16.尻尾の温もりモフモフと
黄昏のような藍色の空を眺めながら、縁側に足をぶらり。
庭に咲いた朝顔の花は、薄暗い景色に沈まず鮮やかな色で咲いている。結界の中なので暑いわけではないが、風鈴がチロリンと音を立てている。風もないのに不思議だ。
九十九の隣にはシロ。
二人の間には、架け橋のようにスイカの皿が置いてあった。
「小夜子ちゃんたち、今ごろ、向こうに着いてますかね?」
「おそらく」
シロは興味がないのか、淡泊な反応をしていた。
吐息と煙管の紫煙が混じり、空気の中に溶けていく。宙を見つめる琥珀色の瞳が神秘的で、整った横顔の美しさを強調している。
人ではないものの美しさだ。
「なんだ、九十九。儂に見惚れていたか?」
「これで調子に乗らなかったら、いいんですけどね……台無しですよ」
「むむ。なんの話だ?」
シロは怪訝そうに口を曲げた。
そうかと思うと、次の瞬間にはスイカを食べて「美味い!」と笑っていたりするので、本当に気まぐれだ。使い魔の猫率が高すぎて、影響されてる?
「やっぱり、わたし……小夜子ちゃんがうらやましいなぁ」
「九十九には、九十九の良さがあろう。九十九のような神気の人間は、なかなか現れぬぞ」
「そういう意味じゃないですってば」
「では、どういう意味だ?」
シロは純粋な表情で九十九の顔を覗き込んだ。宝石のような琥珀色の瞳を見ていると、なにもかも見透かされてしまいそうで怖い。
どうしよう。
なにもやましいことなどないはずなのに、ドキドキしてしまう。
「なにをそんなに動揺しておる?」
「ど、動揺なんて……」
「さては、隠し事でもあるか?」
隠し事。
――わたし……シロ様が好きみたい。
思い当たった瞬間、九十九の顔は真っ赤に染まった。
「嗚呼、そうだ。九十九」
シロは真っ赤になる九十九をジロジロと眺めていたが、やがて、悪戯っぽい表情を浮かべた。先ほどまで大人しかった尻尾をうしろでブンブンとふっている。
「小夜子が蝶姫にやったように、儂のこともハグするがいい」
「は……はぐ!?」
唐突な提案に、九十九はますます焦った。動悸を通り越して、一瞬、心臓が止まったと思う。いや、止まった。死ぬかと思った。
「儂は羨ましかったぞ。九十九からハグされたことがないからな」
「は、ハグっていきなり言われても……」
「むむ? あれはハグというのではないのか? 抱擁のことだぞ?」
「知ってますってば!」
ニコニコとそんなことを言ってくるので、九十九は顔を両手で覆った。
どうして、そんなことを平気で言えるのだろう。
「ハグなんて、いつもしてくるじゃないですか。勝手にすれば……いや、勝手にされるのも困りますけどね?」
「嫌だ。儂は九十九からハグされてみたいのだ」
仕舞いには、駄々を捏ねて尻尾で縁側をベシベシと殴りつけている。ドンドコと音が響いてうるさいので、九十九はシロの尻尾を両手で押さえつけた。
「し、尻尾になら……いいですよ!」
「尻尾だけとはケチではないか」
「い、いいんです! ドケチなんです!」
九十九はそう言い張って、そのままシロの尻尾に抱きついた。
白い毛並みに、顔を隠すように埋める。とても温かくて、くすぐったい。毛の一本一本が長くて、ふわりとしていた。柔らかいが、しなやかでもある。
普通の動物と同じようにお尻からは骨と肉が生えていて。ギュッと抱きしめると、そこに触れることができた。
こうやって、シロの尻尾に埋もれるのも久しぶりだ。
小さいころは、こうやって遊んだ気がするけれど。
「やはり、よい」
すっかりシロの尻尾に埋もれている九十九の頭を、シロが撫でてくれる。
「九十九に触れるのは温かくて好きだ」
その言葉に胸がキュッと締まる。
九十九はシロの巫女で、妻だ。
けれども、それは湯築の代々の巫女みんな同じだった。シロは偏りなく、巫女を妻として迎えている。
九十九だけを好きだと言っているわけではない。
シロは神様だから。
蝶姫や小夜子たちのように、心から支え合うことなどない。苦しみや悲しみを分かつこともできない。永遠のように長い時間を生きるシロにとって、九十九は過ぎ去っていく巫女の一人。
「美しくて、愛らしい我が妻」
もうそれ以上、言わないでよ。
わたし、勘違いしそうだから。
「そろそろ終わりです。さあ、お仕事お仕事!」
九十九は振り切るように、シロの尻尾から身を剥がした。
温かい毛並みを手放すと、ちょっぴり寒い気がする。
「もう終わりか? あと二時間くらい、いいのだぞ! 儂の尻尾は気持ちがよかろう?」
「調子に乗らないでください! いつも言ってますよね?」
九十九はシロの手を雑に払いながら、顔をプイッと逸らす。フンッと鼻息を鳴らしながら、両掌を前に突き出して断固拒否のポーズをとる。
ガッカリして肩を落とすシロを無視して、九十九は進む。
今日もお客様をお迎えしているのだ。
気持ちを切り替えていかないと!
手にほんのりと残る尻尾の温かみを、名残惜しいなんて思わないように。
第7章終了です。
第8章の更新は4月か5月の予定です。
書籍版の2巻が発売します。
「道後温泉 湯築屋2 神様のお宿に恋の風が舞い込みます」(双葉文庫/ISBN:978-4575522037)3月14日頃発売となっております。
1巻と同じく紅木春様の美麗且つ可愛らしいイラストが目印♪
今回も書き下ろしの章が2編と追加シーン多数ご用意しており、web版よりもボリュームアップでございます。改稿して展開・結末の違うお話いっぱい!
書影など詳細は活動報告で公開しています。
また、サイン会を開催することになりました。
こちらも活動報告をお読みください。




