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8.女神様はおこりんぼう

 

 

 

 足元から、身体の隅々へ。

 じわりじわりと、芯から温まっていく感覚に、九十九は「はふぅ」っと息を吐いた。隣で学友の(みやこ)も背伸びしている。


「学校帰りの足湯は、最高よな」

「まったくもって、その通りよ」


 道後商店街の入り口――放生園。

 道後温泉駅を降りてすぐの広場は、まさしく観光地の佇まいを見せている。

 カラクリ時計の隣に設置された足湯に浸る女子高生二人。無料で利用できるため、学生の財布には非常に優しい施設である。日よけ用に和傘のパラソルが設置してあるのもありがたい。春とはいえ、紫外線は乙女の敵だ。

 足湯に浸かりながら「ちゅうちゅうゼリー」のチューブを吸うのは至福。


「ゆずは、『せとか』しか食べんね。いろいろ試せばよかろうに」

「いや、京が浮気していろいろ手出しすぎなの。それ、味の見分けついてるの?」


 愛媛県の名物として売り出されているものと言えば、なんと言ってもみかんだ。

 とはいえ、近年は出荷量が減少し、日本一の生産量ではなくなっている。愛媛県のみかんは数ではなく、質。いわゆる、ブランドみかんの生産に傾いているのだ。

 紅マドンナ、せとか、はるみ、清見タンゴール、伊予柑、デコポン……様々なブランドみかんが生産されている。それらの柑橘をゼリーにし、パックに詰めたものが「ちゅうちゅうゼリー」である。

 九十九は専ら、せとかのゼリーを好んで飲むが、京は気分で種類を変える。

 因みに、京が今飲んでいるのは、はるかのゼリー。日向夏とニューサマーオレンジの自然交雑実生で、爽やかな甘さが特徴だ。


「んー。適当よ、適当。こんなん、名前のフィーリングで選びよるし。どれ食べても、それなりに美味いから良いんよ」

「京らしいなぁ……」


 甘くて濃厚だが、さわやかな喉ごしのせとかゼリーを味わいながら、九十九は湯の中で足を伸ばした。

 伸ばされた足に引っ張られるように、熱めの湯がピュッと一筋散る。

 公共の場で褒められた行為ではないが、二人のほかに客はいない。今日は新入生の入学式があったため、平日の昼間に帰宅することができたのだ。休日は観光客で賑わうが、今日は道後の街に人はまばらであった。


「くぅぅ……やっぱ、せとか美味しいー……はあ。家に帰らない間が癒しよ」

「こんなときに、奴隷アピールやめーや。別にちょっとくらいサボっても良いんやろ?」

「いや、仕事が嫌というか、なんというか。そういうのじゃないというか、むしろ、実家の仕事は好き、かな?」

「あー、あれか。すまんな。いつものノロケ話の方か」

「の、のろ……!? 誰が、いつ!」


 思わず、足湯をバシャバシャ。

 温泉旅館の若女将とは思えない非常に行儀の悪い行為だが、ここは許してほしい。京はそんな九十九を眺めて、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。


「例の居候彼氏」

「違うってば! だいたい、あんなの全然タイプじゃないし!?」

「ほほーう。どんな彼なのか、教えて教えて。ついでに、タイプの男も白状するのだ」

「は!? え……いや、まあ、とにかくイケメンというか、めちゃくちゃ美人なのは間違いないんだけど……うん。女の人みたいで、無駄にスキンシップが多くて……近づくとすごい緊張するっていうか、落ち着かなくて、みたいな? わ、わたしは、もっと落ち着ける頼もしい人がいいの! きっと、そうよ。男らしい屈強(マッチョ)な人とか、お父さんみたいな堂々としたタイプの方がいいのよ。たぶん!」


 だいたい、シロは控えめに言って超絶美形である。アレにときめかないなど、ありえないではないか。これは九十九の好みが真逆だからとしか思えない。

 幼いころから一緒にいるせいで、どうも夫婦という実感もなければ恋をしたという記憶もない。

 確かに、緊張してドキドキしたり、たまに自分でもビックリして心臓が止まりそうになることはあるが……あれは、シロが美人すぎるせいだと思う。慣れているとはいえ、あの顔が近くにあると心臓に悪いものだ。


「とにかく、違うの!」


 ニヤニヤ顔をやめない京から逃げるように、九十九は足湯から立ち上がった。カバンの中から取り出したタオルで足を拭き、急いで靴下とローファーを履く。


「そんな怒らなくってもさ」

「お、怒ってないし!」


 ぷいっと頬を膨らませながら、九十九は自宅へと帰る道を闊歩する。

 顔が熱いし、なんだか身体がカッカッする。

 京の言う通り、怒っているのだろうか。足湯につかっていたからだと思うのだが、そう思い至った理由は――自宅前まで、自分のあとを尾行(つけ)る存在に気がつかなかったからである。


「そこの、人よ」


 声をかけられ、九十九はようやく。


「ふぇ?」


 間抜けな声を上げながら振り返ると、そこにあったのは美女(・・)の顔だった。

 昼下がりの光に揺らめくは、豊かな黒髪。シャンプーのCMでよく見る「芯から輝く黒髪」とは、このことだろう。緩く波打った黒髪が縁取るのは、彫像のように彫が深い甘やかな美女の顔である。

 装飾品などいらない美の化身と言えば大袈裟だが、全くもって、その言葉通りの女性が目の前に立っていた。


「道を探しているのだけれど、心当たりないかしら?」

「道ですか? どこを探してるんですか?」


 質問は至極簡単なものだった。シンプルに、この美人の外人さんは迷子なのだろう。

 だが、九十九は違和感に気づき、本能的に一歩後すさった。


「宿屋です。夫が泊まっている宿を探しているの……私の夫、ご存じない?」

「は、はあ……」


 漠然としている。

 宿の特徴でも教えてもらえれば、答えられるだろうが……それよりも、九十九は背筋に走る悪寒の方が気になった。


 女性から溢れ出るのは魅惑のフェロモン。

 しかし、それだけではない。


「あなたは、もしかして……お客様(・・・)ですか?」


 九十九が口を開いた瞬間、女性の身体から隠し切れないほどの神気が溢れ出る。

 神気の流れは神聖であり、高貴。神秘の光に、人は平伏す。

 けれども、九十九が感じ取った神気は人が崇める神の威光ではない。

 災い成す神の怒り。

 厄災の神気であった。


「やっぱり……あなた、夫の匂いがしますもの。私の夫の匂い」


 女性の黒髪が風もないのに蛇のように波打つ。

 美しい貌はみるみるうちに悪鬼のような形相に変化し、鋭い眼光が九十九を睨む。


「え? え!?」


 九十九はわけがわからないまま、とっさに後ろへ逃げた。すると、女性の神が生き物のようにうねり、九十九の立っていたアスファルトを砕いた。

 髪の毛で道路割るって、どういうことよ!? 九十九は叫ぶ間もなく、身の危険を感じて走り出した。


 この女性はおそらく、いや、間違いなく人ではない(・・・・・)


「やばいって!」


 九十九は逃げながら、カバンにつけた肌守りを引っ掴む。ブチッと紐が切れる音も厭わず、九十九は紺色の肌守りを自分の額に当てた。


「稲荷の巫女が伏して願い奉る 闇を裂き、邪を砕きし破魔の矢よ 我が主上の命にて、我に力を与え給え――っぎゃぃ!?」


 なんとか言い切ったところで、右足を強く引っ張られる。

 長い黒髪が九十九の足を掴んでいた。九十九はそのまま宙吊りにされ、視界が逆さに揺れる。

 スカートの下にハーフパンツを穿いていてよかった。


「夫の匂いのする女……しかも、極上の神気まで……間違いない。あの人が好きそうな娘よ……また浮気したのね」


 女性はブツブツと呟きながら、九十九に殺意をぶつけた。同時に髪の毛の束が刃物のように鋭くとがり、襲いかかる。


「なんのことか、わかりませんっ!」


 九十九が叫ぶと、両手に白い光が宿った。

 手を合わせると、大きく立派な白い弓矢が現れる。九十九は宙吊りにされたまま、女性に向かって光の矢を射た。

 いつも身につけた肌守りには、シロの髪の毛が保管されている。これを依り代とすることで、シロの神気を九十九でも一部扱うことができるのだ。巫女としての最低限のたしなみといったところか。


 光の矢はまっすぐ、女性に向かって飛ぶ。

 だが、一条の光は闇に飲まれるように、髪の毛の束に絡めとられてしまった。


「こんなもの……」


 しかし、刹那。

 蛇のようにうねっていた髪の毛の束が突然、力が抜けたようにバラバラになっていく。シロの神気を取り込んで、怒りの神気が浄化されたのだ。


「今のうちっと!」


 解放された隙を見て、九十九は一目散に旅館を目指して走った。

 この角を曲がれば、湯築屋はすぐそこだ。

 湯築屋の敷居を跨げば、そこは結界であり、稲荷神白夜命(いなりのかみびゃくやのみこと)の領域。

 女性が名立たる神であろうとも、結界の内側では神気は制限される。だからこそ、湯築屋でお客様は狼藉を働くことはできないし、シロもそれを許さない。

 逆に言えば、強力な結界を敷いているが故に、シロはその場から易々と動くことができない。


「はあっ! はぁ……!」


 湯築屋の門が見える。

 風に揺れる暖簾の下を潜ろうと、九十九は力の限り道路を蹴った。だが、自由自在に動く黒髪の渦が、もうそこまで迫っている。


「も……だ、め……!」


 再び足を掴まれ、九十九の身体が前に大きく傾いた。

 手を伸ばすが、ギリギリのところで門に届かない。

 

 

 

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