1.お月見をしませんか?
3巻は双葉文庫7/11発売予定となっております。
そろそろ書誌情報も出て予約が開始している頃合いかと思いますので、どうぞよろしくおねがいします。
今回は書き下ろしが既刊の倍近い量になっております。筆が乗りすぎました。
「月見が近いな。ケサランパサランが楽しみにしてたぞ」
就業のチャイムが鳴った放課後。
帰り支度をしながら放たれた将崇の一言に、九十九はパチクリと瞬きした。虚を突かれた気分である。
「お月見?」
「いもたきやったんだから、月見もやるんだろ?」
カバンにペンケースを詰めながら、将崇が当然のように言う。
一方、九十九は予期していなかった言葉に、すぐ返答することができなかった。
「そういえば、去年はやらなかったね」
会話を聞いていた小夜子が口を挟む。
「あー……うん。去年というか、ずっと?」
九十九はやっとのことで、言葉を絞り出した。
記憶が正しければ、湯築屋で月見が行われたことは九十九が生まれてから一度もない。
なにせ、結界の内側には月が出ない。藍色の空がただただどこまでも広がっており、月も星もない。あるのは湯築屋と、季節を象徴する庭の幻影だけである。
「お客様もお誘いして、外出しましょうよ。お花見みたいに!」
「俺は美味いモンが食べられるなら、それでもいいぞ」
考えてみれば、そうだ。
花見などはお客様からの希望もあり、外で開催することもあった。シロは連れて行けないが、本人は傀儡でも満足しているし、なによりもお客様が喜ぶならそれがいい。
けれども、月見は開催したことがない。花見と同じく、外で開催するという意見も不思議と出なかった。
生まれてから月見を経験したことがない九十九などは、「そういう行事も、あった気がする」と完全に意識の外にあったほどだ。
「シロ様に提案してみようよ」
小夜子が何気なく笑った。
「うん!」
九十九も快く返答する。
道後温泉街の入り口には、道後公園がある。中世の城跡であり、広い敷地が公園となっていた。桜の名所でもあり、毎年、多くの花見客であふれている。湯築屋の花見も、そんな花見客に混じって行っていた。
高台には展望台もあり、もちろん、月見にも適していた。
遠出するわけではなく、道後公園での月見であればシロも快諾するだろう。
それに、いもたきを気に入ったケサランパサランはまだ湯築屋に宿泊中だ。将崇の口ぶりだと、月見も楽しみにしているようである。
お客様の楽しみに応えるのも、九十九の仕事だ。
きっと、シロだって賛成してくれる。
喜んで、「儂も月見団子が食べたい!」などと言ってくれるだろう。
「儂は行かぬ。やるのなら、好きにせよ」
だから、シロからそう言われたときは落胆した。
「どうしてですか? お月見、嫌なんですか?」
湯築屋に帰った九十九は、開口一番、シロに月見を提案した。しかし、シロはそのように言って、九十九の提案を拒んだ。
いや、拒んだわけではない。
好きにしろとは言っている。ただし、シロは関与してくれない。
お客様を九十九が外へ連れる際は、だいたいシロが傀儡を使ってくれた。お客様たちは神様だ。なにかあったときに、九十九だけでは対処できないからだ。
「八雲辺りでも連れて行っておけばいい。儂は宿で一人酒でもしておるよ」
「シロ様らしくないですね……」
「儂は変わらぬよ。昔からな」
もしかして、湯築屋で月見をしたことがないのは……シロが嫌がっているからではないか。そこに思い至って、九十九は初めて自分の提案が失策であったと気がついた。
「なんか、ごめんなさい」
シロの態度に、九十九はシュンと肩を落とした。
同時に、シロが嫌がるのなら月見をしても楽しくないという気もしてくる。そんなことはないとはわかっているし、お客様たちはきっと気にしない。むしろ、満足してもらえる自信もある。
シロはいないが、八雲でもある程度は対処できるだろう。道後公園は湯築屋に近いため、なにかあればすぐにシロも気がついてくれるはずだ。
シロの傀儡のことを九十九はあまり好きではないが、いないならいないで、寂しい気持ちは否めない。
「何故、謝る」
どうして?
問われて、九十九の回答は一つに落ち着く。
シロ様と一緒がいいからですよ。
心の中で、スッと言葉がわいてきた。だが、声にはならなかった。
「なんでもないですよ……お月見は、してもいいんですよね」
「問題ない。九十九がやりたいようにやればいい」
いつも通りのやりとりだ。
それなのに、心が痛い。胸の奥がキュッと縮こまる。
シャン、シャン。
静寂が降りる前に、鈴の音が響く。
お客様が来館したという合図だ。シロが視線で「行ってこい」と示している。九十九は気持ちを切り替えて、背筋を伸ばした。
お客様が来ると、不思議と違う自分になれる気がする。
今はもうシロの言葉一つで落ち込んで、縮こまってしまう九十九ではない。湯築屋の若女将として、お客様のもとへと向かう。
それは魔法のような心地。
そして、そうすることで心が一気に楽になるのだった。
「いらっしゃいませ、お客様」
玄関で、お客様を出迎える。あとから、チョコチョコとした足音を立てて、コマも九十九の隣に並んだ。頭を下げると、クイッとお尻があがる。
『貴殿が当代の巫女か』
仰々しい喋り方のお客様は多いので慣れている。けれども、その声には違和感があった。
九十九が顔をあげると、背の高い偉丈夫が立っていた。広い肩幅や濃い髭から伝わる勇ましさ。美豆良に結われた髪や、筒袖の衣という姿、神気の質から、なんとなく、日本神話の神であることがわかる。
「はい、わたしが湯築の巫女で、この宿の若女将。湯築九十九と申します。どうぞ、よろしくおねがいします」
『うむ。噂通り美しい娘である』
お客様は九十九を少しも見ないままそう言った。
人形のような……といえば、やはり、シロのような美しい容姿を想像してしまう。けれども、それとは別の意味で、このお客様は「人形のようだ」と感じてしまった。
まるで人間味がない。いや、神様なのだから人間ではないのだが……。
このお客様からは生きている空気がほとんど感じられなかった。
「ひっ!」
九十九の隣で、コマが声を裏返らせていた。
何事かと思い、九十九もコマが見ている方向に視線を向ける。
「…………!」
なにかが、こちらを見ていた。
ヌッと覗き込むように、黒い影のようなものが存在している。人の形をしており、目や口の辺りが浅く窪んでいた。
妖の類?
けれども、感じられる神気はお客様のものであった。
むしろ、
「もしかして……傀儡?」
目の前にいるお客様は強い神気を持っているが……うしろにいる影のほうが強い。いや、違う。彼らは全く同質の存在――玄関の中に立っている偉丈夫ではなく、うしろの影がお客様の本体なのだと気がついた。
シロの傀儡と似たようなものだと思う。
『流石は湯築の巫女です。やはり、見破られましたか』
お客様の態度が急に改まった。今まで、九十九は試されていたのだと悟る。
『我が名は神倭伊波礼毘古命でございます』
傀儡である偉丈夫はそう言って、九十九の前でかしずいた。
「え、ええ!?」
お客様にかしずかれるなど、初めての経験だ。九十九は混乱しつつ、自分もその場に正座して三つ指で頭をていねいに下げた。
神倭伊波礼毘古命は大和建国神話の中心人物として名高い英雄神である。日向国より東征を行い、大和王朝を築いた。つまり、天皇家の祖。初代天皇である神武天皇であった。
れっきとした神様である。
そんなお客様が巫女であり若女将である女子高生の九十九に片膝をついて頭を垂れている。この状況がわからなくて、九十九は大いに混乱した。
「神倭伊波礼毘古命様! 頭をおあげください!」
『いいえ、我のことは伊波礼毘古とお呼びくださって結構です』
恐縮で死んでしまうとは、このことだ。
九十九は必死になったが、伊波礼毘古は譲らなかった。
「その辺にしておけ、伊波礼毘古……我が妻は慣れておらぬ」
あたふたとする九十九に助け舟を出したのは、シロであった。
スッと現れて九十九の前に立つ。すると、伊波礼毘古はようやく頭をあげてくれた。
『お久しぶりでございます、主』
「その改まり方は、やめよ。儂はお前たちの主になった覚えは一度もない。何度も言わせるな」
『承知』
目の前の会話には違和感しかない。
けれども、シロは慣れているような口ぶりだ。もしかすると、伊波礼毘古は湯築屋へ来るたび、こうなのかもしれない。きっと、そうなのだ。と、九十九は無理やり納得することにした。
本当はきっと違うと、どこかで思っていながら。
「コマ、案内してやれ」
「はいっ! 白夜命様!」
コマは指名され、やる気満々で伊波礼毘古を案内していく。入口に視線を戻すと、こちらを覗き込んでいた黒い影はいなくなっていた。おそらく、伊波礼毘古の傀儡と一緒に移動したのだろう。
いろいろと初めてのタイプのお客様で、九十九は終始面食らってしまっていた。
シロだけが、普段と同じ涼しい顔をしている。




