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10.足湯とガールズトーク

 

 

 

 九十九は生まれたときから、神気の強さを称賛されていた。

 彼女以上の巫女は近年稀である。それほど、強い神気を持ち、将来有望とされていた。

 湯築の巫女は力の強い女児に受け継がれる。それは稲荷神白夜命の妻となるためだ。

 だから、生まれたときから祝福され、巫女となることが決まっていた九十九には、鬼使い失格の烙印を捺されて追放された小夜子の気持ちなど、理解できないと思う。

 想像はできる。

 しかし、共感や理解は難しいことだ。

 そもそも、人それぞれ違うのだ。九十九が小夜子に、自分の気持ちをわかってほしいと言っても、無理な話である。

 でも、それと友達であることは別だ。

 そして、九十九は友達である小夜子を見放したりなんかしない。

 落ち込んでいたら、尚更だ。


「小夜子ちゃん、一緒にお風呂入ろう!」

「え? でも、まだ……」


 牛鬼にもぶり飯のおかわりを出したあと、九十九は小夜子の手を引いた。


「コマ、あとはお願いできる?」

「はいっ! 若女将、任せてください!」


 コマはチョンと立つ両足で踏ん張りながら、鼻をフンッと鳴らして気合を入れる。着物の袖をまくりあげ、腰に手を当てていた。クイックイッと左右に尻尾が揺れている。


「気にせず、行ってくださいな。本日は天照様以外に女性のお客様はいらっしゃいませんし」


 そう優しく声をかけてくれたのは、仲居頭の河東碧だった。おっとりしていて、とても上品な印象。話しているだけで心が落ち着く接客のエキスパートだ。

 彼女は九十九の叔母に当たる。つまり、登季子の姉だ。

 神気は扱えないが、実は学生時代に剣道で全国制覇を成し遂げた偉業を持つ。空手や薙刀など、一通りの武道は嗜んでいると聞いたが……とても、そんな風には見えないといつも思う。


「ほら、碧さんも言ってるし……入ろう」

「え、ええ……でも、その……」

「じゃあ、足湯だけ」


 湯築屋にも足湯が堪能できる客室がある。

 そこはかつて、神気が疲弊した蝶姫が療養するために長期滞在した五色の間であった。今では蝶姫の神気は回復し、誰も使っていない。

 蝶姫は時折、客として滞在することもあるが、基本的には小夜子の陰に潜んで見守っている。まるで、小夜子を守護するように。


「足湯はよいな。であれば、儂が混ざっても九十九が怒ることもないな!」

「シロ様はあっちへ行ってください。わたしは小夜子ちゃんと二人きりでお話しするんです」

「な、なんだと……!?」

「ガールズトークです。盗み聞きも禁止ですよ」

「ぐ、ぐ……!」


 九十九は湧いて出てきたシロを押し退けつつ、小夜子の手を引く。

 小夜子は戸惑いながら、九十九について足を進めた。


「九十九ちゃん……」

「温泉入ると、リラックスするから。足湯なら、恥ずかしくないよね?」

「は、恥ずかしいわけじゃ……」


 小夜子は顔を真っ赤にしてしまう。

 誰もいない五色の間はガランとしており、静かだ。障子窓を開けると、縁側があり足湯スペースになっている。ちょうど、湯築屋の大きな池を間近で見ることができて、庭を楽しめる。

 青々とした松と岩石の配置が絶妙に美しく、ため息が出そうだ。這うように花を開く朝顔も可愛らしい。


「ここ、蝶姫様のお部屋だったの、懐かしいね」


 九十九は笑いながら白足袋を脱ぎ、着物の裾をまくった。片足ずつ足湯に滑り込ませると、じんわりと温かな感覚。

 小夜子も躊躇しながら、ゆっくりと九十九と同じように腰を下ろした。


「うん……でも、昨日のことみたい」


 小夜子はうなずきながら、唇を緩めた。

 やっぱり、彼女は笑っているほうが可愛い。ずっとずっと、魅力的な女の子だ。


「小夜子ちゃん、毎日蝶姫様のお見舞いにきてたよね」

「うん。学校から一人でお見舞いにいくたびに、九十九ちゃんが二人で帰ろうって言って怒ってたね」

「だって、帰る方向が一緒なんだもん」

「今思ったら、九十九ちゃんの言う通りだね」


 足を動かすと、あわせて湯に波紋ができる。

 足元だけだが、しっかりと身体を温めてくれた。

 神気を癒し、神に愛された温泉。そうでなくとも、充分に九十九たち人間の身体と心を癒す効果がある。

 道後温泉は大衆浴場として発展した。今でも、本館にはその伝統が受け継がれており、浴場には凝った趣向は取り入れられていない。

 ただ温泉に浸かり、語らう場なのだ。

 道後温泉はそのあり方を守り続けてきた。


「九十九ちゃんにアルバイトしようって誘われたとき……私、嬉しかった」


 小夜子は顔をあげて、九十九に微笑んだ。


「でもね、私……九十九ちゃんがうらやましかったんだよ」


 微笑んだまま、小夜子は九十九を見つめ続ける。


「九十九ちゃんは、私にないものたくさん持ってるの。九十九ちゃんみたいに強い神気があったら、きっと、私は鬼使いになれた。両親や周りの人を落胆させずに済んだかなって……学校でも、いつもお友達と一緒で、すごくキラキラしてた」


 小夜子から、そんな話を聞くのは初めてだった。


「わたしだって、小夜子ちゃんがうらやましかったんだよ。蝶姫様と仲がよくて、理解しあえてて……わたしには、難しかったから」

「そう?」

「そうだよ」


 小夜子と蝶姫の関係がうらやましかった。

 人と、人ならざる者は価値観が異なる。理解しあえないのだ。


「わたし……シロ様が好きみたい」


 こんな感情に気がついたのは、最近のことだ。

 シロとは婚姻を結んでいるが、あくまでも契約上のこと。ビジネスライクな関係。だから、シロのことを好きだなどと思ったことなどなかった――いや、思わないようにしていた。

 だって、それは報われないことだから。

 シロは神で九十九とは違う。

 寿命も価値観も、考え方さえも。

 シロは代々、湯築の巫女を娶っている。九十九はその一人であり、彼にとったら特別な存在でも、なんでもない。


 九十九だけを愛するなど、ありえないのだ。


「……九十九ちゃん」

「おかしいよね。シロ様の巫女は、わたしだけじゃないのに――」

「それは、見たら誰でもわかるよ?」

「へ?」


 小夜子が嘆息するので、九十九は思わず間抜けな返答をしてしまう。


「九十九ちゃんがシロ様のこと大好きなのは、最初から知ってたよ」

「え、ええ!?」


 あまりにも当たり前のことのように言うので、九十九は思わず腰を浮かせてしまう。小夜子は面白そうにクスクス笑っている。


「え、そんなにおかしい!?」

「うん、とっても」


 小夜子がなにを面白がっているのか、九十九にはわからない。


「九十九ちゃんは、私のことうらやましいって言うけど、私はずっと誰かをうらやんで生きてきた……九十九ちゃんのことも、京ちゃんのことも」


 小夜子は笑顔のままで、足湯の水面を眺めていた。


「その前は、お兄ちゃんが羨ましかった」


 表情は曇らない。

 けれども、澄み切っているとも言えなかった。


「私はなにも持って生まれなかったけれど、お兄ちゃんはいっぱい持ってて……私が生まれなかったら、きっと、みんな最初からお兄ちゃんだけを見ていたの」


 爽やかとも、吹っ切れているとも言えない笑顔で小夜子はつぶやく。


「私はいらない子だから」


 そんなことない。

 小夜子ちゃんは、必要だよ!


 そう言いかけて、九十九は口を噤んだ。


 小夜子が本心でそう思っていないことに気がついたから。

 それは彼女の過去のこと。昔々の話を語っている。


 だって、小夜子は湯築屋の従業員だから。


 もう、いらない子などでは、ないから。


「小夜子ちゃん」


 だから、九十九はこう言うことにした。


「少なくとも、お兄さんはそんなこと思ってないよ」


「え?」


 小夜子は心底意外そうに目を見開く。


「上手く言えないんだけど」


 これは些細な勘だ。

 暁樹の言動は頑なだが、どこか筋が通っているように思う。

 先ほどは、牛鬼が小夜子に触れようとしたとき、守っている(・・・・・)ようにも見えた。自分が使役している鬼から守るなど妙な話で辻褄があわないことだが、九十九には、そう思えたのだ。

 上手く伝えることができないが……暁樹が小夜子に抱いている感情は、負のものばかりではないと感じるのだ。


「お兄ちゃんが……私を、守ってた?」


 九十九が判然としないまま言葉にすると、小夜子は困った表情で目を伏せて、考え込んでしまう。九十九も上手く言い表せないため、どうしたものかと頭を抱える。


「九十九、邪魔をするぞ」


 二人で黙り込んでいると、割って入るようにシロの声がした。

 ガールズトークを邪魔するなんて、と怒る空気になれない神妙さがあった。

 

 

 

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