2.いもたきは県民の義務ですから
「朕は露天風呂でお酒が飲みたいのだ」
そんなお客様の要望を叶えるべく、盆に冷酒を載せて九十九は露天風呂へと足を踏み入れる。男湯へのお届け指定だったため、どうやら、アンゴラウサギ風の見た目をしたケサランパサランは雄、いや、男性だったらしい。
カランコロン。
ぷかぷかぶくぶく。
湯気のあがる湯船に浮かんでいるのは、綿飴、ではなく、ケサランパサランだった。水を吸った体毛がビターンと湯に広がっている。
狸姿の将崇も一緒にぷかぷかと浮いていた。
なんだか、動物園みたい……と、言えば、たぶん怒られるので言わないことにした。
「お客様、ご注文の品をお持ちしました」
九十九はそう言いながら、露天風呂の岩場に盆を置いた。
風呂桶風の器に載っているのは、ガラスの徳利とお猪口。そして、小鉢。
「こちらのお酒は、道後蔵酒です。フルーティーな甘みと、独特の香りが楽しめる地酒ですよ」
お酒を勧めると、ケサランパサランは興味深そうに赤い目を細めた。ぷかぷかと浮いたままこちらへ移動してくる。
空気を含んでいるのか、濡れた体毛にはぷくぷくぷくと小さな気泡がついていた。
「ほお、どれどれ……むむ!? この小鉢は、まさか……!」
ケサランパサランはチョンッと露天風呂の岩場に飛び乗って、桶の中を覗き込んだ。
地酒ももちろんだが、彼が興味を惹かれているのは、隣に置かれた小鉢であった。薄く醤油の色がついた里芋や軟らかく煮た人参、鶏肉などが入っている。
パッと見ると、里芋の煮物だが……。
「いもたきです」
「やはり! いもたき!」
ケサランパサランの目の色が変わった。毛の中に沈んでいた耳がピッと二本立つ。身体をブルリと震わせたせいで、ビチャァッと湯が散った。
「朕、いもたき大好きだぞ。でかした!」
いもたきとは、愛媛県の秋の風物詩。
里芋を中心とした具材を大きな鍋で煮て、みんなで囲むのだ。
河原などで特設会場が設営され、「いもたき大会」を開催する地域も多い。もちろん、家庭でも同じものを作って楽しむことは可能だが、やはり、外で鍋を囲むのは格別だ。
「露天風呂酒もいいが、朕はいもたきがやりたくなったぞ! 食べたいぞ!」
ぴょこんぴょこんと飛び跳ねながら、ケサランパサランはいもたきに大興奮していた。
前足で器用に徳利を持ちあげてグイッと清酒を飲み干してしまう。ふわふわの見た目に反して豪快すぎる飲みっぷりだ。
「お、俺はどっちでもいいんだからな! ケサランパサランがやりたいって言うなら、考えなくもないけどな! いもたきなんて、別に毎年やってるからな!」
聞いてもいないのに、将崇が顔を赤くしながら叫んでいた。しかし、茶色い尻尾がクイクイ揺れており、とても嬉しそうだ。
「狸の里でも、いもたきやるの?」
「当たり前だぞ。お前、俺をなんだと思っているんだ。伊予狸の総大将、隠神刑部の孫だぞ」
「関係なくない?」
「里のいもたきはすごいんだぞ。こんなチンケな宿のより、ずっと豪華だ!」
将崇は張り合うように胸を張って、腰に手を当てた。だが、小鉢に盛られたいもたきを一口食べると、「う……美味すぎる!」と目の色を変えている。
彼は天邪鬼だが、どうしようもない正直者でもあった。
「そう言うと思って、いもたき大会の準備をしていますよ」
九十九はお客様二人を眺めて、ニコリとした。
ケサランパサランも将崇も、パァッと表情を明るくして「本当か!?」と叫んでいる。
元々、今日はシロの提案で湯築屋のいもたき大会が予定されていたのだ。
幸一の作ったいもたきがたくさん用意されている。そこにケサランパサランや将崇も加わってくれればいいと思って、九十九はあえておつまみとして、いもたきを小鉢に盛ったのだった。
いもたきは愛媛県民にとっては、秋の風物詩。
本日は、現在の宿泊客以外にも常連を呼んでいるため、賑やかなほうがいいだろう。
「朕は先に行くぞ」
ケサランパサランはモフモフの身体をボールのように弾ませながら、脱衣場のほうへと向かってしまう。
「あ、ずるい!」
ケサランパサランに続いて、将崇が湯船から跳びあがった。
「お客様、浴場では跳んだり走ったりしないでください!」
我先にと脱衣場へ急ぐお客様に当たり前の注意をする。二人は顔を見合わせたあとに、少しだけシュンとして「……わかった」と声を揃えた。
湯築屋のお客様は神様だが、なんでもしてもいいというわけではない……二人は妖だけれど。
「ゆっくりご準備ください。いもたきは逃げたりしませんから」
九十九が笑顔で続けると、二人は「わかった!」と述べて脱衣場に歩いていく。
もっとも、ケサランパサランは跳びはねての移動しかできないようだ。将崇がもふもふの身体を頭に乗せて運んでいた。
そういえば、ご来館のときも将崇に運ばれていた。むしろ、ケサランパサランの口ぶりからして、将崇のことを運転手というか足のように使っている印象だ。
ケサランパサランも将崇も態度は少々不遜で大きいが、とても聞きわけがいい。こういう言い方をすると怒られそうだが、眺めていると「いい子だな」と微笑ましくなる。
神様だって、威厳のある喋り方をしているが、実際の中身はシロのようなものだったりもする。九十九にとって親しみやすい神様が多かった。
妖のお客様は全体的に少ないのだけれど。
「いもたき、楽しくしましょうね」
せっかくのいもたき大会だ。
やはり、楽しまなくては。




