7.ケサランパサランの綿毛
いもたき大会はお客様たちからの評判もよく、大変盛況に終わった。
たくさん用意していた具材はなくなり、あとには満足そうなお客様たちの笑顔が残っていた。里芋やうどんを食べ慣れない外国の神様もいたので心配だったが、杞憂だったようだ。
「どうしたの、つーちゃん?」
ボーっとしてしまっていたようだ。
厨房で片づけの手伝いをしている最中に、幸一が心配そうに九十九を呼び止めた。
――儂は……違う……。
あんなシロを、前にも見たことがある。
苦しそうに吐き出すように。そして、なにかに怯えていて……。
あのときのシロも、酷く苦しそうだった。
絞り出すように、五色浜でのことを否定する言葉を吐いていた。
なにか関係があるのだろうか。
「はい、つーちゃん。お腹が空いていると、力も出ないよ」
グルグルと考えるだけの九十九の前に、幸一がコトンと器を置いた。
「これ……!」
九十九の目の前にあるのは、小さなアルミの小鍋だ。アルミのお皿に乗り、アルミのレンゲがついている。
蓋を取ると、中からモワンと湯気が立ちのぼった。
「鍋焼きうどん!」
「余りで作ったから鶏肉だけどね。つーちゃん、いもたきあんまり食べてなかったでしょ?」
小鍋には澄んだ出汁から溢れんばかりに、軟らかめのうどんが詰まっている。薄切りのナルトと、薄切りの玉子焼き、鶏肉、そして、青ネギが少々。
松山スタイルの基本的な鍋焼きうどんだ。本当は甘く煮た牛肉が入る。
「お父さん、ありがとう!」
アルミのレンゲで出汁をすくい、食べやすいようにフーフーと息で冷ます。
いもたきの余りで作ったため、少し甘めだ。けれども、疲れた身体にはこれがいい。うどんは軟らかくて食べやすく、出汁の味をよく吸っていた。
甘味と塩気が疲れた身体にしみていく。熱々のうどんを口に運ぶたびに、幸一の作った優しい味に癒された。
小さなアルミの鍋に入っているが、鍋焼きうどんは意外とボリュームがある。食べ終わるころには、九十九は満腹になっていた。
「つーちゃん、なにかあったでしょ?」
ごちそうさま、と手をあわせた九十九に幸一が問う。
優しい香りの出汁みたいな、ふんわりとした笑みが曇っていた。心配させていることを自覚して、九十九は視線を逸らしてしまう。
「シロ様のこと?」
「……まあ……よくある喧嘩かな」
九十九とシロが夫婦喧嘩するなど、日常茶飯事だ。多少、シロを蔑ろにしても、誰も気に留めなかった。
だから、ただの喧嘩である。
シロの様子は明らかに変だったけれど……言わないほうがいいと思った。
急に強く九十九を抱きしめたことも、怯えるように震えていたことも、逃げるように消えたことも。全部、九十九が秘密にしておいたほうがいいと思うのだ。
あれはきっと、シロが周囲に見せたい姿ではないから。
「本当に?」
「うん、本当に」
素っ気なく答えて、九十九はアルミの鍋を片づける。そういえば、松山あげが入っていなかったなぁ……などと考えてしまう辺り、だいぶシロに毒されているような気がした。
それほど、シロの存在は自分の中で大きいと自覚させられる。
だから、さっきの態度は――正直、キツかった。
「なにがあったのかは知らないけど、つーちゃん。たぶん、シロ様はつーちゃんのことが大好きだよ」
頑なに言葉にしようとしない九十九にも、幸一は優しく微笑んでいた。
「シロ様は湯築屋のみんなのことが大好きなんだよ。でも、たぶん、つーちゃんのことは一番好きだと思うよ」
「……そりゃあ、巫女ですから」
「うん、そうだね……でも、わかるよ」
幸一は強く、けれども、とても柔らかく言って笑った。
「僕にも、一番好きな人がいるから」
幸一が笑うと、ふわりと温かい気持ちになれる。
胸の奥がとても……とても、軽くなるのだ。
だからこそ、その言葉が辛い。
「お父さん、ありがとう。ごちそうさまでした」
九十九は話を無理やり区切ろうと、アルミの鍋を片づけた。
それでも、幸一は「うん」と、ふんわりとした返事をしてくれる。
シロ様から愛されたい。
それは、九十九が考えるべきではないことだ。
シロは湯築の巫女を代々妻として娶っている。九十九だけを特別に愛することなどないのだ。そして、九十九だけがそんな都合のいい要求をしてもいいわけがない。
――人のように情愛を注いだところで、お前たちは未来永劫、儂の傍に在り続けると約束できぬではないか。お前たちはいつだって先に進んでしまう。
九十九だけが身勝手で無責任な主張をするわけにはいかない。
「いっそ、嫌いだったらよかったのに」
廊下の壁に頭をこすりつけ、つぶやく。
いっそシロのことを嫌いであったなら、どれだけ楽だったか。
決まりだからと無理やり結婚させられて、愛はないけれど巫女としての責務を果たすだけの関係であったなら、どれだけ楽だったろう。
シロは優しい。
九十九には望むものを与えてくれる。
とても甘い言葉で夢を見させてくれる。
それで充分ではないか。
だから、満足している。
そう言い聞かせて、九十九は心に蓋をすることにした。
「ふむ、顔色が優れないではないか」
高音だが、不遜な声が投げられる。
視線を落とすと、白いモフモフ。ケサランパサランがこちらを見あげていた。身体の大きさに対して小さく見える口をモゴモゴと動かしており、なにかを食べているようにも見える。
「まったく……何故、朕が。まあ、よい。ほれ、手を出すがいい」
ケサランパサランは九十九の顔を眺めるなり、手を出すように要求した。
九十九は腰を落とし、ケサランパサランに言われた通り、右手を前に出した。
「むんっ」
ケサランパサランが鼻息を鳴らす。
すると、フワッと白い綿毛が一つ、九十九の掌に飛び出した。
「ケサランパサラン様、これって……?」
「朕の毛である」
「そうですね」
「朕の毛」
「わかりましたから」
見ればわかるが、それはケサランパサランの綿毛であった。
白くてフワフワ。たんぽぽの綿毛のようで、そうではない。握って潰しても、すぐに元に戻る弾力があり、不可思議な感覚であった。
幸福を呼ぶと言われるケサランパサラン。白粉を餌に増えるという話もある。
「朕は愉しませてもらったからな。宿賃とは別にもらっておくがいい」
「……ありがとうございます」
ケサランパサランの毛は幸福を呼ぶお守りだ。言ってみれば、神様の加護のようなものである。九十九がもらっても良いものか悩んだが、ケサランパサランがくれたものだ。ここは、ありがたく頂戴することにした。
「そなたは多くの妖や神を惹きつける。その神気、あまりに危険であることを知っておけ」
「……よく言われます」
それは何度も言われてきたことだ。
九十九が巫女として成長すれば、少しはマシになるだろうか?
けれども、九十九が学業を修めるまでは巫女の修行は最低限に留めるというのは先代の巫女の遺言だった。
それまでは、九十九は守られる存在――。
「言っておくが、そなたの未熟さは、そなた自身にあるわけではない」
「え?」
ケサランパサランの言葉に九十九は目を瞬かせた。
「朕は神どもと違って、アレに縁はないからな。黙っておいてやる義理もな――おっと、余計なことだったかな」
ケサランパサランは話の途中で、ピョコンと跳ねて九十九と距離をとった。すると、二人の間にフッと風のようなものが吹く。
瞬きをするくらいの間に、藤色の着流しが視界を塞ぐ。
目の前に現れたシロを、九十九は驚くことなく見あげた。
なんとなく、今、来てくれるような気がしていた。
「朕はひと風呂浴びて寝る」
ケサランパサランは手短に告げて、ピョンピョコ跳ねていってしまった。
「シロ様……?」
九十九は立ちあがり、シロの顔色をうかがった。
シロは感情の読めない表情で、九十九のほうをふり返る。けれども、すぐにいつも通り笑った。
「九十九、儂は甘味が食べたいぞ」
「はあ?」
あまりに自然で、あまりに不自然。
九十九は拍子抜けした声で返してしまった。
さっきのは、なんだったのだろう。そう思えるほどの落差であった。
「えっと……シロ様……」
「碧がタルトを買ったと言っておったぞ」
「あ……はい……」
「そうだ、九十九。揚げタルトというものが食べたい!」
「はあ……」
シロに手を引かれながら、九十九は無理やり廊下を歩かされる。
怯えるような震えも、夢中な激しさも一切感じられない。ただただ、いつものシロであった。
まるで、先ほどの出来事が嘘のような――否。
先ほどの出来事をなかったことにするためだ。
全部なかったことにしようとしている。
九十九にも、忘れろと言っている。
そう察してしまい、九十九はなにも言えなかった。
なにも言えないまま、
でも、シロ様がそうしたいのなら、それでいいかな……。
そう考えていた。
第8章は、やや短めですが終了です。7章が長かったので枠調整などと供述しておりry
第9章の更新は6月か7月にしようと思います。
3月に発売された第2巻は好評発売中です。ありがたいことに、既刊の1巻も売れ行きを伸ばし、このたび、重版する運びとなりました。
ひとえに読者様のおかげでございます。
これからも、よろしくおねがいします。




