はその意味を深く考えないようにしていたが……。
天照の言っていた、湯築屋に神々が集まる理由に関係があるのだろうか。
『我の自己満足です。時々、ご尊顔を拝見するだけでよいのです』
伊波礼毘古は九十九の疑問に答えようとはしなかった。
黙っている室内に、ズズズっとそうめんをすする音が響く。傀儡が話している間も、影はずっと鯛麺を食べていた。会話や動作は傀儡のほうに任せて、本体は好きなように過ごしているようだ。なんとなく、傀儡と本体で中身が違うような錯覚に陥る。
『ごちそうさまでした。とても、美味しかったです』
そう言って、伊波礼毘古は手をあわせていた。いつの間にか、食べ終わっている。
空になった膳を前に、影が薄っすら笑った気がした。
「はい、どうも……ところで、伊波礼毘古様」
つい、そのまま膳を下げて持って帰るところであった。
「お月見をしませんか。今、湯築屋で準備をしています」
『ほお。月見ですか』
月見のことを提案すると、伊波礼毘古はしばし考え込んでしまった。
『それは、主が望まれて催すのですか?』
予想していない返答だった。
「いえ……シロ様は、いらっしゃらないそうです」
『そうでしょうな……であれば、我はお断りさせていただきとうございます。どうぞ、皆様でお楽しみください』
アッサリと断られてしまい、九十九は面食らう。
宿泊中のお客様に声をかけて回ったが、明確な理由なく断ったのは伊波礼毘古が初めてだ。いや、理由はきっとあるが……。
「わかりました」
だが、無理強いするものでもない。
九十九は素直に引き下がるほかなかった。




