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14.刻印

 

 

 

 蝶姫に撫でられ、小夜子の髪が揺れた。

 三つ編みにされた黒髪の下、首筋に薄っすら赤く光る刻印が見えて、九十九は目を瞬く。


「其方は妾の餌じゃ。誰にも渡さぬ……誰にも、渡さぬ」


 鬼は自分の獲物(・・)に印をつける。

 それは獲物を見失わないための、そして、他の鬼に自分の獲物であることを知らせる目印。

 刻印は今つけられたものではない。ずっと前から――蝶姫と小夜子が出会ったころから、つけられていたものだ。


「蝶姫様は――」


 刻印の存在を確認して、九十九は身体が震えた。

 蝶姫が小夜子から手を離すと、刻印の光は薄れて何事もなかったかのように消えてなくなってしまう。いつも通り、小夜子の白い首にはなにも見えない。きっと、普段は鬼にしか見えないのだ。


「蝶姫様は、小夜子ちゃんのこと……ずっと守っていたんですね」


 蝶姫は答えなかった。


「他の鬼が小夜子ちゃんのことを食べてしまわないように、印をつけていたんですよね?」


 他の鬼の印がついている人間に、鬼は手出しをしない。

 これは縄張りのようなものなのだ。


「他の鬼のものを奪うときは、その鬼の命ごと奪う。こりゃあ、あっしらの常識ですからねぇ。たいていの鬼は面倒臭がって、諦めちまいますわ……普通は、印なんぞつけずに、さっさと喰っちまうんですがね」


 九十九の確信を裏づけるように、牛鬼が腕を組んだ。

 蝶姫はずっと小夜子を守っていたのだ。

 小夜子のような鬼餌人は鬼にとっては、最高の餌。だから、誰からも狙われないように、自分の餌であるという印をつけて。


「蝶姫……どうして、私を食べなかったの?」


 どうして、蝶姫はそこまでして小夜子を喰わなかったのだろう。

 誰にも喰わせず、されど、自分も喰わず。


「言うたであろう。妾は自ら喰われに来るような娘を喰うてやるほど、優しくはないと。其方が美味い餌になるまで、待っておるだけじゃ」


 蝶姫は困惑する小夜子の顔に、自分の顔を寄せる。

 額と額を当てて、両頬を柔らかく手で包み込んだ。

 小夜子は恥ずかしそうに頬を桃に染めた。


「というのは建前じゃ」

「蝶姫?」


 蝶姫の顔は能面に覆われて見えない。

 でも、九十九にはわかった。彼女は今、優しい笑みを浮かべているに違いない、と。


「妾は其方の()を聞いていたいのだ。ずっと、その声で妾に語ってほしい……妾は其方の言の葉に救われたのじゃ。くらい海を毎夜彷徨うだけの亡霊であった妾に、人の心を思い出させてくれた……今、喰ろうてしまうのは……寂しい」


 小夜子の頬に、更なる大粒の涙が伝った。

 小夜子は蝶姫に依存している。

 けれども、それは蝶姫も同じだった。

 二人の関係は酷く歪で、他人には理解されにくいものだ。共に依存しあっているが、支えあっている。なくてはならない存在。


 だからこそ、九十九には……とても美しくて、とてもうらやましいものだった。


「妾に声を聞かせるのじゃ。その声が枯れて、死に絶えるそのときが来たら……そのときは、妾が喰ってやる。それまでは、其方は妾の餌じゃ」


 蝶姫は小夜子の頬に伝う涙を、ていねいに指で掬っていく。


「……うん」


 小夜子はうなずきながら微笑んだ。

 蝶姫の想いを聞いた小夜子の顔は実に晴れやかだった。

 小夜子は鬼餌人で、特異な体質だ。

 彼女の能力が発揮される場面はない。ただ、鬼の話を聞き、言葉を使って対話することができるだけ。

 それでも、蝶姫にとっては救いだった。

 ただ独りで五色浜を彷徨っていた蝶姫にとっては、唯一の救いだったのだ。

 孤独に手を伸ばす存在。

 小夜子にとっての蝶姫も同じで。


「これでも、小夜子ちゃんに蝶姫様は必要ないですか?」


 九十九は暁樹に問う。

 暁樹は、ゆっくりと小夜子と蝶姫から視線を外した。


「結局、俺は小夜子にとって、邪魔しかしていないな」

「そんなことないと思います……ちょっと不器用だっただけです」


 九十九は改めて暁樹のほうへ向き直り、歩む。


「小夜子ちゃんに、普通の暮らしがしてほしかっただけなんですよね? 鬼使いなんか関係ない、普通の暮らしを」

「……結果的に、俺は小夜子を独りにさせた。恨まれてる」

「でも、そのお陰で小夜子ちゃんは蝶姫様に会えました。それに、湯築屋で働くことになったんです。ご実家にいたら、それはそれで別の出会いがあったかもしれませんが……今の小夜子ちゃん、とっても幸せそうです」


 暁樹は蝶姫に向けられた小夜子の笑顔を見ないようにするかのように、視線をあげなかった。


「小夜子ちゃんが鬼餌人だって気がついて、真っ先に心配してくれたんですよね」

「だが、俺は間違って……」

「小夜子ちゃんと、お兄さんに必要なものは、とても簡単に用意できますよ」


 九十九は暁樹の手を取って、顔をあげるように促した。

 暁樹が恐る恐る顔を持ちあげる。

 視線の先に、小夜子を確認してすぐに逃げようとした。だが、九十九はそんな暁樹の手を放さず、しっかりと両手で握った。


「話し合いましょう。じっくりと、二人で話し合ってください。それが、今二人が一番やるべきことです」


 強い口調で、けれども、次の瞬間にはフッと顔を綻ばせる。


「静かなお部屋と、美味しいお料理をご用意します。湯築屋はいつでもお客様を歓迎していますよ! もぶり飯、まだお客様の分が残っています!」


 二人に足りていないのは、言葉だ。

 この二人には、話しあいが必要だった。じっくりと言葉を交わすべきなのだ。

 暁樹は小夜子のことをこんなに想っている。必死に守ろうとしてくれた。それが小夜子に少しでも伝わるように。

 その場を提供するのが、湯築屋の役目だと思う。


「いいですよね、シロ様」


 シロの使い魔をふり返ると、ちょっと面倒臭そうにため息をついていた。


「客同士で争われるのは御免だが……早めに治療が必要な客がいるからな。儂には鬼の治療などよくわからぬし、ただ湯治させるだけというのも無責任であろうに」


 使い魔は仕方がないと言いたげに許可を出すが、きっと、それなりの理由がなくともそうしただろう。


「じゃあ、小夜子ちゃんのお兄さん。手を貸してくださいね」

「なっ……勝手に!」

「勝手じゃないです。決まりです」


 そう言って手を引くと、暁樹は居心地悪そうに頭を掻いた。

 そんな暁樹の様子を小夜子も見つめていることに気づいて、九十九は笑う。

 

 

 

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