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2.神様のお宿




 伊波礼毘古という予定外のお客様は訪れたが、九十九は予定通りに月見の準備を進めていた。

 と言っても、特別な準備はそんなに必要はない。

 シロが行かないため番頭の八雲の予定を確保して、宿泊中のお客様たちに声をかけて回る。そして、幸一に月見団子の作成を依頼する程度だ。


「お月見ですか。たしかに、湯築屋では一度も行われたことがありませんね……いいですよ。おつきあいしましょう。私のほうからも、お客様にアナウンスしますね」

「ありがとうございます、八雲さん」


 事情を話すと、八雲は快く承諾してくれた。シロが行きたがらないとなれば、神気の扱いに長けた同行者が必要だ。女将の登季子がいればいいのだが、あいにく、登季子は現在、中国で営業していると聞いていた。

 それにしても、月見はやはり八雲も開催した経験がないらしい。


「シロ様って、お月見嫌いなんですか?」

「そこまでは知りませんが、私が知る限りは……ただ、昔、月見酒をしたいから月を見せろというご注文されたお客様と喧嘩されたことなら……」

「え、ええ……喧嘩、ですか?」


 たしかに月見酒をしたいと言うお客様はいるが、シロが渋って実現したことがない。先日、ケサランパサランも月見酒がしたいと要求したが、シロ自ら却下していた。

 しかし、いくらなんでも、喧嘩するほどだろうか?


「まあ、お互いに酔っておられたので……」

「いやいや、シロ様って酔ってもそんなにテンション変わりませんよね?」

「最近はそうでもありませんよ?」

「そうですか?」


 シロは涼しい顔をしているが、結構な量の酒を平気で飲む。それでも、言動が明らかに変わることもなく、気持ち悪そうにもしていない。ザルのようなものだと思っていた。


「最近のシロ様は酔うと若女将に絡みます」

「……いつも絡んでくる気がするので、気のせいですよ」

「傍目には、少しばかり大胆になられていますよ。覚えはありませんか?」

「……あるような、ないような」


 たしかに、酔ったシロが絡んでくることは多いが……九十九は少し思考を巡らせて、やめた。ひかえめに言って、恥ずかしい記憶がよみがえるばかりだ。

 シロの言葉や態度は、別に自分だけに向けられているものではない。ずっと、巫女に対しては同じなのだ。そう自分に言い聞かせて、首をブンブン横にふった。


「とにかく、よろしくおねがいします!」


 話題を断ち切るように、九十九は大きめな声で言った。八雲はニコリと笑って、「わかりましたよ、若女将」と答えてくれる。


「もう少し素直になってもいいと思いますよ」


 わざわざ話を区切ったのに、八雲はそう言って踵を返した。

 九十九は恥ずかしさで赤くなる顔を菊模様の着物の袖にこすりつける。

 八雲には、以前もシロとの関係について指摘されていた。自分の経験から、九十九に忠告してくれているのだとわかる。

 彼なりの思いやりなのだと重々承知しているが……。


 ――儂は……違う……。


 九十九には、シロがどう思っているのかわからなかった。

 わからなくて。わからないことが辛くなる。

 辛くなるのが嫌で、なにも考えないようにしていた。

 そのほうがいいのだと、自分に言い聞かせて。


「……本当に稲荷神は面倒ですわね。もう少しサッパリされたらよろしいのに」


 廊下を進もうとする九十九の前に現れたのは、天照であった。

 あまりに唐突だったので、九十九はお客様にぶつかりそうになってしまう。慌てる九十九を天照は楽しそうに眺めていた。

 天照大神は湯築屋に長期連泊中の常連客だ。だいたいは自分の部屋に引きこもって、好きなアイドルのDVDを鑑賞したり、ブログでアフィリエイトを稼いだりしている。


「天照様、今日は部屋でDVDを見るから集中させてほしいと言っていたのでは?」

「その予定だったのですが、伊波礼毘古が来たと聞きましたので」


 伊波礼毘古は天皇家の祖。つまり、天照の子孫だと言われている。

 天照が顔を見せてもおかしくない相手であった。


「まあ、そちらは顔を見せてきましたから割とどうでもいいのですけれどね」

「どうでもいいんですか?」

「ええ、まあ。親類など、山ほどいますし。この宿にいれば、それなりに会えるものでしょう?」

「そ、そうですね。たしかに?」


 湯築屋には神様のお客様が多い。特に日本神話の神々が好んで訪れている印象だ。

 別に神様専門の宿を謳っているわけでもない。妖や鬼のお客様もそれなりに来る。

 けれども、何故か湯築屋には神様が集まっていた。


「天照様が連泊していらっしゃいますし、きっと皆様、会いにくるんですよ」


 今まで、特に疑問に思ったことはないが、だいたい、これで結論づけられる気がする。

 天照はなんと言っても長期連泊が多い常連客だ。推しの全国ツアーを巡礼するとき以外は、ほとんど宿泊している状態だ。今も二ヶ月連泊している。

 日本神話の太陽神が連泊している宿だ。きっと、日本神話の神々の間でも話題になっている。だから、湯築屋には神様がたくさん集まるのだ。


「わたくしにそのような求心力はありませんよ。影響と言えば、せいぜい、宇受命うずめがからかいにやってくる程度です。あとは須佐之男すさのおかしら?」

「え、でも……」


 現に、たくさんの神様が宿を訪れている。

 けれども、天照は自分が原因ではないと言う。

 少女のような見目の女神は太陽の色の眼を細めて、九十九を見あげている。まるで、答えを導き出せない九十九を見て、愉しんでいるようだった。


「知りたいかしら?」


 問われて、九十九は鼓動が高鳴るのを感じた。

 その問いは、「どうして神様が集まるのか」という疑問を解消するためのものではない。

 九十九が知りたいと思うことをすべて教えてあげると言っているのだと、直感で理解する。


 九十九が知りたいこと。

 その答えを、天照はすべて持っている。


 否。

 もしかすると、湯築屋に訪れるお客様はみんな知っていることなのかもしれない。


「知りたいのでしょう?」


 九十九の心を見透かすように、天照が続けて問う。

 甘い花の蜜のように、魅惑的な微笑。少女のみ目をしていながら、魔性の美貌を振り撒く女神の言葉に、九十九は釘づけになってしまった。

 絡めとられて、逃げられない。まるで、蜘蛛の糸のようだ。


 知りたい。


 思わず、喉から言葉が出そうになった。九十九は知りたいのだ。知りたくて堪らない。今すぐ、自分の抱える疑問のすべてを解決したかった。


「それは……聞けません」


 寸でのところで、九十九は言葉を絞り出す。


「シロ様に約束しています。お話していただけるまで、わたしは待っていると」


 そう言うと、天照はつまらなさそうに唇を尖らせる。少女らしくて愛嬌のある仕草だ。


「なぁんだ、つまらないですわね」


 天照はわざとらしく言って、肩を竦める。


「からかっただけですわ、申し訳ありません。本当に教えるつもりはありませんでしたわ」


 嘘だと思った。

 きっと、戯れだったのは本当だろう。しかし、天照は九十九が乞えばすべて教えてくれていたと思う。そんな気がするのだ。


「それよりも、月見をするとうかがいましたわ。是非、参加させてくださらない?」

「はい、もちろんです。天照様もお誘いするつもりでした!」


 九十九は声を弾ませた。

 元々、天照にも月見の話をするつもりであった。シロがいないのだ。天照のような常連客が加わってくれるのは心強い。

 けれども、時々怖いのだ。

 神々は一筋縄ではない。いつ人間を突き放すかわからない存在でもある。

 そのときに頼れる相手は誰なのか……九十九には、はっきりと答えることができなかった。


「月見団子は用意していますか?」

「料理長に頼むつもりです」

「それなら、安心ですわ。ここのお料理は間違いありませんからね。楽しみにしています」


 天照は満足げに笑っている。

 先ほどまでの魔性の笑みではなく、少女らしい可憐な笑みだ。どちらが本当の表情かおなのか、九十九には推しはかることができなかった。

 ……好きなアイドルを見ているときの表情には、裏表はまったくないと思うけれど。





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